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日本におけるMBA教育の意味

2004/05/25 09:16
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シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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 どこかで書いたような気もするが、気にせず書こう。かつてアメリカの大学で教鞭をとっていたとき、さらにまた帰国後にMBAのクラスや様々な幹部研修に関わっている身として、これまでに幾度か、あるタイプの人々に遭遇した。「自分自身で何も決められない人々」である。

 教師や上司にお墨付きを与えられないと動こうとしない人々。否、動けない人々。教師から答えを与えられないと納得できない人々。昨日のログで言えば「自信」のない人々である。

リスクを取って自分なりの答えを出す能力を

 そういう人に限って「ミスターオカダ、あなたの今日の発言はこの教科書に書いてあることとは違う。今度の授業で訂正してください」などという。私はこれを「テキストブック症候群」と呼んでいるが、教科書に書いてあることが常に100%正しいなどということはありえない。上司が常に正しいとは限らない。一定のリスクは覚悟で「自分で判断・評価し、行動できること」当たり前のようだが、これが日本におけるMBA教育の本旨なのかもしれないと時々思う。

 というわけで、私が評価する学生は自己学習能力が高く、鼻っ柱の強い自信家タイプだ。自分をしっかり主張できる人だ。こういう人種が今後の日本を引っ張っていくのだと信じている。

 今日は日本におけるMBAの話をします。といっても、どの学校がどうのこうのといったことではなくて(この手のことは巷のビジネス紙や他のサイトでご覧ください)、日本で日本人が受けるMBA教育の意味、もたらす価値について考えたい。

増えてきた国内MBA

 これまでは、MBAといえば海外留学しか選択肢がほぼなかったが、日本でビジネススクールが急速に増えだしたここ数年、特にこの1、2年で海外b-schoolに対して「国内MBA」という言い方が出てきた。Yahoo! JAPANのディレクトリーにも「ビジネススクール」というものが存在するし、国内MBA校を対象にした受験指導サービスまであるというのだから驚きだ。あるデータによれば日本にはMBA課程が少なくとも28校ある。Googleに「MBA 日本」とタイプするだけで、相当な情報が日本語で出てくるようになっている。選択肢の1つにはなってきたようだ。

 さて、MBA教育とは何だろう。人によって求めるニーズも違えば、その定義も異なるのだが、私は次の2つの目的を達成することだと考えている。

 第1は、日本であれ海外であれ普遍的にMBA教育がもたらすものだが、各経営機能分野(例・財務、会計、マーケティング、経営戦略、生産管理、人的資源管理、情報システムなど)を満遍なく学び、機能横断的・総合的視野で企業経営を考える能力を体得すること、もしくは教員の立場から言えばそうした人材を実業界に輩出することだ。

 第2の目的は冒頭の挿話とも関係するが、特に日本で重要だと思っている。すなわち、「自分で物事を判断・評価し、行動できる」能力を身に付けること、いわば人間としてひとり立ちすることだ。「何を寝ぼけたことを。そんなの当たり前だ」という人もいようが、これがなかなかむつかしい。

意思決定の機会が少ない日本の大企業

 大企業であればあるほど、組織の階層は増え、業務は細分化されている。自分で何も考えなくても、単純に与えられたことを日々誤らずに遂行しさえすれば評価され、「無事に」済んでいく。

 相当に職階が上がっても自己責任で意思決定を下す局面に遭遇しない。本来、責任とはそれを「取れること」「与えられること」に充足感を覚えて、能力を認められた証として誇りにこそ思うべきだと考えるのだが、世の中には責任とは「取らずに済ませるべきもの」、「できる限り回避すべきもの」、「縁起の悪いもの」と誤解し、「そんなことしたら責任取らされるじゃないか」と言う人種に遭遇することが多い。これでは自分の成長機会を自ら奪っているようなものだ。

 生来は非常に優秀な人材も、組織内部における処世術に心血を注いでいては、日本の起業家社会の発展に寄与することはない。そうした有為な人材をさらに強くし、企業社会で再配分することが、日本のビジネススクールの大切な役割のひとつではないか、と思う。

 ビジネススクールにおけるケースメソッド教育とは、自分の責任において状況を分析し、問題を設定し、解決策を模索するためのツールである。ただしこのメソッドは人を選ぶ。単に作業として流して単位を取れれば良いと考える人(学費がもったいない!)と、それに真剣にまじめに緊張して取り組んで「意思決定の鍛錬の場」として活用し続ける人の間では、2年間で圧倒的な差がつく。

 前者はあいかわらず「自分で何も決められない人」のまま卒業していくし、後者は見違えるような「自信」にあふれた人材として羽ばたいていく。前者を後者に変えるのが教育だろ、といわれるかもしれないが、こればかりは「気付き」の問題で、他者が決定的な役割を果たすことはなかなか出来ない、というのが私の経験上の理解だ。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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