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電子書籍の開放を阻むべきではない

2010/04/14 13:03
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佐々木俊尚

現役ジャーナリストが、長年培ってきた取材経験などを通して、IT業界のビジネス動向から事件まで、その真相をえぐり出します。
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出版業界はいったい何をやろうとしているのか

 

iPadの発売を目前に控えて空前の電子書籍騒動が巻き起こっている。iPadやKindleなど海外の使いやすそうな電子書籍サービスがいよいよ日本に本格参入してきそうな雲行きの中で、ここに来てにわかに「日本産の電子書籍プラットフォームを作ろう!」などという声が出版業界や霞ヶ関あたりから聞こえてきている。

 

正直わたしの個人的な感想としては「ちゃんちゃら、おかしい」だ。

 

私は明日15日発売の『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー21)という本にも書いたが、日本の出版業界の電子書籍へのとりくみは1999年以降、ほとんど進んでいない。少なくとも読者の視野に入る場所では、なにひとつまともなことは行われていない。

 

99年に出版社や電機メーカー、取次などが参加して電子書籍コンソーシアムが立ち上げられて実証実験が行われ、そしてこのコンソーシアムが1年あまりで瓦解して以降、この10年の間に読者に提供されたサービスは、だいたい次のようなものだ。

 

(1)2000年に「電子文庫パブリ」という電子書籍の販売サイトを開設した。しかしこのサイトは何の進化もないまま10年間放置。タイトル数は今もってわずか1万3000点(Kindle Storeは2007年にスタートした際には9万点、現在は45万点がラインアップされている)。おまけにパブリの本の多くはシャープのXMDFという規格を採用していて、これは「ブンコビューア」というアプリケーションでしか読めない。シャープのサイトにあるブンコビューアの対応機種を見ると、なんだか化石を見ているような気分になる。いや、それを言うのならパブリのサイトの方がもっとうらぶれている。新刊書さえも日に焼けて埃をかぶり、営業努力も何もしないまま朽ち果てようとしている街外れの書店のようなたたずまい。

 

(2)松下が2003年にシグマブック、ソニーが2004年にリブリエという電子書籍リーダーを発売したが、タイトル数がわずか数百点と悲惨なぐらいに少なかったうえ、出版社側の要請で「期限が切れたら読めなくなる」という貸本形式を採用したため、まったく売れなかった。シグマブックの販売台数はわずか2000台ぐらいだったという話も聞いたことがある。結果、両社ともあえなく2007年に撤退。ちなみにリブリエもシグマブックも製品の出来は決して悪くなく、現在北米で発売されていて市場シェア2位のSony Readerはリブリエの後継機種だ。だから問題は製品単体ではなく、電子書籍の流通・購読システムにあったことは明らか。

 

(3)そんな中で成功しているのはマンガとポルノ小説系のコンテンツを、主に携帯電話向けに提供しているサイト。パピレスやイーブックイニシアティブジャパンがその代表例。

 

局所的に見れば、電子書籍リーダーはリブリエ以外にもいくつか登場している。auからは電子書籍リーダーにもなる携帯電話が発売されているし、昨年3月には富士通フロンテックが自社開発の「カラー電子ペーパー」を搭載した電子書籍リーダー「FLEPia」というのを発売した。私はauのリーダーは残念ながら使ったことがないが、FLEPiaはある雑誌の連載で触ってみた。これは何とも……ある意味最近の日本の家電メーカーの低空飛行を象徴するような機器だと思った。スペックは凄いが、ひたすら残念感だけが漂っている。たとえばこのブログのエントリー

 

 

既得権益防衛に走る高齢高所得出版社員たち

 

話を戻そう。日本の電子書籍をめぐる動きなんて、こんなレベルでしかないのだ。この10年間、こうやって電子書籍への取り組みをほとんど放置してきた日本の出版業界が、いまさら「iPadやKindleに対抗して日本オリジナルの電子書籍の標準を」と叫んだって、いったい何をどう信用すればいいのかさっぱりわからない。みなさん、何をしようとしてるんですか?

