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ネットがもたらすプロフェッショナルへの新しい道

2003/09/18 10:05
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umeda

シリコンバレーで経営コンサルティングを行なう傍ら、ベンチャーキャピタリストとしても活躍する梅田望夫さんが、IT業界の先を読むのに役立つ英文コンテンツを毎日紹介していきます。これを読めば、英語と業界動向を読む力が同時に身に付くはず(このブログの更新は2004年12月30日で終了しました)。
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Microdoc Newsの「Mass Amateurisation, Blogging and Google」というタイトルをみてインスパイアされたので、今日は、この「Mass Amateurisation」についてことについて考えてみよう。この言葉はどう訳そうか。とりあえず「総アマチュア化」とでも訳しておくことにしよう。

もともとMicrodoc Newsのこの文章は、Tom Coatesが書いた長文のBlog「(Weblog and) Mass Amateurisation of (Nearly) Everything」や、Clay Shirlyの昨年の論考「Weblogs and the Mass Amateurization of Publishing」に対する意見として書かれたもの。この「Mass Amateurisation」という言葉は、「Blogはジャーナリズムや出版のアマチュア化」ととらえる文脈でもともと使われたものだが、今日はそういったBlog周辺の狭い議論は省略し、「Mass Amateurisation」というより大きな流れについて考えてみたい。

「誰でもできる」ムーブメントはマスをエンパワーメントする

Microdoc Newsのこの記事では、

「The concept of mass amateurisation is that kick in the guts -- amateurisation is a pejorative term, belittling the efforts of thousands of webloggers.」

「mass amateurisation」(総アマチュア化)という概念が軽蔑的な表現だと批判した上で、こう書く。

「The “anyone can write” movement and its attendant “anyone can composed” movement, to “anyone can film” is a move to empower the masses to communicate. This is a trend of empowerement rather than a trend of amateurisation.」

「誰でも書ける」「誰でも作曲できる」「誰でも映画を撮れる」ムーブメントは、マス(一般の人々)をエンパワーするものに他ならないから、このトレンドは、アマチュア化ではなくてエンパワーメントと呼ぶべきだと、この文章は主張する。

「The concept of amateurization by definition identifies the people who now can participate in an activity as being a group of amateurs trying to do what others work at in a professional capacity.」

「There are many professionals who are really concerned for their jobs, and their position because many of the newly empowered people are indeed taking away from the professionals their honored position(s) in being those professionals who lead.」

この2つの文章はとても示唆的である。

アマチュアという言葉の反対語は言うまでもなくプロである。

「mass amateurisation」の大きな流れは、今現在何かの領域でプロを自認して飯を食っている人にとって、膨大な新規参入者(アマチュアと言ってもいいし、エンパワーされた人々と言ってもいい)が、ものすごく大きな脅威になる。これこそが「mass amateurisation」現象の本質であるという問題提起である。まったくその通りだと思う。

「プロフェッショナル」の本質は何か?

ただ、このプロとは何であるか、ということを真剣に議論する必要があろう。

プロが真の実力者を意味するものなのであれば、いくらアマチュアが大量に新規参入してきたって、どうってことない。ここで脅威にさらされているのは、エンパワーされたアマチュアに直接勝負を挑まれると負けてしまう「実力で劣るプロ」である。

ではなぜそういう「実力で劣るプロ」が生まれるのか。それは従来、「しかるべきプロセス」を経なければ、プロになれない分野が多かったからである。ある分野のプロになるためには、人生のかなり早い段階でそのプロになることを選び、「しかるべきプロセス」の中に身を投じなければならない場合が多かったからである。早い段階でその道を選ばなかった人たちには、プロになる門戸は閉ざされた。よってプロの世界は「競争が局地的な狭い世界」になり、「しかるべきプロセス」を経たというそのこと自身が既得権化した。

「しかるべきプロセス」の中で経験を積んではじめてプロになるというこれまでの常識は、経験を積む機会がその「しかるべきプロセス」の中にしか存在しない特殊条件下のことだったと考えるべきなのではないか。「mass amateurisation」というのは、そういう問題提起なのだと僕は考えている。

