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ゲーマー世代は上の世代から見ると「異常に生意気」?

2004/11/08 09:07
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シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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11月1日の本欄「ゲーマー世代の若者といかに付き合うか」へのトラックバックが面白かったのでご紹介しよう。

このエントリーでは、最近出版された「Got Game: How the Gamer Generation is Reshaping Business Forever.」という本の著者インタビュー記事を取り上げた。この著者は、「1970年生まれ以降の人々」を「ゲーマー世代」ととらえる。正直に言うと、僕は昔から全くゲームをしない。だから、この記事を読んでも、ゲームが性格にもたらす影響みたいなことについて、自分の経験に照らして考えるということができなかった。だから逆に、ご紹介した著者の主張に対する読者の方々からの反応がとても楽しみだった。

「Unforgettable Days」からいただいたトラックバック「「ネット世代論」には、ある種の真実があると考える」は、長文の考察がとても面白かった。

前エントリーでは、この「Got Game」という本のテーマの要約に近い文章を9項目に分け、

「(1) ゲーマー世代は、他社や他者を「(ゲームの)プレイヤー」と見なす。

(2) ゲーマー世代は、(ブーマー世代に比べて)、より競争的で、「勝つ」ことへの執着が強い。

(3) ゲーマー世代は、想像し得るどんな問題を解くことに対しても、より楽観的で断固としている。

(4) それは、ゲーマー世代が、成功にたどりつく解(行動の組み合わせ)が常に存在すると信じているからだ。

(5) そのことが、ゲーマー世代を、ものすごく創造的な方向に動かしている。

(6) ゲーマー世代は、企業のリーダーに対して不審を抱いている。

(7) ゲーム世界は階層構造を重視しないし、ゲーマー世代は、自らに対してものすごく自信たっぷりなのだ。

(8) 起業家のように、ゲーマー世代は、成功・失敗は、自分の能力次第と考える。

(9) ゲーマー世代は、(ブーマー世代と比べて)、リスクを取ることになじんでいるが、無謀ではない。」

とまとめたが、その部分について「個人的には、もうちょっと変化させたいところです。」と、以下のように考察される。

敵/味方の二項分類的発想

  • (1)と(6)から「他社や他者を敵キャラと味方キャラに分類して理解する」と統合したいところです。
    つまり、協力できる相手か潰すべき相手かのいずれかで判断することから、対立関係にある他社/他者と落とし処を探ることに対しては苦手であると言えると思います。そして、この特質は(2)へと結びつきます。つまり「妥協」ではなく「勝敗」に執着するのです。
  • 勝敗に執着した結果として「敗者に対して断固で容赦ない態度を採る」と言う傾向も挙げられそうです。
    自分以外の敗者は「プレーヤー」です。取替えの効く存在です。味方であろうと敵であろうと、負けたのであればゲームから「退場」して欲しいと言う想いだけです。ですから、「企業の社会的責任としての雇用維持」などについては、ほとんど理解が及びません。
  • (4)は(3)に対してだけでなく(7)にも影響しているでしょう。「『こうすれば上手くいくはず』と言う論理的結論に絶対的な自信がある」と言うことです。
    その一方で、論理的結論にしがみつく傾向があるために、その通りに進まないと「シナリオ」に原因を求めてしまう。つまり、現実世界で「シナリオ作成」に相当するのは企業や国家のリーダーであったり法律であったりします。そこに原因を求めた結果、より(6)の特質が強化されることになります。
  • そして、この「Unforgettable Days」氏の結論は、

    「この「敵/味方」と言う二項分類的発想が、ゲーマー世代・ネット世代を特徴付ける鍵と言えそうです。結果、「妥協」や「落とし処」と言う考えが生まれにくいのでしょう。」

    となり、「自分の論理を絶対的な解答と信じる様子」、「自分が勝利すると言う自信・楽観論」、「敵への容赦ない対応」といった特徴を理解すると、「ゲーマー世代」への理解が深まると主張される。そしてその論に立って、昨今の日本での議論、たとえば「音楽の著作権問題」などの議論における特徴を例として挙げておられる。

    ネットがゲーマー的価値観を広げる

    また、こうした「ゲーマー世代」の「「敵/味方」二項分類的発想」は、ネットによっても助長されているという。パソコン通信までは参加者数が限られていたネットの世界が、インターネットの登場によって「無限大」に広がったことで、その傾向がぐっと強まったのだと。

    「それまで出会っていた人間と比較すると無限大とも思える人数とアクセス可能なインターネットの世界では、1つの価値観を共有する人たちでコミュニティが形成されていきます。つまり、無限大の価値観がある中で、特定の1つの価値観だけが純粋培養されていくコミュニティができてくるわけです。

    この単一価値観のコミュニティから見ると、その価値観と対立する存在はコミュニティにとっての敵になります。離れた存在であれば問題ありませんが、接点を持てば、純粋性が失われる可能性があるので必死に自分たちの価値観を守るために相手を攻撃して撃退しようとします。

    インターネット上のコミュニティを見て気付くことは、当初、「異文化コミュニケーションができる」ことが魅力とされていたにも関わらず、「同質文化コミュニティに縮退している」現実です。

    パソコン通信のフォーラムなどでも同じ傾向がなかったわけではありませんが、インターネットコミュニティほど、極端ではなかったように感じています。」

    もしこの分析がかなり的を射ているのだとすれば、「ゲーマー/ネット世代」が中心になって動く日本社会のある部分は、アメリカのビジネス競争社会(特にIT産業に顕著な苛烈な競争感覚)と、おそろしく似てくることになるかもしれませんね。

    世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性

    あともう1つ面白かったのが、トラックバックをいただいた「0410.jp/memo/ 教科書は読み終わるけれど、人生は続く」の「世代」というエントリーへの「大分の阿部」氏からのコメントであった。

    「俺の思う現世代の違いは、「世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性が高い」ということですかね。

    例えば、野球少年。小学生の時とかは、隣町の身体がでかいやつをめちゃくちゃ尊敬して、ライオンズの選手なんかは神のような存在。
    まあ、みるテレビ的には巨人の選手なんやろうけどな。

    でも、今はテレビでもネットでも雑誌でも、いきなりボンズがみえる。
    ボンズ知ってる小学生、多分かなりいる。俺がハナタレの頃は、メジャーで知ってる選手は、ノーラン・ライアンをファミスタで名前だけ知ってたくらい。
    しかも、メジャーはどうやら世界最高レベルと、大人が言う。

    サッカーでも、いきなりロナウド。
    中田の日記までよめちゃう。

    こうなると、
    ・隣町の身体がでかくてホームラン打つやつへの尊敬の念は薄れる
    ・コーチの言う教えが、絶対でないと思ってしまう
    ・日記とか読めるから、妙に「世界最高」に親近感が湧く
    ・情報は本当に溢れてるのに、結構みつけやすいから、どんどん深みにはまっちゃう

    他にもいろいろ言えるね。
    まあ、上の世代からみれば、要するに、生意気だな。異常に。」

    「現世代」は「世界最高と言われる人やモノへの情報のアクセス可能性が高い」ですか。なるほど、面白い。
    ではまた明日。

    ※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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