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CNET Japan ブログ

千夜千冊を終えて、越えて

2004/07/26 10:44
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プロフィール

渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
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シェラザードとシャハリヤール王のエピソードを受けてか受けずか、2000年2月23日ウェブの片隅でひっそりと始められた書評のアーカイブがある。松岡正剛の千夜千冊である。

中谷宇吉郎の『雪』に始まり『良寛全集』までの千冊を無事に終えたことを受けて達成記念のブックパーティが開催された。師の師にあたることから、編集学校の師の誘いも受け、身一つでお邪魔することとした。

雰囲気をイメージするにはゲスト一覧をごらん頂くのがいいだろう。

杉浦康平、藤原新也、内田繁、浅葉克巳、美輪明宏、高橋睦郎、森村泰昌、井上ひさし、十文字美信、大倉正之助、高城剛、コシノジュンコ、山口昌男、銀河万丈、真行寺君枝、田中泯、西松布咏、坂田明、安彦良和、中村明一、本條秀太郎、福原義春、野田一夫、金子郁容、新宅正明、高山宏、小谷真理、坂井直樹、小堀宗実、上田利男、佐倉統、室井尚、猪野健治、鴨下信一、谷口克広、大岡玲、米山優ほか。

語りから三味線、尺、踊りまで取り入れられた実に豪華な6時間となった。

細かい内容をトレースしても仕方がないので、何点か引っかかったところを。

松岡メディア史観
かつてはコンテンツがメディアを作っていたが、現在はメディアがコンテンツを追い越してしまった時代だという。聖書がゴシック建築の関係を例に出していることから、かなりの長期の変化を念頭においての発言だろう。例えば、古典とされるマクルーハンなども追い越した後という分類になる。分岐点は当日の話の流れや

ただし、この画期的なツールが「音読」されているかぎり、音がすべてをつなげているかぎり、なのである。すなわち、スペルが声であり、スペルが聴覚的世界像とつながっているかぎりは、よかった。

マクルーハンは、印刷文化が人間の経験を解体し、知性と感性を分断したと見た。
 触知的世界像と聴覚的世界像と文字的世界像は分断されてしまったのである。マクルーハンは、それによって人間はつねに慢性的な分裂病的心理状態になっているとも考えた。

このマクルーハン評などを合わせると黙読文化の発生がポイントだと読める。いずれにせよ、タイムスパンは10年20年ではない。普通に考えて思いつく範囲は全てメディア主導のパラダイムにあると見てよい。

という前置きからインターネット的な世界に戻ってくるのだが、メディアがコンテンツに影響を与えるというのは例えば磯崎さんのエントリ「情報のハブとバベルの塔」の

人間の生み出す情報は、同じくCNETで江島健太郎さんが取り上げておられる「バベルのコンピューター」が生み出すテキストのように全くランダムなものというわけではなく、相互に関連しあって「自己組織化」するものだから。つまり、「ハブ」ができればそのハブに合わせて自分を変化させるものだから。

やB-log Cabin TPでの「Google x Weblog による、情報発信遺伝子の交配と進化」の記述にも見て取ることが出来る。その他、ポケベルからケータイへと脈々と続くショートメッセージの文化、SFC松村さんが書かれているメッセンジャーでのコミュニケーションまで小さいところを攫うと事例には事欠かない。むしろ逆にコンテンツが先に来ている事例を探す方が難しいくらいか。

松岡さんはもう一度コンテンツがメディアを追い越す必要があるのでは、と問いかけている。しかし、方法論的なところは今ひとつ掴めていない。というよりは、追い越した状態イメージが掴めないために方法と結びつかない。先週に同じく長期保存となりそうである。

歴史観を失うケータイ
チャット、携帯電話に代表される同時性の高いコミュニケーションツールはアーカイブを持たない。メールにしても流量が増えるとフローの処理が中心となっていくことから、前後の関係は考慮されず、その場その場の反射的対応の比率が高まっていく。コミュニケーションは過去と未来から切り離され、現在時のみに対応することとなる。

以上をもっていきなり社会問題に結び付けてしまうと拙速も甚だしいが、少々手元に引き寄せて考えるとすっきりと受け止められる。ウェブの世界で最近起きていることといえば、情報の断片化と分散化である。サーチエンジンが良く使われるようになり、ファイル単位で情報が流通しやすくなったことなどが原因として指摘出来るが、結果として情報の背後にあるコンテクストが薄くなった。断片的に押し寄せる情報に対してあっちとこっちの関連性を紐付ける場面が少なくなっている感覚を受けている。これは情報そのものが変わったというよりは、断片的な情報に触れる機会の方が多くなり、シェア変動が起こったことから緩やかにシフトが起きているというのが現実に近いだろう。失われたものは読み手が引き受けるしかない。リテラシーは以前より必要になっている。

