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僕たちとマスメディア、と実感の経済

2008/02/12 01:34
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プロフィール

渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
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お隣佐々木さんの計らいで、サブラの取材(座談会)にお邪魔した。他の面子は、小鳥ピヨピヨのいちるさんと、Danさんこと小飼弾氏になる。

テーマはばっくりと「ネット(周辺)の近未来」ということで、いろんな話に飛んだが、当日のテーマを思い出しながら、そのうち出るだろう掲載本誌を邪魔しない程度に少し書いてみたい。
 
 
マスメディアと僕たち
 
途中、メディア論になった。インターネット普及後に、いわゆるマスメディアの機能はどうなって行くのかというのが佐々木さんの問いかけになる。
 
この問いはインターネットが出現普及以降、ずっと語られてきたテーマになる。大きく切ると民主主義のありかたはどうなるかといったところから、もうちょっと手元に落とすと(マスメディア的な)ニュース機能を誰が提供するか、フラットな情報配信を誰が請け負うかというものになる。
 
結論から書くと、マスメディアの一律配信的な機能を誰が担うのかというという問いかけの構図自体が古くなってしまい、世の中の仕組みが新しくなってしまったのではと考えている。
 
その昔、ニュースを知ろうと思ったらテレビ新聞雑誌がメインだった。友人から「そういえばこんなことがあったらしい」と聞くことはあっても、その友人もまたテレビ新聞雑誌が情報源だった訳である。
 
話を分かりやすくするために、全国規模のニュース(新聞一面やテレビのニュースの見出しレベル)を例にとると、メディアが情報を取りまとめ、まとめて配信し、僕たちはその情報を受け取る、あるいは記事を読むなどでアクセスする形になっていた。つまり、メディア側の情報プールになんらかの形で触れる形が標準だった。
 
 
僕たちとマスメディア
 
ところが、政治でも経済でも芸能でも、ニュース情報を媒体としてのメディア以外で見る場面が多くなってきている。例えば、mixiにアクセスすると右にニュースのコーナーがあり、ぽちっとクリックしてちょっとしたことなら読んで満足してしまう。例えば、電車での移動中に携帯でちょろっとニュースを読む。例えば、友達の日記やBlogやTwitterで何か起きたことを知る。
 
もちろん、元のニュース記事は大手の新聞社や通信社が作ってるという場合がほとんどである(ただし、最近はBlogや有力個人サイトから直接情報を引っ張るケースも目立つようになってきている)。よって、ニュース記事や情報そのものを見てない訳ではない。むしろ、見る機会は増えてるかもしれない。しかし、新聞一面の並びで表現される記事の重要度評価、7時や9時のニュースで大事なもの順に流される、これが世の中的に大事ですよ、との暗黙の順位付けに触れることが少なくなった。
 
では、冒頭の「みんながだいたいこの辺は知ってないといかんのでは」というマスメディア機能は世の中では失われようとしているのか。
 
これは、文字通りに新聞一面に触れる機会という意味だと少なくなってるだろう。でも、だいたいこの辺を押さえられてないかと問われると意外とそうでもなく、大体のところはお互いなんとなくカバーしている風になっている。もちろん、細かいところで知ってる知らないの違いは山ほどあるが「マスメディア機能が失われる、大変だ!」というような事態は感じられない。
 
誰が担保しているのか、という問いに答えるなら「みんなそれぞれ」となるだろうか。何か見落としをしていても、ある程度以上の重要度があることは、誰かが取り上げて話をしているので自然と目に入る。やりとりをしている友人やBlogなど情報発信をしているサイトや個人がある程度あると、これらが自然と重要度フィルターとなって、必要と思われる情報をピックアップしてくれる。そして、自分に見落としがあると実質的にフォローしてくれる。
 
 
僕たちと世の中とネットワーク
 
という現象、あるいは状況は、現在進行形で体験中の方なら自然と理解されることだろう。理屈云々ではなく、日常そのものとなる。世の中全体、隅から隅まで生活者全員がそうなるかと問われると、さすがにそこまではならないだろうが、周囲を見渡すと(若干癖とバイアスのあるサンプルになるが)、「ま、そうだよね」となる。
 
さて。やや局所的現象ということを一応踏まえた上で、この動きが次に引っ張り出してくるのは何か。それは、またもや少々大げさになるが、世の中の見方が変わるというところになるのではと思っている。
 
以前の、マスメディア情報にアクセスするという構図だと、情報はパッケージされてまとまって受け取る形になる。チャンネル選択や媒体選択というのはもちろん出来るが主軸としては受身が多い。しかし、最近の形は自分の動く環境に自然と世の中の情報が溶け込んでいる、取り囲まれているような状況に近い。また、周囲のコミュニケーションとこの手のニュース的情報がまとまってる場合、典型的なのがコメント型のBlogやSNSでの日記だが、これらは「私はこのニュースにこう思う」というものと一緒に情報を受け取ることになる。
 
つまり、
 ・友人知人のこと、身の回りのこと
 ・世の中のこと
を同時に感想付きで受け取ることになる。
 
このような環境になると、どこか自分から遠いところに世の中の仕組みというものがあり、それを一方的に受け取るという構図から、自分の身の回りの出来事があり、友人知人や人の流れも加味してその延長線上に世の中の仕組みや出来事があるという理解の仕方に変わってくる。
 
もしかすると、ある面では狭義のメディア機能というのは失われていってるのかもしれない。でも、その反対側で新しい道と世の中との距離感の掴み方が同時に生まれてきているのも感じ、新しい可能性も感じる。
 
このところ、個々人のあり方や生産性について取り扱った書籍やコンテンツが多く出されている。一面はサバイバルと勝ち負けを意識した競争的な問題意識からまとめられているのは明らかだが、もう一面は自分と世の中がどう関わっているのか、どう繋がって行こうと自分はしているのかに答えようとしてるのではないだろうか。
 
ちなみに先日出された、博報堂生活研究所の2008年のキーワードは「手ごたえ経済」だそうである。
 
自ら動き、手を動かして感じ取って得たものから、その先にある世界を、分からないなりになんとか理解しようとする。そういう友人知人をたくさん見かけるようになってきた。もしこの変化がこれからの流れを示しているのなら、出来る範囲でのお手伝いはしたいと思う今日この頃である。
 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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