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Curated Consumptionまたは、べき乗の法則

2004/08/16 12:33
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渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
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先日書いた「情報の分化/消費の分化」に面白いトラックバックを頂いた。

一つはH-Yamaguchi.netでの「Curated ConsumptionまたはParotting」でのそもそもCurated Consumptionはなぜ起こるのかという論考。とりあえず、肝をざっと引用してみる。

ではなぜこのように行動するのか。経済学的にはminimax戦略あたりで説明するのだろうか。経営学的にはこれぞ「ブランド」の効果、と考えるのだろう。ここまで考えて、そういえばと思い出したのが、「ヒューリスティック」と「ごみ箱モデル」という2つのことばだ。

「ヒューリスティック」は、「直感的な推論」を意味する。行動ファイナンスではおなじみの概念だ。「人間の情報処理能力には限界がある。したがって、問題を厳密に考えすぎるのは必ずしも最適とはいえないので、特に重要な問題でないかぎり、全能力をかけては情報処理を行わない(認知的節約者)。このとき」、「短い時間で妥当な結論に達する」ためにとる「厳密なプロセスを踏んでいない」考え方、とでも説明されようか。(「」内は「行動ファイナンス」より)。情報がたくさんあふれている中で、自分が何を選択すべきかわからないとき、自分が好ましいと思う人、あるいは他のみんながやっていること、買っているものを選択すれば、意思決定のための自分の努力を節約できる。また他人に合わせていれば、他人と比べて望ましくない結果は避けられるから、minimax戦略としても有効だろう。

「ゴミ箱モデル」は、Cohen, March, and Olsen (1972)によって提唱された、あいまいな状況下における意思決定モデルである。意思決定問題において、「問題、解、参加者、選択機会」の諸要素が独立に、かつ偶然に存在するため、ある問題に対する解は「論理的必然性よりも、むしろ一時的な同時性によって結び付けられる」と考えるのだ。(ゴミ箱モデルでは、「やり過ごしによる意思決定」という解が生じうることが知られていて、これはこれで面白いのだが、本論とは関係ないと思うのでふれない。)要するに、将来があいまいな状況下では論理的に意思決定を行うことができず、その場で最も解決に近い問題について、その場で利用可能な解が選ばれる。ここでもし、他の信頼できる人がすでに「解決すべき問題」と「それに対応した解」をセットで示しているとしたら、そちらに従うのが楽だ、ということになるのではないか。(ごみ箱モデルについては「組織と意思決定」の解説がわかりやすい。)

何気なく読み始めたのだが、記述が妙にしっかりとしている、と思いプロフィールを確認してみると「Ph.D in Business Administration」ということで、なるほどであった。専門分野が「専門分野はリアルオプション、予測市場、その他ファイナンス、経営学、仮想世界の経済等」ということなので、いち投資家としては是非意見交換をさせて頂きたいところである。

さて、本題に戻って。

ブランド論の基本は、人間の脳みそが判断のショートカットを好むところに帰着する。思考経済というのか、脳は面倒くさがりなのだ。記号化した情報が一連の製品/サービス群の品質保証として「このブランドならこまごま難しいこと考えなくてもいいものに違いない」と判断放棄してしまうことを逆手に取ったのがブランドが成立する所以である。Curated ConsumptionはこのモデルをC2C的に一歩拡張させたものと理解出来る。

つまり、「情報がたくさんあふれている中で、自分が何を選択すべきかわからないとき、自分が好ましいと思う人、あるいは他のみんながやっていること、買っているものを選択すれば、意思決定のための自分の努力を節約できる」。選択は商品/ブランドのどちらもあるだろうが、どちらにせよ判断をアウトソーシングしていることとなる。情報過多でブランドさえも判断材料にならなくなってしまった人間が脳の過負荷が発生しないように適応して編み出した行動パターンと言っても良い。

ゴミ箱モデルの方の「他の信頼できる人がすでに「解決すべき問題」と「それに対応した解」をセットで示しているとしたら、そちらに従うのが楽だ、ということになるのではないか」という解説文も結局は言っていることは同じである。

そして、このエントリから更に一個先にある「HPO:個人的な意見 ココログ版」の「[書評] べき乗の法則、ウェブログ、そして、不公平さ」も面白い。Clay ShirkyのPower Laws, Weblogs, and Inequalityを入り口に書かれたものだが、

オリジナルは2003年の2月に書かれたということなので、1年と少し前になる。米国において、いや英語圏というべきかもしれないが、ブログがどれぐらい日本よりも先行して流行していたのか知らないが、その成熟の過程において急速に追いつきつつあるという感触をもった。

というコメントも合わせて良い視点を頂いた。

「Power Laws」あるいは「べき乗の法則」はこういう現象である。

「勝者がすべてをとる」、「2位は1位の半分、3位は1位の3分の1しかアクセスやリンクが得られない」

というものである。ポータルサイトのアクセスから、当てはまる現象は多い。

成立の前提は

・選択の自由:参加者には広く、かつ自分の意思に基づいた、アクセス、リンクの選択権がある。
・大数の法則:ある程度、すくなくとも数万以上の参加者の数が必要となる。数がすくないうちは、逆に局所的なバランスが観察されうる。
・時間の経過:何度かの選択が繰り返され、お互いに影響し合う過程が必要である。

の三点ということから、サイト一般よりもより狭義にBlogの方が親和性が高い。

モデルが説明するのはちょっとしたきっかけで生まれた2つのBlogのアクセスや注目度の違いが徐々に拡大することで、よく見られるBlogとそうでもないBlogがゲーム理論的に分化していくことである。

こうして、急速にアクセス数の「不平等」が形成される。これは極めて自然なことなのだ。基本的に、この傾向を止めることはウェブログの選択の自由をゆがめることになる(*3)。この傾向の先には、たぶん切込隊長さんのブログや木村さんのブログがそうであるように、もはやコメントやトラックバックのひとつひとつに対応する対話の機能を果たすブログというよりも、メディアに近い存在になる。ブログの作者が一方的に語り、それに対して読者層が勝手にコメントをつけていくという、書き手と読み手が大幅に不均衡な状態になる。

この説明はBurnoutに陥ったBlogで起きている現象そのものであり、Technoratiのデータにも同様の現象が観察出来ている。元エントリに行くと簡単なモデルで動的な遷移を表現したモデルがあるので直接参照頂きたい。分化の過程が素直に分かる。

・・・と書いたところで、鋭い方はお気づきかと思うが、山口さんの指摘されたモデルはCurated Consumptionを補完するように見えるが、反面ひできさんのモデルは「私もあなたもマーサ・スチュアート」とでも言うべきキュレーターが分散化するというCurated Consumptionとはそぐわない。

どちらも分析モデルなので、別に適合するしないによって理論反証されてしまうような大それた話には展開しないが、世の中結局比較的少数の情報発信者に集中するシナリオが強くなるのか、それともC2C的に平べったく分散していくシナリオが優勢なのか問われると理屈の上では、どっちでもありそうである。とりあえずTRENDWATCHING.COMを順に読んでいる感じ、
 ・平準化はまず進行する
 ・が、適度なところで一旦止まる
というのが短期的な動きとして有力となってはいる。その先長い時間をかけて更に平たくなるか止まったままになるのかは、まだちょっと判断が付かない。当てなければならない話でもないので、追いつつゆっくり考えてみたい。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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