近いところで、コンテクストを実感したのは最近始まったCNETの新しいBlog、「今日の見どころ」だった。書き手の意図と主張があるコラムコンテンツではなく、まさにエディターとして情報を一つの流れに配置して編集しているだけである。

しかし、情報を上手くスキミングした上でひとつの流れに乗せ、人間の受け取りやすい形でまとめられていると流れを把握しやすい。流れと物語は人の理解しやすいフォーマットだからである。

コンテンツがメディアの形態の影響を受け、かつメディア自身が情報の信頼性を担保出来ないとなると、上記の二つの問題を解くのは「人」に立ち戻ることだろう。古くて新しい問題だが、誰が言っているのかで情報の信頼性を測るのは一つのアプローチとなる。もしくは上記に触れたように、判断根拠を自分の中に持つかのどちらかが古典的で素直なアプローチとなる。

以上、千夜の尾っぽならぬ、ささやかな変奏曲を。

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江島さんより頂いたコメントを受けて追記する形で。

具体と抽象は表裏一体なのだから、現場にも行くが沈思する時間も要るのである。ニュースも漁るが古典も読まねばならないのである。社交と孤独は表裏一体なのである。一生懸命仕事に取り組まれている皆さんこそ、一度はウェブにソースを頼ることの限界を見定めて、処方箋的なハウツー情報の喧噪から少し離れたところで濃い書籍と格闘してみるのはいかがかな、と思う。

ウェブの情報の多くはフローでありアプリに対するデータだと良く感じる。データを積み重ねても処理プロセスの質が上がらない限りはアウトプットの質は良くならない。量が質に転化するケースを除いて物事が水平に広がっていくだけとなってしまう。

では、本をただ読めばいいのかと問われるとそれもまた微妙に異なる。書籍は編集プロセスの都合もあり、一歩引いた視点からまとめることを本質的に要求される。端的に、現場から離れてしまうのだ。話は綺麗なんだが今ひとつしっくり来なかったりリアリティを欠いてしまうこともある。データのないアプリもまた大して意味は無い。
※もちろん、これはあくまで議論上の相対比較の話で、現実の書籍が全て該当するわけではないのは言うまでもない。

話としては、このまま下手に進めてしまうと、「バランス」という実に面白みのない方向性に行ってしまうので、軸を変えて現場感覚というところに足を向けてみたい。

現場感覚、というと良く思い出すのが敬愛する(と言ってもお会いしたことはないのだが)、マーケティング・コンサルタントの阪本啓一氏である。随分前から出されている「Marketing Surfin'」というメルマガはかれこれ学生の頃から愛読している。今から思うと当時はてんで分かっていなかったらここ何年か急速に「読める」ようになった。

氏は現場の体感知を非常に大事にする。大変に読書もされる方だが、どちらかというと、本なり資料は体に落としていくような距離感を取っている。松岡さんのように精緻な構造化を行うのではなく、シンプルな原理に落とし込んで行き細かい理屈は残さない。アプリの数をいたずらに増やすのではなく、原点に立ち返って磨く。店舗分析などを読んでいるとワクワクしてくる。

本もまたただ目を通すだけだと水平に広がるデータとなってしまう。縦糸なり斜めの補助線なりと見つけて構造化していくのは基本読み手がすべきことなのだろう。というところで、ぐるっと回って編集力の出番となる。松岡さんの文章を読むときは読んで分かる分からないもあるが、が情報と情報の間、テクストとテクストの間にどのように糸を引くのかを気にして目を通している。本は、一冊読んでも実は分からない。隣と見比べて、三軒先と関係するか考えてみてやっと分かる。この段階で情報は構造化されるが(垂直軸が加わるかはその人次第だろう)、どの切り口から構造を切り取って使うか、もしくは構造化の質を高めるには現場感覚が必要なのだろう。特に、必要の無いのものを切り落とし、エッセンスだけ取り出すには頭ではなく、体に問いかけていることが多い。

さて、こうなるとでもう一度話はひっくり返る。
Blogは脊髄反射的に書かれるコンテンツが多いことから、現場知に近い。蓄積されていくと、擬似ではあるが現場感覚のようなものが育っていくことがある。つまり、構造的にはアプリの下位にあるデータが上位を統べることに繋がってゆく。

「表裏一体」というのは単純に何事もバランスが大事とかいうレベルではなく、こういう連環の構図に収められるのだと、飽きもせずあちこち目を通しつつ思うわけである。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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