 

先月末には、講談社の野間省伸副社長が代表理事となる社団法人日本電子書籍出版社協会というのが設立された。「電書協」と略すらしい。しかし驚くべきことに、この電書協の母体はさきほどのパプリを運営していた電子文庫出版社会だ。ということはiPadやKindleに対抗してパプリを? 

 

野間副社長は「出版社が中抜きされる」とさかんに記者会見で発言したらしい。たしかにiPadやKindleのような書籍の直接流通を可能にするプラットフォームが現れてくれば、従来のような出版社ビジネスは変容を迫られる可能性は高い。

 

しかしだからといって、その「中抜き」を防ぐために業界団体を作って既得権益防衛に走るというのは、本当に正しいのか。そもそも従来の出版社ビジネスが中抜きされたからと言って、それによって困るのは出版社の高齢社員だけだ。読者は喜ばないし、著者も喜ばない。いや出版社だって、若手社員は「もう逃げ切れないから、今後の大波を覚悟して頑張ろう」と思っている人が圧倒的に増えている。結局、中抜きを短期的にでも回避できたらハッピーなのは、あと10年ぐらいで定年退職すれば逃げ切れると思っている高給の高齢社員だけなのである。こんな人たちにつきあわされる若手出版社員こそいい迷惑というものだろう。

 

Internet Watchの記事には、電書協の役割としてこう書かれている。

 

 

 

協会の活動としては、電子文庫パブリの運営のほか、電子書籍の契約に関する研究を行う法務委員会、電子書籍のフォーマットに関する研究を行うフォーマット委員会、電子書籍端末に関する研究を行うビューアー委員会を設置。フォーマットについては協会として独自のものを作ることは考えておらず、既にあるものを研究対象として、「すべての出版関係者が余分な心配やコストをかけないように」スタンダードとなるものを整備していきたいとした。

 

 

 

なんとパブリが掲げられている。本気でパブリがiPadやKIndleに対抗して日本の読者に受けいられると考えているのだろうか? もしそう本気で思っているのなら、なぜいままで放置しておいたのか? これでは「電子書籍なんて本格参入する気は全然なかったが、海外から良いサービスが入ってきて権益が侵されそうになったので、あわてて対応する気になった」と思われてもしかたないのではないだろうか。

 

 

電子書籍のスタンダードとは何か

 

さらに引用記事には「スタンダードとなるものを整備していきたい」とある。ここでいったん「スタンダード」の意味について考えてみよう。

 

一般的に産業界で「標準」というと、DVDやVHS、SDカード、電子書籍でいえばePubのようなフォーマット(規格)の標準化を指すことが多い。だがもう少し広義では、WindowsのようなOSも「標準」。ウィキペディアでは、標準を「相互運用のための広く合意されたガイドライン」と定義している。

 

電子書籍のフォーマットの標準としては、アップルのiBookStoreが採用しているオープンなePubと、Kindleが打ち出しているプロプライエタリ(独占的)なAZWの2種類がある。ただしePubはオープンではあってもその上に各社独自のDRM(著作権管理)がかぶさってくるので、iBookStoreのePubコンテンツがSony Readerなどで読めるわけではない。

 

さらに上のレイヤーの標準もある。つまり電子書籍でいえば、「どのようなシステムで書籍コンテンツを流通し、販売するのか」というアプリケーションレイヤーでの標準。つまりはプラットフォームの標準である。音楽ではiTunesが圧倒的な標準になっているが、電子書籍では今のところKindle Storeが頭ひとつ抜け出ているものの、今後はアップルのiBookStoreとの間で標準化戦争が起きる。ただKindle StoreもiBookStoreもプロプライエタリなので、もっとオープンなプラットフォームを作っていこうという動きが、たとえば雑誌出版社ハーストあたりから出てきている。しかしこれが大きな勢力になれるかどうかはまだわからない。

