著者:ベン・リリー
訳者: 水谷佳代

写真:ジェームス・ダンカン・デービッドソン
「学ぶこととは場所ではない、活動だ」とアンドレアス・シュライヒャー氏は述べます。彼はPISAとしても知られる OECD生徒の学習到達度調査を率い、教育システムの国際比較が、学生の学習における国際的水準を引き上げる助けとなることを証明するためにここにいます。
まず、簡単な歴史、そして観客のアメリカ人に必要なレッスンから。1960年代、米国は国際教育において1位でしたが、1970年代にはいくつかの国に並ばれ、1980年代にはそれ以上の国に追いつかれ...そしてその傾向はそれ以来変化していません。現在、韓国のような国が教育における可能性を示しています。「2世代前の韓国は、アフガニスタンと同じような生活水準でした」と、シュライヒャー氏は言います。「今では、すべての若い韓国人は高等学校を卒業します」
教育水準を測定する際の問題点の一つは、何を成功の指標とするか考えることです。昨今では、簡単に誰がどんな学位を取得したかで測れるような問題ではなくなってきました。求められているのは、正式な教育課程を終えた後、役に立つスキルです。「必死に職を探す卒業生をご覧なさい、だが企業側は私たちに必要なスキルを身につけた人材が見つからないと言うのです」とシュライヒャー氏は言います。「これは優れた学位を持っているからといって、より良い技能、仕事、生活につながるわけではないことを示しています。PISAではこの状況を変えようと努力しています。学生が彼らの知識から推定し、新しい状況に適用できるかを確かめたいのです」
2009年に、PISAは74もの教育システムを測定し、いくつかの際立った統計を見つけました。「上海の15歳とチリの15歳の間には3年の開きがあります」と彼は言います。(実際には7年の開きがある国もいくつかあります。)これらは際立った数字であり、観衆の人々はすぐにこの現実を受け入れました。
ご想像のとおり、PISAは結果のみを見ているわけではありません。文化的背景や、社会面での公平さといった問題なども考慮して、子供の背景にある要因のどれほどがその子の教育の資質に影響しうるか検討します。背景はときに多大な影響を与えることもありますし、影響しない場合もあります。しかし、明白なのは、いかなる国も、学習水準の低下と大きな社会的格差を共に抱える余裕などないことです。多くの人はこう尋ねます。「学習水準の向上と格差があった方が良いのでしょうか?それとも、公平でも月並みの学習水準を受け入れた方がいいのでしょうか?」シュライヒャー氏が示すようにそれは誤った選択です。実際に多くの国では学習水準に卓越性と公平性を兼ね備えています。中国や韓国、それにフィンランドといった国は現在、様々な背景を持つ全ての学生に卓越した教育を提供しています。そして、人を選別するのみの教育といったパラダイムから抜け出そうとしている国にとって重要な教訓を提示しています。
シュライヒャー氏はまた、単に問題にお金を費やせばいいというのではないことを示します。どのようにお金を費やすかがより大切なのです。彼は韓国とルクセンブルグを比較します。韓国では教師の誘致や、長い授業時間、そして、教師の専門能力開発に多くの費用をかけます。これを可能にするため、彼らは大規模で、安価な授業を提供します。ルクセンブルグは、韓国と同等の費用をかけますが、小さなヨーロッパの国では、親や政策立案者は少人数クラスを好みます。従って彼らは高価な少人数クラスに費用をかけるため、教師の給料は高くありません。授業時間も短く、教師は教えることにしか時間を費やせません。

写真:ジェームス・ダンカン・デービッドソン
2000年以降、国は教育費を35%引き上げて投資してきました。私たちは以前より成績が良くなったのでしょうか?「残念ながら、多くの国は、良くはなっていません」とシュライヒャー氏は言います。繰り返します、これはお金だけの問題ではありません。システムに問題があるのです。シュライヒャー氏の母国ドイツは2000年の成績がひどく、反省のため公開討論を召集することになりました。結果として、連邦政府は教育への投資を引き上げ、移民に対する社会的不利の解消に向けて努力しました。「これは単に既存の政策を最適化するためだけではありませんでした。データはドイツの教育の根底にあるいくつかの考え方を変えたのです」と彼は言います。数年後、変化は実を結びつつあります。
さて、高いレベルでの公平さや学習水準を達成した国から、私たちは何を学べるでしょうか?一つの状況ではうまくいったからと言って、これを他への教訓として提供できるでしょうか?「教育システムをコピー・アンド・ペーストして大規模に展開することはできませんが、そこにはいくつか共有できる要因があります」シュライヒャー氏はそう認めています。「真実を見極めるには、教育とその他の優先順位を天秤にかけてみることです。教師にどれくらい報酬を支払いますか?子供には教師になって欲しいですか?それとも弁護士になってほしいですか?メディアは教師のことをどのように報道していますか?私たちは、学習水準が高いシステムを持つ国では、リーダーが市民に教育を尊重する選択を促していることを学びました。
鍵は何か:子供は成功する可能性があるという信念です。日本や、フィンランドでは、親はすべての学生が成功する事を期待し、その期待は子供の行動に影響を与えています。PISAで優秀な人はまた学習の機会を自分なりにアレンジして、明確な基準を共有することで、すべての学生が彼らに求められているものを理解します。これは教師が何を教えるべきかを自律的に理解するのに非常に役に立ちます。そして、彼ら独自のやり方で教える力を与えます。「昔は知恵を与えられるのみでした」とシュライヒャー氏は言います。「今は利用者が生み出した知恵も有効です」

写真:ジェームス・ダンカン・デービッドソン
おそらく、教師自身への投資が最も重要でしょう。教育を施すものの進捗状況や成長は大切で、彼らが学習を続けていける支援環境をつくることは重要です。高い成績の国では、過去の試験結果を参照し、広い外の世界での生活に向けて、教師が教育を革新し発展することを許容するシステムがあります。
シュライヒャー氏の統計で最も印象深いのは多分これです。高い成績の国では、学校間における成績の差はわずか5%です。「すべての学校が成功しているのです」と彼は言います。「成功が浸透しています」
研究には限界があることをシュライヒャー氏は認めています。PISAは国に何をすべきか伝えることはできません。しかし、他国の状況を示すことはできます。そして政策立案者に、教育において何が可能かを伝えることができます。「これは無頓着な人から言い訳を奪い取ります。そして、すべての子供、すべての教師、すべての学校、すべての校長を支援し、意味のある目標や測定可能なゴールを設定する手助けをします」最後に彼はこう締めくくります。「可能性は無限です」
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