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情報社会学追説:私たちはなぜ語るのか

2006/04/21 19:54
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渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
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さる信頼の置ける筋から公文俊平氏の『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』のお勧めがあり、当たりの予感があったので、手にとってみることとした。また、ウェブでも内容が公開されている。

ぼんやりとした考えとして頭の中にあるものが、整理されたフレームと言葉でまとめられたものに出会うという場面は日々書いている人であれば幾度も経験していることだろう。今回は、塊でそれがやってきた。とりあえず途中まで目を通したところだが、ほぼ全てのページなんらか折込と赤線とコメントが加わっている。珍しい。そして素晴らしい。

ポイントは至るところにあるので、随時触れていくとしてひとまず幾つか抜いてみたい。
 
 
なぜ、オープンソースにコミットするか、あるいはBlogを書くのか
 
インセンティブと経済モデルについての指摘は別途あるが根っこの部分から。

個々の智業にとっての「智のゲーム」の直接的な目標は、最初から「通識」として通有されることが予定されている知識や情報の生産にある。だが、その究極的な目標は、それらの通識を智場に出して智民たちの積極的な評価を受けて――つまり「信奉者」としての智民に対してそれを受け入れさせることに成功して―― 評判を高め、智、すなわち抽象的で一般的な説得・誘導力を獲得し発揮することになっていくだろう。

なぜBlogを書くのか、社会活動として成立しつつあるのかという問いに対して現時点で実にしっくり来るフレームとなっている。
 
アフィリエイトの獲得でも、アドセンスでの小遣い稼ぎでもなく、有名になりたいという顕示欲でなく、社会内でポジションを作る基本的な方法として情報を発信して同意を得るというのが肝になりつつある。取り扱う財が異なるので細部は異なるが、オープンソースコミュニティのモデルもBlogコミュニティのモデルも動きとしては類似のもので捉えられる。

この論点について過去一度簡単に触れている

Blogで転職というのはお互い情報を出し合っているうちに、あるべきところに自然と収まり、ついでに居場所も変わってしまったという風に見たほうが実態に近い。自分で書き、RSSリーダーなどで周りのBlogを読んでいるとどんな人がどんなことを考えているのか、自分のレベルがどれくらいなのか、似た興味を持っている人が何を考えているのかが全体感のある中で自然と肌で掴めるようになる。また、公開されてるBlog、割と人数のいるSNSは擬似的な市場として機能しているため、今の仕事でやっていることと外の感覚を自然と比較するようになる。

引用部分では、フィードバックもしくは市場化について触れたが、経済モデルとして一般化すると上記の公文氏の説明に行き着く。
 
 
智業とドライビングフォース
 
なお、前段で智業についてはこのように触れられている。

この情報化の局面では、既存の国家や企業とは異なる、通識の生産と通有にもっぱらたずさわる「近代情報智業」――以下、単に「智業」と呼ぶ――が誕生しつつあると思われる。近代情報智業は、国家主権(公権)や私有財産権(私権)とは区別される共権としての情報権を神聖視する、情報化局面での核主体となる。「情報権」とは、説得/誘導力、とりわけその観念的表現としての理念(アイデア)を、共働して革新・利用(通識の生産やその通有の形での利用を含む)する権利である。各智業は、これまでの国民や市民とは異なる意識と行動様式をもつ「智民」たちの一部を自らの協力者として活動すると同時に、他の智民たちに働きかけて通識を普及させようとする。つまり、産業化局面での市民が、企業の従業員として生産活動に従事すると同時に、企業の生産する商品の消費者にもなるという二面性をもっていたのと同様な二面性を、情報化局面での智民ももつようになるのである。情報化の進展に伴って今後さらに台頭し増殖していく智業は、自分自身をその構成要素とする「地球智場」――以下、単に「智場」とも呼ぶ――と呼ばれる広域的な社会システム――その物理的な表現がインターネットだといってよいだろう――を舞台として「智のゲーム」(抽象的で一般的な説得・誘導力としての「智」の獲得・発揮ゲーム)と呼ばれる社会ゲームのプレーヤーとして活動する中で、智民や智場との共進化をとげていくと思われる。

近代産業資本主義のフレームに寄せて、プロシューマーと読み替える人がいらっしゃるのではないかと思うが、射程はもう少し長い。
 
情報化については、たいてい産業化の果ての第三次産業の進展という見方が良く取られる。しかし、著者は産業革命から延々続く近代化とは別の社会構造が並列して出てきているのではと指摘している。おそらく、この結論の方が正しいだろう。
 
ちょうど裏でイトーヨーカドー、セブンイレブンが金融業に参入しようとしているのは、単純な多角化や参入ではなく、
 

そう、今ここで、ベタな金融や不動産に直接介入するのではなく、インターネット事業や流通業の本質が変わってくるぞ、ということです。

という議論を進めている(引用箇所は知人の発言)。まったくもって同感である。現行の狭義のインターネット産業は世の中を支配しないが、情報はこの世を統べている。
 

智民にとっての智のゲームの意義は、共働を通じての「楽しさ(pleasure)」ないし「共愉(conviviality)」の達成にあるいうこともできるだろう。

Blogに限ったものではないが、社会参加であり、ポジションの獲得であり、生産プロセスであり楽しみでもある。これこそ情報を発信する理由の根っこにあるからではないか。
 
Linuxを支えるキーパーソンのひとりであるリーナス・トーバルズが『それがぼくには楽しかったから』と表明しているのは、単純なユートピア思想の表明ではなく、実利も含めて本質的なことなんだろう。
 
そして、情報と知恵のフリーライドに対して日に日にセンシティブになっているのが何故なのかを明確なフレームで頂くことが出来た。御手洗さんなどとやりとりをした、「今ネックになっているのはサービス取引をスムーズに行える共通認識が無いこと」という問題点ともスムーズに接続されている。先になるかもしれないが、一回腹に落として整理して再度このテーマは取り扱いたい。

そして、書籍の中身が全て公開されているのはなぜか。読めばなぜなのかが良く分かるはずである。

関連エントリ:
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※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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