米国発のインターネット関連の情報を読みこなして、日本に適用するときに欠けているといつも感じるものがある。携帯電話。米国モバイルコマース市場については以前コンパクトにまとめたことがある。とにかく全然状況が違う。まとめた後に改めて考えていたが、日本で何が起きるか考える際には、携帯がどのような役割を果たすかを抜かして論を進めると、微妙にズレた議論を延々と進めてしまいかねない。
特に気になるのは定額制がどのような影響を及ぼすのか。KDDIの定額制発表時の記事を見ると、
同社では、毎月パケット料に4000円以上費やしている携帯電話ユーザーが全国に約1000万人はいると見ており
と、定額制の市場を1000万と見ている。3月末時点でのDSLの利用者数の約1120万人よりもややや少ない数となる。これがKDDI一社のものなのか、全キャリアからの推定なのかははっきりとしないが、非常に多い数であることは間違いなく、定額のネット接続環境として、最も使われるサービスにあっさり踊り出ても何の不思議もない。また、キャリア全部の契約者数は電気通信事業者協会のデータに寄ると、8000万人強。参考までに、固定と移動を比較すると伸びと普及率の差は明らか。さらにちなみに、総務省の「通信利用動向調査」の結果を見ると携帯のみからインターネットアクセスをしている層は約1400万人いる(PDFを参照ください)。全体が約7700万人なので、ざっと2割弱。決して少なくない。
接続から決済まで
携帯電話の特徴として、リアルの世界との連動性が高まろうとしていることが加えて指摘できる。後押ししているのは前のBlogでも何度か取り上げているが、Felica。独自の決済機能を持てること、携帯性の高さからチケット・認証機器として使えること、何よりも常に持ち歩いてユーザーとの距離が最も近いことを足して考えると、どの程度使われるのか程度ではなく、どの程度他が浸食代替されるのかという問いかけで物事を見直すくらいで相応しい。
携帯常時接続普及後の変化を探ろうとサービスの使い分け例として、スケジュール管理の方法を何例かヒアリングしているときに聞いたウェブと携帯の優位性の違いが的を得ていた。
・ウェブのスケジューラーだと時々メンテで落ちている時がある。重要な用件の話をするときに、「メンテテンス中」ですではお話にならない。
・アラートのメールがPCのメールに来ても実質アラートにならない。PCは常時使っているとは限らず、メールを確認した瞬間に既に遅いことがある。
・携帯を中心として、データの共有がウェブで行え、PCからも参照出来るのが良い
後から驚いたのが、この時既にクライアントソフトのスケジューラーは何ら選択肢に入っていなかったことである。手帳、ウェブ(PC経由)、携帯の三つから携帯と手帳の組み合わせが使いやすいという意見を聞いてなるほどと思った。
また、三項目目はあっさりした話に見えるが、よくよく考え直すと、オライリーのインターネットOS論をローカライズ(or進化?)させたものに繋がっていく。違いは携帯を十分考慮してアーキテクチャデザインされていること。PC世代がインターネット世代をリード出来ないのだとすると、PC中心インターネット文化圏の人ももしかして携帯やWi-Fiが溢れかえった世界をリード出来ないのかもしれない。
ユーザーグルーピング
携帯普及後の世界を幻視出来るかの分水嶺は、三つの身体感覚が体感出来るかにあると見ている。
1:手(しかも多分利き手)とネットワークが携帯で直結したイメージ
2:目の前にディスプレイがあって対話するのではなく、身体の一部として共に移動するイメージ
3:視界の中心よりもやや端で捉えるイメージ
コンピューティングのパワーを手元に持っているというところから一歩進んで、巨大なネットワークに常時片手首突っ込んだ状態で生活しているという感覚が基本だろう。シャットダウンしてネットワークから切断するという感覚はきっとかなり薄く、電池の切れた状態はイコール、身体機能不全の欠落感に結びつく。
※同様に、Gmailを受け入れられる、られないもプライバシー問題よりも一定の身体感覚の有無で切り分けられるのではという仮説を持っている
携帯で小説が書かれてしまう昨今である。ヒアリング中、他にも利用想定場面として、
・メーリングリストを読むのは、携帯で済ませてしまいたい
・Blogは携帯で細切れの時間を使って読みたい
・最近、ニュースサイトを携帯で読み出したらやめられない
という細切れの時間に合わせたメディア消費をしたいという声があった。「小さい用事」は随時携帯に吸収されていくのでは、と考えている。
画面が小さくて(小説なんて)読みにくいに決まっているという初期の議論は一旦忘れて、何が起きつつあるのかじっくりと観察したい。