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「実名」と「特定」は別のものだ

2008/04/17 10:29
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佐々木俊尚

現役ジャーナリストが、長年培ってきた取材経験などを通して、IT業界のビジネス動向から事件まで、その真相をえぐり出します。
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メールアドレスのご連絡

 久しぶりのエントリーだが、まずビジネス上の緊急連絡から。
 ドメインのレジストラ移管のトラブルで、わたしがいつも使っているsasaki@pressa.jpのメールアドレスが不達になってしまっています。「佐々木からメールの返事が来ないけど、どうなってるんだろう」と思われた方は、お手数ですがsasakitoshinao@gmail.comまで再送していただけませんか。DNS浸透期間が完了するまで、この状況はしばらく続いてしまいそうなのでよろしくお願いいたします。

匿名と特定の関係を考える

 さて先日、ビットメディアの高野雅晴社長と話をしていて、匿名/実名の話になった。高野社長は以下のようなマトリクスを提示して見せてくれた。

匿名と特定のマトリクス
実名 匿名
特定 印鑑証明 購買証明
不特定 ビンラディン 2ちゃんねる

 

 実名ー匿名というのは、今さら言うまでもない。日本人なら誰でも持っている氏名を、明かしているかどうかということだ。特定ー不特定というのはこれとは少し位相が異なり、ある特定の集団の中で、その人がどの位置にいるのかを特定できているかどうかを指している。氏名がわかっていなくても、その人の位置を特定することは可能なのだ。

 リアル世界の世の中の大半は、<実名・特定>だ。仕事や遊びで、ある人と知り合いになるということは、その人の職業や趣味志向、経歴、家族構成を知るということとかなりの部分でイコールになる。もちろん、どこの誰かわからない人とバーで会って喋って、結局それがどこの誰かわからないというようなケースもあるが、どちらかと言えば例外的だろう。

 一方で、たとえばインターネットの匿名掲示板の世界は<匿名・不特定>だ。氏名は明かされず、加えてその人が書き込みしている人間の中でどの位置に存在しているのかも明かされない。もっとも最近の2ちゃんねるは、書き込みしている人のIPアドレスからハッシュされたIDが表示されるため、ある程度は<匿名・特定>になってきている。

 だから実名であるということと、その人が特定できるかどうかということは、イコールではない。

 高野社長は<実名・不特定>の例として、オサマ・ビンラディンを挙げた。確かに実名はわかっているが、どこにいるのかさっぱりわからないという意味では特定されていない。

 しかしこのような例でなくても、もっと身近にも<実名・不特定>はある。たとえば「鈴木一郎」という平凡な名前は、たぶん日本国内には数千人ぐらいいるだろう。住んでいる場所や職業などがわからなければ、「名前が鈴木一郎である」というのは実名は明かしているけれども、しかしこの人がどこの誰であるのかというのは特定されない。これは<実名・不特定>だ。

匿名でも特定されている場合もある

 一方で<匿名・特定>というのもある。

 マトリクスでは「購買証明」と書かれているが、たとえばマーケティングの世界では、「鈴木一郎」という実名は必要な要素ではなく、「この商品を買ったID123456の人」ということが特定できれば良い。つまりアイデンティファイできれば良いわけだ。つまり商品の購買履歴によって、その人の位置を特定しているわけで、これは<匿名・特定>である。

 これはライフログでも同じだ。ライフログというのは、ユーザーの購買や閲覧、検索などさまざまな行動履歴をもとにしてそのユーザーに特化したお勧めを行うというサービスを、最近は指して呼ぶようになっている。たとえば楽天市場で但馬牛焼き肉セット五千円を購入した人が、次の日には六本木駅と日比谷駅をNTTドコモのおサイフケータイで通過し、さらにその夜にはアマゾンでWii Fitを購入したとする。ではこの人にオンラインDVDレンタルのツタヤDISCASは、どんなDVDをお勧めしたら喜ばれる?ーーといったサービスだ。

 この場合、この但馬牛を買った人が「鈴木一郎」さんであることを、システムの側は知る必要はない。逆にその実名を知ってしまうと、購買履歴を楽天やNTTドコモ、アマゾン、ツタヤDISCASで共有しようとした際に、個人情報保護法で禁止されている「顧客利用の外部提供」に抵触してしまう可能性がある。だったらこの購買履歴から何らかの方法で個人情報を抜いて匿名化(アノニマイゼーション)し、それを外部提供すれば良いという考え方も出てくる。つまり、これも<匿名・特定>なのだ。

 これらは、「行動履歴」によるある人物の特定である。

 そしてーーここが重要なのだがーー特定の要因となるのは、行動履歴だけではない。たとえばペンネームでブログを書いている人は、ブログのアーカイブという過去の蓄積によって、その人のブログ圏域における立ち位置が明確化され、この結果、ペンネームであっても<特定>になっていく。過去のアーカイブを蓄積すればするほど、ネットの中での同じペンネームによる行動が増えれば増えるほど、<特定>の度合いは高まる。これは「言論の積み重ね(アーカイブ)」による特定である。

 さらに言えば、無署名の新聞記事というのも<匿名・特定>である。署名がないというのは匿名以外の何者でもないが、しかしその記事の筆者がどの新聞社に所属しているのかということは、完全に特定されているからだ。これは「所属」による特定である。

 つまりおおざっぱに捉えてみると、インターネットの空間において、ある人物の特定には三つの要因があるということになる。「行動履歴」と「言論の積み重ね(アーカイブ)」と「所属」だ。

