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ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」

2004/05/19 09:22
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umeda

シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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本欄4月21日「インターネット時代をリードできない「PC世代の限界」」の反響は真っ2つに分かれた。世代論をやると大抵そうなるのだが、「世代で議論するのでは無意味で、個々にきちんと見て議論せよ」という考えを持つ真面目な人が多いからだ。そんなとき、また世代論で返すと再びお叱りを受けそうだが、このエントリーは、僕と同世代かまたは上の方(つまり「PC世代」より前)からは反感、若い人(つまり「インターネット世代」)からは共感を得たような気がする。別に若い人に迎合するつもりは全くないのだが、インターネットの隠れた本質みたいなものを当然のこととして身体で理解している世代、と、古い常識を身にまとっている世代との差は歴然としてある、と思っている。

何だ「そのインターネットの隠れた本質」っていうのは!、その差は何かはっきり言え!と、またお叱りを受けそうだが、思考途上の今のところはまだ、説明がちゃんとできないところで感ずるところを書いているので、隔靴掻痒になるのは否めない。今日は1つだけ、そのヒントになるかもしれないポイントを指摘してみたい。むろん世代間の差はこの1つのポイントで語りつくせるものではない。そして、議論の土台のために提示する粗っぽいものであることは承知の上で書いてみる。

ネットの向こうの不特定膨大多数への信頼の有無

キーワードは、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼(トラスト)の有無」である。ネットの向こうに存在する千万単位、億単位の見知らぬ人々(有象無象)やその知やリソースを、当たり前の存在として心から信頼できるのが「インターネット世代」、頭では仮にわかっても心からは信頼できないのが「PC世代」。というのが、最近僕が感じていることを何とか言葉にしてみた結果である。この「信頼」が存在するかしないかで、製品企画、サービス企画、技術開発の方向も皆、ずいぶん違ってくる。

たとえば、「人力検索サイト はてな」は、その道の権威に何かを質問するのではもちろんなく、誰に向かってと特定するのでもなく、自らの問いをネットの向こうの中空に投げかける。「会員の母集団が多ければ、誰かはわからないけれど、きっと名答を返してくれるだろう」という世界観がベースになってサービスが構想され、今日に至っている。この感覚は、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼」が存在することと同義だ。

オープンソースそのものや、「オープンソース的コラボレーションが社会を変える」でご紹介したような事例もまた、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼」が拠り所として存在している。

Sotto Voceの村山尚武さんがご自身のBlogで書かれた

「オープンソースは単にボランティアの活動に依存して独占的でない知的所有権を形成し、コストを引き下げる手段ではない。(略) 創造の結果だけでなく過程を共有することによって参加者が互いに触発し合い、これまでに無かったもの、素晴らしいものを作ることができるのだ。それはまた、無数の凡人が互いに思考を共有し、足りない部分を補い、アイディアの連鎖反応を起こすことにより、より大きなインパクトを(大げさに言えば)文明に与えることを可能にするのである。」

における「無数の凡人」という表現は、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」と重なり合う。

インターネット上に分散する人々の力

「インターネット世代」の若い友人、川野俊充さんは、3月に5日間、本欄のゲストブログを担当して下さったわけだが、「世界のオタクパワーを借りて日本アニメの海外進出を」は、タイトルこそ「オタク」とか「日本アニメ」といったキーワードに偏っているが、彼の問題意識は、

「インターネット上に分散している多くの人の欲求/暇/関心などを束ねて何かを解決/実現するためのリソースに変換してしまうこうした仕組みは、ひとつのパラダイムシフトの象徴であると私は思っている。」

「こうした「ネット上の特定の場所に密集している未開拓の人的リソース」というのは実はほかにもいろいろと存在している。積極的にビジネスに生かせば今までにないことができる。」

という彼の言葉に集約されているように思う。また同じく川野さんの「世界に広がる人力分散システム」も、彼の想いがほとばしっているように思える。

文中の「インターネット上に分散している多くの人」「ネット上の未開拓の人的リソース」というのは、村山氏のいう「無数の凡人」、本稿で言う「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼」と、やはり重なり合うと思うのだ。

考えてみれば、「インターネット世代」の象徴たるGoogleだって同じである。

たとえば、Googleを辞書代わりに使う人が増えてきているが、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」がネット上に、「辞書を作る」などという概念などさらさらない中で勝手に書き込んだコンテンツの集積でも、その量が膨大になり、検索機能が完璧にワークすれば、たちまち辞書としても使えるものになってしまう。こんな発想は、「PC世代」からは出てこない。

検索が今注目される理由

「なぜ今サーチ(検索)なのか」ということ、つまり、サーチという技術が現代IT産業の中核技術にのし上がってきたことと、「インターネット世代」が無意識のうちに有する「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼」とは、やはり呼応するものではないかと考えはじめている。

サーチといえば、米国学会誌「ACM Queue」の最新号はサーチの特集である。その中で、サーチの老舗VerityがEnterpriseサーチについて長文の論文「Enterprise Search: Tough Stuff」を書いている。その中にこんな文章がある。

「Enterprise search differs from Internet search in many ways. First, the notion of a "good" answer to a query is quite different. On the Internet, it is vaguely defined. Because a large number of documents are typically relevant to a query, a user is often looking for the "best" or most relevant document. On an intranet, the notion of a "good" answer is often defined as the "right" answer. Users might know or have previously seen the specific document(s) that they are looking for. A large fraction of queries tend to have a small set of correct answers (often unique, as in "I forgot my Unix password"), and the answers may not have special characteristics. The correct answer is not necessarily the most "popular" document, which largely determines the "best" answer on the Internet. Finding the right answer is often more difficult than finding the best answer.」

インターネットサーチとエンタープライズサーチは「Good」の概念が違うのだ、とエンタープライズサーチの雄であるVerityは主張する。この文章は面白いから是非、この英文を読んでみてください。ここで述べられているインターネットサーチとエンタープライズサーチにおける違いも、僕が感じている「インターネット世代の発想」と「PC世代の発想」の違いの本質と、重なっているように思う。

Appleが提示したビジョンの限界

こうして色々と考えていくと、「PC世代」の一人として、どうしても行き着くのが、Appleが1980年代後半に提示した「Knowledge Navigator」というコンセプトだ。

あの「Knowledge Navigator」で、Appleがビジョンを提示はしたが実現できなかった世界と、2004年現在、インターネットブラウジングとGoogleをはじめとするサーチの組み合わせで成し遂げられた世界との、違いの本質は何なのだろう。

これについては色々な角度からさまざまな意見があると思うが、僕は、当時のAppleのビジョンに、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼」という概念がなかったことが、差として大きいのではないか、と思う。当時、Appleの「Knowledge Navigator」のプレゼンテーションビデオを何度も見せてもらったが、当時の僕の素朴な疑問は、Knowledge Navigator世界を実現するために必要な「膨大なコンテンツ」のソース(源)はどこなのだろうということだった。なにぶん昔の話だし、ビジョンレベルの話だから曖昧だが、Knowledge Navigatorにおけるコンテンツ観には、どこか「計画的」な匂いがしたのを覚えている。大学、研究機関、図書館、広く認知された専門家・・・・といった、いわゆるエスタブリッシュメント「知」を集積・統合するようなイメージがあった。現在の「インターネットブラウジングとGoogleをはじめとするサーチの組み合わせで成し遂げられた世界」との違いは明らか。それは、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼の有無」。ここに、「PC世代」と「インターネット世代」の違いの一端を感ずるのである。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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