今年も集英社文庫の「ナツイチ」が発売される季節になりましたね。私は学生時代あまり本を読むタイプではありませんでしたが新潮社文庫の「夏の100選」も含めこのシリーズが発売される度に、「夏になったなぁ」、「今年は2冊ぐらい読もうかな」と考えたことを覚えています。
皆さんご存知だとは思いますが、ナツイチでは2008年よりスペシャルカバーなるものが企画され、いくつかの文学作品のカバーイラストを集英社(主に週刊少年ジャンプで連載している)人気漫画家が描き下ろしています。以下その関連リンクです。
- リンク: 名作文学と人気漫画家の「コラボ」再び! 集英社文庫「ナツイチ」始まる - 速報:@niftyニュース.
- ナツイチキャンペーンサイト:http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/genre/special.html
皆さん知っているとは思いますが、念のため以下に紹介します。左が作家名で右が漫画家名です。 2009年までのものを取り上げています。
- 川端康成 「伊豆の踊り子」 - 荒木飛呂彦
- 中原中也 「汚れちまった悲しみに」 - 浅田弘幸
- 太宰治 「人間失格」 - 小畑健
- 芥川龍之介 「地獄変」 - 久保帯人
- 夏目漱石 「こころ」 - 小畑健
- 坂口安吾 「堕落論」 - 久保帯人
- 太宰治 「走れメロス」 - 許斐剛
- ジュール・グェルヌ 「十五少年漂流記」 - 桂正和
これも皆さんご存知とは思いますが、特に「デスノート」で一世を風靡した小畑健さんがカバーを手掛けた太宰治の「人間失格」はめちゃめちゃ売れており、2008年7月時点で21万部も売り上げたとのことです。これは例年の発行部数の10倍に相当する数だそうです。(情報ソースは以下です)
私も同書籍を書店で見かけたときは、「おおっ!」と思ったものです。確かに小畑さんによって描かれた学生服の青年と「人間失格」の(作品では無く)言葉が持つイメージが絶妙にあいまっており、思わず手に取ってしまう商品に仕上がっています。家と職場の近所の書店の売れ筋ランキングでも常に上位をキープしており、「純文学をあまり読まない中高生にも売れている」というニュースをネットで目にしたことも頷けます。
当たり前ですが作品の中身は全く変わっておらず、単純にジャケットを変えただけで10倍の発行部数を叩出したのです。これはエライ事です。本件に関してざっとBlogを検索してみましたが、 「この作品とこのカバーの組合せはアリか無しか?」という議論が多く、ビジネス的な側面での議論や分析が少ないようなので、あえてそこに焦点を当ててみたいと思います。
純文学のジャケ買い
上記の「人間失格」の発行部数増加の原因を一言で表すと、「純文学をジャケ買いの対象にした」ということでしょうか。
ジャケ買いとはCDなどに多く見られる購買行動の1つで、「聴いたことは無く知りもしないがジャケットがカッコいいので買ってしまった」という10〜20代には見られる行動です。
通常のジャケ買いと異なるのは、「その商品(作品)をなんとなく知っている」ということでしょうか。「人間失格」は純文学としては有名な作品ですが、それを実際に読んだことがある中高生は少ないのではないでしょうか。おそらく10人いたら多くて2,3人というのが私の印象です。
ただし教科書で取り上げられている場合などはちょっと事情が異なりますが。。
私がこの販売戦略(あえてそう呼びますが)に感じたことは、「まさしくコロンブスの卵の模範だ!」ということです。このナツイチの販売戦略の基本的な考え方は、「人気のある漫画家にカバーイラスト描かせたら売れるかも」という至極単純なものです。私が見る限りそれ以外何の戦略もないように見えます。もちろんこれを実現するに当たり、集英社文庫の方がコンセプトを明確化し、企画会議を通し、漫画家を選定する〜 など多くの苦労をされたことは想像に硬くありません。また「文学離れが進んでいる中高生が純文学を読むきっかけになれば・・」という崇高な目的もあったでしょう。しかし基本的なアイデアはどこまで行っても、「普段マンガを読んでる10代がジャケ買いするようなカッコいいカバーを描けば売れんじゃね」であり、そこに難しさはないと思います。
「どうすれば10代に純文学が売れるのか」をとことん考えた結果
おそらくこの企画を考えた方は、 「どうすれば10代に純文学が売れるのか」をとことん考え抜いたのでしょう。もしかしたら単なる思い付きだったのかも知れません。しかしいったいどれほどの人がこの結果を予想できたというのでしょうか?! 単に人気漫画家がカバーイラストを描いだけで発行部数が10倍以上になるなど企画時点では誰も予想できなかったと思います。
仮に私がこの企画の承認権限を持っていたとしたら、「面白いかもね、リスクが少ないのであればやってもいいよ」と言ったと思います。つまりその企画時点ではその程度の期待感だったのではないでしょうか。
私は編集者でも出版社の人間でもありませんが、純文学が既に大きなマーケットで無いことは理解していました。とは言え将来にわたって確実に市場が存在し、また文化的な意義があるという理由からも、「ひっそりとだが確実に存在するマーケット」としてしか純文学を捕らえていませんでした。しかしナツイチ スペシャルカバーの企画者は「人気漫画家にカバーイラストを描かせる」という誰もが思い付きそうだが思い付かなかったアイデアを持ち込み、純文学のジャケ買いという新たな購買スタイル(≒ニッチマーケット)生み出したのです。
私の評価が大げさだと思われる方もいらっしゃると思いますが、私はこの企画を発案し、実現した方に感服します。なぜならどんなニッチなマーケットであっても人に先駆けてそれに気づき、開拓し世の中にその存在を示した人はビジネスの世界では賞賛される資格を持った方なのですから。