以前、日経IT Pro、日経ビジネスなどの大手媒体に連載していましたが、2017年1月から、人工知能と情報システムについての連載を某大手媒体で開始することになりました。研究者、製品開発者としてだけでなく、企業情報システム論の大学院講座を持ったり、大手オフィス機器メーカーさんが、大手IT企業に情報システムのRFP (Request for Proposal) を出し、それを吟味、評価し、採択するための技術分析を拝命したこともありますので、なかなか難しいこのテーマで白羽の矢がたったのかと思います。
ある特定コミュニティを中心ターゲットにした連載のテーマを決め、材料を集めるにあたって、『人工知能が変える仕事の未来』の書評、レビューをブログや大手媒体に投稿してくださった内容は参考になります。そんな中から、書籍の中で一貫して、「現状のAIは、人間が正解データセットを用意してトレーニングして、少しずつ専用課題をこなせるようになるもの」
と確認しているのを汲んで、「現在のAI=徹頭徹尾【道具】」というメッセージを発信してくださっていたものを全文引用いたします。匿名希望の直接送信、公開許可ありです:
---------
タイトル:「人工知能は人間を超えるか」というお題が無意味であることがはっきりわかりました
投稿者 Kユーザー 投稿日 2016/11/18
15章の各章が1冊の本に値するくらい、内容がぎっしりつまってました。ふつうなら1000ページくらいの紙数を費やしそうなところをぎりぎり500ページ以下に収めたという感じ。お買い得感、半端じゃないです。リアリティある人工知能応用、社会の未来を考える人なら必読でしょう。
AlphaGOがいかに力づくで人間離れしたやり方でやってるかも具体的にわかるし、数式もないのに、技術も正確に予測できます。
前人未踏の未知の課題の構造を閃きによって解明し、解決できる、という意味での本当の知能を発揮できる機械は存在せず、もちろん、意識も責任感も、本物の感情(衝動、欲望を勝手に覚える)をもって、自律的に(勝手に)生きていく「強いAI」も存在しないとのこと。一見知的にふるまう、特定課題専用のソフトウェアを汎用化する試みも大事だが、今のAIはすべて道具なのであり(「あらゆる道具は誕生時からその専門能力で人間を超えている」、だから「人工知能は人間を超えるか」という問いは無意味、と明言されてるのには目から鱗でした)、それを、ROIをあげ、生産性向上とサービスをきめ細かく充実させることの両立に活かすのが大事、と。
ちょっと触った/作った程度で、AIの実態、本質を理解していない、熱に浮かされたような恥ずかしい冗長な文章を綴るアマチュアさんたちの記事や書籍とは一線を画していると思われます。
----------
まず、著者としては、見事に本質を掴んでくれている点に感謝です。
当方が、なんとかわかりやすく表現するために、セミナー等で比喩を使って説明するときはよく、
「3メートルの棒も今のAIと同じく、道具です。
道具は、その専門能力において、五体だけ、生身の人間の能力を超えていなければ、存在意義がありません。
道具は、すなわち、その誕生時から人間の能力を超えています。
ゆえに、『人工知能は人間を超えるか』という問いは、AIが意志、自尊心・責任感をもち、財産権や基本的人権を備えるまでは無意味な質問である。」
と言っています。
「意識」の実態が唯物論、自然科学的に完全に解明できていること、など、人間のコピーたる強いAIの最低限の必要条件の1つですね。でも、それが出来る見込みもたっていない現状では、時期尚早な議論だらけ、と言えます。
心の科学はとても大切です。しかし、産業応用、人々の役に立つ新たな道具を作ったり、既存の道具を進化させるという工学的、経営的なミッションをもっている人間は、もっと真面目に、現状のAIの方向性、応用可能性を定性分析、定量評価(実用になる精度(適合率、再現率等)を見積もるなどして)をやっていなければなりません。
なかば論理の遊びですが、現状のAIでも、道具ではない、全く役に立たない、猫のようなものもある、と主張する向きもあるでしょう。しかし、それは、法的には、ペットの動物が、人間様の「所有物」であるとされているのと同じ、役に立たない所有物、というカテゴリに属します。人間を置き換える存在、などととらえてはいけないのであります。法的、社会的には、道具以下の存在であり、研究者が制作する玩具なのです。