池田・天羽論争に当てはめてみると

 さて、しばらく前に池田信夫さんと天羽優子さんの論争というのがあった。J-CASTが月100万PVの人気個人ブログ 教授同士の名誉棄損論争が勃発という記事で取り上げたので、覚えていらっしゃる方も多いだろう。この論争の中で池田さんは、山形大学の学長宛に公開質問状を送った。池田さんは天羽さんの「所属」を問題にしたということだ。

 一方、天羽さんの方は「なぜ所属によって私を特定する必要があるのか」と考えている。

 天羽さんは別件で、神戸の会社の代表取締役と掲示板書き込みをめぐって訴訟を起こされ、係争している。

 この件に関して言えば、天羽さんは母校のお茶の水大学のウェブサーバでサイトを運営し、サイト内のプロフィール欄では略歴も公開していて、ほぼ実名を明かした状態になっている。これについて彼女は、私へのメールでこう語っている。

私は、その代表取締役とは以前直接メールでやりとりしたことがあり、その後、代表取締役はしつこく私が編集したサイトの内容や掲示板を引用して私を誹謗中傷する内容を自らのホームページで公開し続けていたという経緯がありまして、今回も、掲示板書き込みが誰によるものかを、原告である代表取締役は実際には知っている状態でした。

 ところがこの代表取締役が提訴したのは天羽さんではなく、お茶の水大学だった。

事情をしらない大学に攻撃防御をまかせておいたのでは、十分な立証が尽くされないだろうと考えて、私は代理人を選び、独立当事者参加の申し出をしました。原告被告に次ぐ三番目の当事者として裁判所に赴き、裁判官の前で、問題の書き込みをしたのが私である旨弁論し、裁判官が「書き込んだ本人である天羽さんを訴えますか」と原告に訊いたところ、原告の答えが「訴える気はありません。」でした。名誉毀損訴訟をしておいて、その表現をした本人が裁判官の前で名乗り出ているのに訴えないということが果たしてあるのかと、不思議でなりません。

 この代表取締役がどう考えているのかは、私は今のところ直接取材していないので判断できないが、いずれにせよ、池田さんと同様(と同一視すると池田さんはお怒りになるかもしれないが)、代表取締役は天羽さんの「言論の積み重ね(アーカイブ)」ではなく、天羽さんの「所属」を問題にし、「所属」によって天羽さんという人物の位置を特定しようと考えたわけだ。

 天羽さんは私へのメールで、こうも書いている。

こんな問題が発生しているので、ネット上の表現の匿名か実名かという議論を読んでも釈然としません。ただ、この釈然としない感をきちんと論じることができる程に、私の考えの整理ができていません。私は、実名で表現すれば表現内容の責任は自分が負うことになると考えていたのですが、世の中そうなっていないようです。

 天羽さんは「実名で表現すれば表現内容の責任は自分が負うことになる」と書いているように、自分を特定させるものは、「言論の積み重ね(アーカイブ)」であると考えている。そして実名を明かすことがその特定の強化につながると判断し、これまで実名で言論活動をしてきたわけだ。しかし代表取締役は、「言論の積み重ね(アーカイブ)」などでは個人の特定は不可能で、「所属」こそが個人を特定させる最大の要因であると判断したのだろう。

 極論してしまえば、こういう人にとっては、天羽さんが実名である必要は全くない。お茶の水大学にサーバを借りている、山形大学で教員をやっている、という個人を特定できる「所属」さえ知ることができれば、べつに匿名だってかまわないのだ。つまり<匿名・特定>である。

 つまり彼らが求めているのは「所属」であって、実名ではないのだ。実名主義者ではなく、所属主義者なのだ。「実名主義」「実名が大切」といった美辞麗句の化けの皮を一枚剥げば、その下には「おまえの会社を教えろ。上司にチクってやる」という恫喝が潜んでいる。

いまも所属志向に囚われている人たち

 これこそが、所属志向である。つまりは「どこの誰が言っているのかが重要」という属人主義だ。そして所属先からの帰属圧力がきわめて強い日本社会においては、その人物を特定させる「どこの誰」は「所属」であって、それ以外の要因など何の意味も持たないということなのだ。日本人の多くはそういうふうに考えてきたし、いまもそういう思考に囚われている人はたくさんいる。たとえば前掲のJ−CASTニュースの記事のはてなブックマークコメント欄では、「佐々木氏の話が頓珍漢。肩書き無い実名って実名の意味無いじゃん」と書いた人もいた。私がこの記事で「背景には、『実名』をどのようなものとして捉えるのか、という部分に認識の差があることがあります。2人の場合は、池田さんが天羽さんを山形大とひと括りにしているのに対し、天羽さんは個人の立場を強調しています。大学という属性が責任を追うかどうかの認識が論争を極端にしたのではないかと思います」とコメントしたことに対する反応なのだが、所属(肩書き)と特定がイコールではないということに、何ら考えが至っていないのは驚くほどだ。

 個人と個人のつながりは多層化しており、ある個人を特定させる要因も多面体的になってきている。企業内での位置が、その個人のすべての部分を表現しているわけではない。ある人物を特定するというその要因には、「所属」だけでなく「行動履歴」や「言論の積み重ね(アーカイブ)」も等価に存在している。要因はこれだけではない。ソーシャルメディアの進化した世界においては、自分がインターネット上でつながっている人たち(フレンド)の総体こそが、自分を特定させる要因となることも十分に考えられるだろう。

 バーチャルの関係性とリアルの関係性は、どんどん等価になってきているのだ。そしてその社会の行き着いた先では、ひとりの個人が何に基づいて、自分という人間の責任を負うようになるのかを、もっと考えなければならない。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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