著者:ベン・リリー
翻訳者:岡田祐輝
写真:ジェームズ・ダンカン・デービッドソン
ジェイソン・マックキューは、「ウクライナのユリアを解放せよ」と書かれたTシャツを着てステージに上がりました。それは、2011年に投獄されたウクライナの政治家である ユリア・ティモシェンコのことで、彼がこれから話す、テロリズムと法律に関する議論に関連します。
「私たちは新しい形のテロリズムと戦っているのです」と彼は言います。従来のテロリズムにおける認識は、それが純然たる犯罪行為であり、完全な武力をもって戦うべきもので、恐ろしく時代にそぐわないものだと言えるでしょう。代わりに、マックキュー氏は私たちにテロリズムをブランドという観点で考えるように勧めます。「テロリズムをコカ・コーラみたいなグローバル・ブランドのように見てください」「いずれもとても健康に悪いものです」観客の笑いを誘います。
しかしマックキュー氏はこれを真剣に指摘します。テロリズムは「欠陥製品」と彼は言います。「健康に悪影響を与え、それに作用するものにも悪い影響を与えます。自爆テロ犯においても同様です。その缶に記載された但し書きは何一つ正しくないのです」と、彼は有名な英国の広告スローガンを引き合いに出します。
「天国では72人の処女なんて得られません。そんなことは起こり得ません」
テロリズムをブランドとして見ることは、弱点を見つけ出すことにもつながります。グローバル・ブランドと同様に、テロリズムは消費者に認められる必要があります。これには、かなり簡単な戦略を用いてダメージを与えることが可能です。はじめに、立ち向かうことでその市場占有率を抑えることが私たちにはできます。「私たちのほうがより良い製品であることを示せばいいのです」と彼は言います。「もし私が、私たちの方がより良い製品だと示すのであれば、グアンタナモ湾で起きたような事件は起こさないでしょう。」 次にテロリズムを拡大する要因となる、貧困や不正に対して取り組むことで製品自体の潜在的な需要を抑える必要があります。
これによって、私たちは製品をこき下ろす、ないしは、「ブランド神話に攻撃を加える」ことができるのです。ブランド・テロリズムの危険性を暴くことで、殺しにヒロイズムは存在しないことを明らかにすることができます。この本質は、テロリズムの出資者や扇動者に対してのみ焦点を合わせるのではなく、テロリズムを消費する人々にも向ける必要があるのです。「それらの人々の母国に足を踏み入れる必要があります。そこで彼らは勧誘され、力と強さを身につけるのです」その時点で彼らと向き合い、教え諭す行動を起こすのです。もちろん、彼も認めていますが、「事実上、私たちはここで、悪魔とダンスをすることになります」それでも私たちのほうがマシであり、説得を実施して他の「製品」は役に立たない事を示す必要があるのです。
これを行う最も良い方法は、彼曰く、テロリズムの被害者を支援し、助成することだと言います。ここで、彼は観客に苦笑いを誘う告白をしました。「皆さんを爆弾で吹き飛ばしたかったのですが」「TEDでは、健康や安全上の理由により、先にカウントダウンを行う必要があります」観客に心臓発作を起こさせない案ではあるものの、3-2-1と数えた後に響き渡った偽物の爆弾による爆発音は、周囲に座っていた人々を驚かすには十分な音量でした。
マックキュー氏が、何が起こり得たのかを説明するにしたがって、観客は静まり返えります。「15Jの席に座っていた女性は自爆テロ犯でした」と彼は言い、私たちは皆被害者でし。総勢625人、私たちの人生は一瞬にして変わってしまったのです。「そこの席には父親とその息子が座っていました」講堂にあるその場所に彼は指を向けます。「息子は死に、父親のみ助かりました。父親は恐らく何年も息子の代わりにその席に座らなかったことに対して自分を責め続けるでしょう。お酒に溺れ、恐らく3年以内に自殺をします。これが実際の統計です」
まだあります。そこにいる「若くて魅力的な女性」は、爆弾により飛び散った「人の破片」によって怪我をし、何十年も苦しむことになります。別の女性は足を失うでしょう。政府から支給される支援のための医療費は微々たるもので、彼女の娘は、母親の介護のために大学を諦めることになります。その他の皆さんは一生心に傷を負ったまま生きることになります。
要はこうです。「私たちは、一時的に同情するものの、時が経てば見向きもしません」とマックキュー氏は言います。「私たちは社会として十分に機能していません。被害者に対して世話をしません。この被害者たちこそが、更なるテロリズムに対する私たちの最大の武器なのにもかかわらずです」
だからこそ、マックキュー氏は世界の法制度を用いて、人権問題に取り組んでいます。彼は自らの仕事を「lawfare(法律福祉)」と呼んでいます。「以前、テロリストに対して民事訴訟を検討していた頃、私たちは頭がおかしいと思われていました」彼はそう事もなげに語りました。彼が最初に担当した事件の一つは、北アイルランドのリアルIRAによる1988年のオマー爆破事件と関連がありました。その事件が政治的な和平プロセスの最中に発生した出来事だったため、一度も起訴されることがなかったのです。これは爆破実行犯が、事件後も比較的小さな地域において引き続き自由の身でいたということです。マックキュー氏曰く「被害者の家族と同じスーパーマーケットで買い物をしている状況」でした。そこで刑事訴訟の代わりに、被害者のグループがマックキュー氏に協力し、民事訴訟を起こそうとしています。現在、申し立て中である中で、訴訟は大きな影響を与えているとミックキュー氏は信じています。「ただ、正義が成し遂げられるだけではありません。Real IRAや他のテロリストグループにとって、彼らの大義は社会的弱者である点でした。それに対して、反対に被害者を弱者に置いたことで、彼らはどうすればいいかわからなくなったのです。彼らは恥をかかされ、勧誘活動は抑えられました。この活動によって爆弾事件は収束し、被害者たちはテロリスト組織に付きまとう亡霊となったのです」
訴訟を起こすこと以外に彼が続けているのが、この強力な対テロリズムツールの普及活動です。貧しいテロリズムの温床地域に対して関わりを持つことで、内側から変化を作り出すことです。「こういった活動はミサイルや、兵士の命よりもはるかに低コストです」もちろん、簡単な道のりではありません。政治的にリスクもあります。彼が対話をしたあるグループは彼の主張に賛成でないといって石を投げつけ、また彼の主張に賛成した際にも空に向けて発砲した話を紹介しました。いずれにしても大変だったと彼は肩をすくめます。
21世紀のテロリズムは単なる軍事介入にとどまりません。「私たちはもっと現代的で柔軟な反応を育む必要があります」マックキュー氏は静かに、そして情熱を持って語ります。「テロリズムに対して優しくなるということではありません。現代的な戦場における戦いなのです」
最も大切なのは、いくつか大きく、そして重要な問題を、問うこと、そして答える必要があるということです。テロリストたちは本当に世界の注目を集めるために爆弾に頼る必要があるのでしょうか?私たちの目を覚ますのは爆弾のみなのでしょうか?社会を変えるためには危機が必要なのでしょうか?私たちは受け身であることを辞めて、先を見越して行動をする必要があることを彼は主張します。そしてかつて歌われた劇場のシアターサウンドシステムより響き渡るローリング・ストーンズの歌のように、悪魔を憐れむ方法についてもっと学ぶ必要があるのかもしれません。
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