 

こうしたプラットフォームの標準化が起きてきたのはなぜか。大きな背景として、製品のネットワーク化がある。家電にしろコンピュータにしろ、いまや消費者向けの製品は徹底的にネットワーク化され始めている。つまり製品単体ではなく、製品とアプリケーション、ウェブのサービスを包含したかたちでアンビエントなシステムを丸ごと提供する方向へと動いている。アプリケーションソフト分野におけるWindows、音楽のiTunes、そして電子書籍のKindleがその典型的な例だ。おそらく次には映像の世界がそちらに向かうだろう。

 

 

プラットフォーム戦争に敗走している日本

 

だがこうしたアンビエントなネットワーク環境という方向性においては、日本の産業界はほとんど壊滅状態だ。日本産業界が標準化戦争において優位を占めていたのはVHSやDVD、SDカードといった規格のレイヤーだけで、残念ながらネットワーク化されたサービスを構築することにはほとんど成功していないし、たまに見られるその方向への取り組みはたいていが的外れだ。「ものづくり」に拘泥するあまり、あいかわらず単体の製品をていねいに作ることにしか目が向いていないのである。

 

もちろん、それでも高品質にていねいに作られた製品を好む人はいなくはならないだろう。でもそれはしょせんはピュアオーディオみたいなもので、極小ニッチな市場にしかならない。「それでも日本人はそういう高品質製品を好む」というような主張は、いまの格差社会化から目を背けた視点でしかない。

 

ブルーレイもそうだ。ブルーレイの規格化でも日本のベンダーは主導的な役割を果たしたが、しかしグローバル市場で見れば映像市場は徐々にネット配信に向かいつつある。そしてその方向の先に曲がりなりにも食い込めているのは、Googleと組んでSTBを仕掛けようとしているソニーぐらいしかいない。日本企業はブルーレイの映像の美しいハードディスクレコーダーは作ることができるけれども、iTunesやKindleは作ることができないのだ。

 

たぶん今後は日本メーカーからもKindleやiPadのような電子書籍リーダーは次々と出てくるだろう。特にKindleのような製品は既存の部品を組み合わせるだけでごく簡単に作ることができるから、すでに市場には類似製品があふれかえりはじめている。1月にアメリカで開かれたCESでは台湾などのメーカーから大量に似たようなタブレットが出品されていたし、昨年末に発売された大手書店バーンズアンドノーブルのnookにいたっては、何から何までKindleそっくりだ。

 

つまりは現行の白黒Einkベースの電子書籍リーダーなんて、しょせんはパソコンと同じぐらいコモディティ化した製品にすぎないのである。

 

問題は、そうした電子書籍リーダーというハードウェア単体ではない。リーダーと書籍購入サービス、書籍管理アプリケーションなどもふくめたアンビエントな環境をどう構築できるかということである。だから多くの類似製品は淘汰され、ほとんどが消えていくだろう。

 

そしてこのプラットフォームのレイヤーにおいては、標準はデファクト(事実上)しかない。工業規格は多くの場合、たとえばJISやISOなどの団体が策定して定めるデジュリ(規定された、という意味)スタンダードとなることが多い。しかしVHSやブルーレイのようにデジュリではなく、デファクトでスタンダートなった例もある。そしてプラットフォームのレイヤーではこれはもっと徹底的で、デジュリは皆無だ。WindowsにしろiTunesにしろKindleにしろ、どこかの団体が「今後はWindowsを標準として定める」などと決めたわけではない。あくまでもさまざまな競争が行われた結果、その帰結としてデファクトスタンダードが決定したのである。

 

念のために言っておくと、とはいえこうした工業規格のレイヤーとアプリケーションのレイヤーはあちこちで融解していて、たとえばHTML5は規格だが、アプリケーションのプラットフォームにもなっている。これがAdobe Flashと対立構図を作っていることなどは非常に興味深いが、それはまた別の話だ。

 

 

