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Web3.0、あるいはデータの自己コントロール権

2008/02/20 11:42
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渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
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ウェブの次の姿は何か、という議論が徐々に進められいている。ちょうど足元の市場競争にもなんとなく一段落感と決着感が出ていることもあり、次のテーマを模索する時期に入ってきてることも影響してるのだろう。

その中のひとつ、Web3.0というテーマが深化してきている。3.0という括りと表現が良いかは一旦脇において、ざっと位置づけを確認したい。

「ウェブ1.0は集中化した彼ら、ウェブ2.0は分散化したわれわれ。そしてウェブ3.0は非集中化したわたし」だと彼は書いている。「(ウェブ3.0 は)世界に参加したくないときのわたしに関するものであり、自分の環境に誰を導き入れるかをより強く制御したいというわたしの側面に関係している。ウェブ 3.0では、わたしの注意の対象が広がって、自分が注意を払うのは誰か、あるいは何か、そして自分を誰に見せるかということにまで及ぶ。それは、わたしにとってのより効率的なコミュニケーションなのだ。」

このサマリはすばらしい。細部の技術論に行く前にまずはこの箇所を丁寧に押さえたい。
 
 
非集中化した私
 
これは、最近の議論だと、個人のデータは誰のもの?という議論にも繋がる。

議論として、A事業者が個人から預かったデータをB事業者がビジネス利用するのは良いのか否か、それは何を根拠にするのかという議論がひとつ。これは、狭義には、A社のビジネス資産なんだから、B社はA社への配慮と配分をどうしようというのがアジェンダになる。
 
そこからもう一歩進むと、そもそもその情報は個人のものであり、A社が資産とかいうのは言いすぎじゃないのか、元の個人の管理下に戻しましょうというテーマが出てくる。自己決定権や自己コントロール権といった領域になる。

ここに「非集中化した私」という切り口を足すと構図はこのようになる。

  • Wさんはさまざまなサービスを利用している
  • 利用している各社のサービスそれぞれ(A社、B社、C社・・・)にWさんのユーザーデータが蓄積されている
  • あちこちに情報を分散して貯めてるのはWさんにとっても二度手間三度手間になって不便なのでは?
  • では、統合、アグリゲーションを試みるとしたら、どの会社が音頭を取れば良い?←いまここ
  • 更には、そもそもどこかの会社が会社間の力関係とかで勝手に音頭を取って良いの?←ここに移りつつある

という状況が出てきている。日本ももちろん、米国も欧州もアプローチの仕方や検討の順番は違うが概ね似たようなところにある(APECなどでも通商の重要テーマとして扱われている)。

(余談になるが、書いてしまうが、APECなどで語られているのは、これらの貿易や国際流通というテーマに関わってくるからになる。これは必要そうならまた項を改めていずれ。)
 
話を戻す。IPやアクセスという顔の無いデータからユーザーデータに紐づいたデータが増えてきていることから(SNS、Blog、各種ポータルの統合サービス、Web2.0系サービス)、これらの議論は理論検討のレベルから世の中の実際課題、実利と権利の問題になってきている。もっと一言で書いてしまうと、希求度が高まっている。

合わせて、コンピューター業界やネット業界のお作法というレベルの議論に収まらない面が多く出てきている。幾つかお手伝いしている案件でもぽろぽろ出てくるところなのが、技術論だけでは収まらず、技術論にしても、セキュリティや運用なども含めた広い範囲のテーマを触らないと答えを出せなくなってきている。規約とリーガル/サービス実装/運用設計、というところがセットになり、どこか単体のみに手を入れても課題は解決しないというのは共通認識になっている。
 
話を更に戻すと、そもそもユーザーデータ、あるいは個人情報はユーザーのものだったよね、という確認が行われることで自己決定権をどう実装運用していくのか、且つ使いやすい形に出来るのかという議論に続いていく。事業化テーマとしては目下ホットな一領域となっている。
 
 
自分の環境に誰を導き入れるか
 
Web2.0のイメージは、データがどこかネット上の「あちら側の世界」で、まとまってストレージされているという世界観がひとつベースにある。そして、そのマシンが分散マッシュアップしているというところから、「ウェブ2.0は分散化したわれわれ」という表現に繋がる。
 
しかし、上記のように統合管理への欲求が出てくると、データの実体は分散してあちこちにあるとしても、ユーザーからは仮想的に統合されている状況が望ましいという見方が出てくる。
 
注意しなければならないのは、これは実装上本当に仮想集中しなきゃいけないというのではなく、そういう感覚をユーザーが持てていれば良いというところにある。(この辺の落とし込みはひとつ鍵になりうる)
 
ユーザーから見ると、自分の情報がある程度まとまっているような感じ、手元で簡単に取り扱えるような感覚をもって、これら自分にまつわる情報(狭義には個人情報)を、いろんな事業者にある範囲なり利用条件をもって預けるという物事の進み方になる。
 
また、感覚議論が続くが、自分と、自分を包み込むユーザーデータ+支援サービスという身体拡張イメージが定着してくると、オンライン上でのパーソナルスペースを誰にどう開示するかがテーマになる。
 
これはオンライン上の話と考えると特殊な話のように見えてしまうが、スタートラインは簡単で、仲の良くない友達は家に来て欲しくない、自分の部屋にはみだりに入って欲しくない、入ってもいいけれども机を覗くのは勘弁、という感覚がデジタル化されオンライン上に展開しただけである。根本のところは変わらない。
(もちろん、身体感覚や浸食感覚については異なってきている面はある)
 
こうなってくると、単純なサービスマッシュアップ、ユーザーデータの再利用や流通というところに話は留まらない。ユーザー、サービス、データの位置関係が問い直されるのなら、単にあちら側の世界がまとまって、あちら側だけで繋がって離れてというだけでは議論出来なくなる。リーガル的にも立脚点である、データの取り扱い権利をそもそも企業側が持っていない可能性が出てくるからである。

また、単なる技術論としてのセマンティックウェブという考察アプローチについても現時点では少し違和感がある。それはそれで大事であり、検討が進められるべきところと思えるが、仮にWeb3.0と呼ぶとして、それ即ちセマンティックウェブの世界に収斂していくのかという命題にはまだ、YESという感覚が自分の中にない。

というところで、世の中的にも重要化して来ていることを受けてか受けずか、来年度(再来年度も?)については、この辺りのテーマにがっちり関わることになりそうである。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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