たとえば日本がまだまだ貧しい発展途上国だった時代には、海外に行くなんてことが普通の人にとって容易でなかったし、海外の人々の肉声が我々の耳に届く機会なんてほとんどなかった。そんな状況下で、たとえば国際ジャーナリズムのプロを目指すためには、「一流の大学を出て一流の新聞社やテレビ局や出版社に入って実績を積み海外に出る」というような「しかるべきプロセス」の中に身を置く必要があったわけである。でも今はぜんぜん違う。ジャーナリズムの世界とは無縁の分野で深い経験を積んだ人が書くもののほうがうんと面白い場合もあるし、それらがどんどんネットで簡単にpublishingされ、人々に訴えかけるようになっている。

たとえば、コンピュータのプログラムを書く、という仕事。僕が大学を卒業した1983年には、いいコンピュータを思い切り使わせてもらえる環境(VAXがふんだんにあるとか)にきちんと身を置く(つまり、大学に残るか、国の研究所やNTTの研究所や大手メーカーに入る)というのが、プログラムを書く仕事でプロになるための「しかるべきプロセス」であった。でも今は違う。誰だってPC1台あればいくらでもプログラム技術を磨いていくことができる。

たとえば、今起きているオープンソース現象とは、インターネットの普及とコンピュータの低価格化によって「しかるべきプロセス」の中にしか存在しなかった環境が、おそろしい勢いでコモディティ化したゆえに起きたものととらえることもできる。オープンソース世界で超一流プログラマーと認められている人たちの中には、昔なら在野で埋もれていたであろう才能が多かろう。

つまり「しかるべきプロセス」の権威というのは、環境の希少性によって支えられていたのである。

そして「しかるべきプロセス」の出身者であるからプロなのだという既得権的保証が、今、崩れようとしているのである。

エンパワーされたアマチュアの膨大な新規参入によって、「しかるべきプロセス」の出身者しか存在しなかったさまざまな分野のプロの世界に、はじめて「実力主義」の風が吹こうとしているのである。

「しかるべきプロセス」以外の道で輝く人

僕は世の中で活躍する人の中には、2つのタイプの人がいるといつも思っている。

第一タイプは、既存の体制によく親和して、何かを成し遂げようとするときには「しかるべきプロセス」の中に自然に身を置いて、その中で着実に経験を積んでいくことを喜ぶ(厭わない)というタイプである。日本のエスタブリッシュメント層の大半は、こういうタイプの人たちである。

第二タイプは、何かを学ぶのも何かの経験を身につけるのも自己流。学校や大組織のような秩序立ったところにはあまり親和せず苦労するが、混沌とした社会の現実にぶつかる経験の中から、独力で頭角を現していくタイプである。

たとえばフォーサイト連載で取り上げたプログラマーの石黒邦宏さんなんかはその第二タイプの好例である。彼はコンピュータサイエンス学科でもなんでもなく、正規にコンピュータを勉強したことはない。プログラミングは独学。アルバイトで実力をつけ、リチャード・ストールマンの「Emacs」のソースコードを読んで、プログラミングの作品性に目覚めたという人だ。彼は、たった1人3年がかりで、ルータのソフトを開発し(5万行)、「尊敬するリチャード・ストールマンへの挨拶代わり」という気持ちで、ネット上にそのソフトをオープンソース化して公開した。そのソフトが欧米の投資家らに認められたことがきっかけで、今は、シリコンバレーでベンチャーを創業し、CTOとして活躍している。

こういう第二タイプの才能がエンパワーされて世に出やすくなる現象こそが、「mass amateurisation」なのではないだろうか。

むろんすべての分野でそれがあてはまるわけではない。たとえばバイオテクノロジーやナノテクの世界は、コンピュータサイエンスにおける20年前と同じように、ある種の正規の組織に属して経験を積むことが決定的に重要な世界なのだろうと思う。それは環境が高価で、ノウハウがまだまだ希少であるゆえ、「mass amateurisation」現象が起こっていないためだ。

でも、ジャーナリズムやプログラムの分野に限らず、音楽の分野、映像の分野、ありとあらゆる知的作業のための環境が低コスト化、コモディティ化するにつれて、第一タイプのエスタブリッシュメントたちを、第二タイプの在野の実力者が脅かし始めるという構図がいたるところで現れてくる。それが21世紀の「仕事の現場」なのではないだろうか。

僕は、「mass amateurisation」現象とは、そういう新しい世界が訪れることだととらえて、とても好ましく面白い変化だと思っているのだ。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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