AppleやAmazonを排除するな、堂々と戦え

 

先ほどの電書協の話に戻ろう。「スタンダードを整備していきたい」というのが、単にePubの日本語化だけを指しているのなら、それは何の問題もない。とはいえ、ePubの日本語化作業にまたとんでもない長い時間をかけてしまうようならそれはそれで問題なのだが……。

 

だが電書協の記者会見のみならず、私が知る限りで最近の出版業界の動きを見ていると、どうも自分たちで大同団結してAmazonやAppleを排除し、独自のプラットフォームで日本の読者を囲い込もうとしているように見えてならない。

 

これがいったい何をもたらすのか。歴史上の前例から予測してみよう。

 

日本では1980年代、日本電気のPC9800シリーズが圧倒的なデファクトスタンダードだった。これをひっくり返したのが90年代に登場したWindows 3.1と後継のWindows 95。1990年代には日本国内でもPCのデファクトスタンダードとなった。マイクロソフトとインテル、いわゆるウィンテル帝国がもたらした市場支配にはさまざまな弊害もあったかもしれないが、しかし少なくとも消費者に多くの利便性をもたらしたことは間違いない。

 

日本電気のPC9800シリーズが、仮にデジュリスタンダードとして策定されて国内市場支配を続け、国策的にWindowsの侵入を退けていたらどうなっていただろうか? 日の丸パソコンとして誇るべき市場構造になっていただろうか? そういうバラ色の未来は想像しにくい。可能性の話でしかないが、あり得ないほど高い価格、使いづらいインタフェイス、少ないソフトウェア資産、海外市場との圧倒的な格差――。そうした状況が続き、日本国内のコンピュータ環境はかなり不幸なものになっていた可能性がある。

 

ただ幸いなことに、80年代のPC市場はPC9800シリーズがあまりにも独占支配していたため、当たり前のことだが他のPCメーカーがそうした状況を喜ばず、だからそうしたメーカーは喜んでWindowsの侵入を受け入れた。最近の幕末ブームにあやかっていえば、幕府を倒すために薩長土肥が英国と手を結んだようなものである。

 

もちろん、実は最も大事なのはそうした政治的駆け引きの話ではない。大切なのは消費者の目線だ。Windows3.1やWindows95が国内発売され、それらを利便性が高く安価なシステムであるとして消費者が受け入れたということが、結果としてPC9800からWindowsへの市場の移行を促したのである。デファクトスタンダードとなるかどうかを決めるのは、徹底的に消費者なのだ。

 

だから電子書籍の分野においても、AppleやAmazonなど海外勢の侵入を阻みたいのであれば、KindleやiPadと互角にわたりあえるアンビエントな優れたサービスを提供し、そこで消費者の信頼を勝ち取るしかない。つまり日本国内におけるデファクトスタンダード競争に参加するしかないのだ。その競争で、日本の消費者の選択を仰ぐというのが健全なあり方だ。コンテンツを囲い込んでデジュリスタンダード化を推し進め、AppleやAmazonを排除しようというのは、あまりにも読者を無視したバカげた戦略だし、そもそもそんな戦略は長続きしない。いや仮に長続きしてしまったら、日本の読者や書き手はあまりにも不幸な状態に置かれ続ける結果となるだろう。

 

だから電書協が何を考えようと勝手だが、iBookStoreやKindleStoreへの書籍コンテンツの提供を拒否し、自前のプラットフォーム用にとっておくようなことだけは断固としてやめていただきたい。海外サービスにも国内サービスにも同じようにコンテンツを提供し、その上で読者の選択を仰ぐべきである。

 

このまま出版業界の意固地な態度を放置しておくと、パブリのチープな本棚から電子書籍を購入し、それをFLEPiaで読むというような何とも愚かで暗い読書空間の未来が待ち受けているような気がしてならない。そんな未来は本の書き手のひとりとしても、そしてもちろん読者のひとりとしても、まっぴらごめんだ。

 

 

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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