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6年目の311

2017/03/12 10:00
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土屋夏彦

radikoが有料で全国が聴けるようになり、いよいよ聴き逃しサービス「タイムフリー」も始まるかと思いきや、2016年になってしまいましたが、AMが在京3局も含め順次ワイドFM化を始め、TOKYOFMグループのi-dioもいよいよこの3月から始まるようで、今年の地殻変動はかなり大きいかも!
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建て替え間近の銀座ソニービルの壁面に、東日本大震災最大の津波の高さを表す防災広告が掲示されている。岩手県大船渡を襲った16.7メートルの巨大津波はあまりに高く、そんなところに出くわしたらひとたまりもないことを思い知らされる。

この広告を企画したのは、復興支援活動の一環として毎年さまざまな活動をしてきたヤフージャパン。彼らは、ヤフーで「3.11」と検索するだけで1人につき東北の復興支援団体に10円の寄付金が支払われる「Search for 3.11 検索は応援になる。」の実施もかれこれ今年で4回目となる。

検索するとさまざまな311関連の記事が表示される。東日本大震災の詳しい説明ページから始まって、3.11当日の写真210万枚のリンクや、6年経った被災地のあまり知られていない現状が書かれたページなども思わず読みいってしまうのだ。

こうしたページに興味を持って閲覧することで、多くの人があの3.11のことを省みるとともに、犠牲になった15893人の方々や未だ行方不明の2556人のことを絶対忘れない、さらには未だ避難生活をされている12万3千人の方々がいることも忘れてはならない、そういう思いがこの企画からひしひしと伝わってくる。

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2011年3月11日午後2時46分、私は目黒不動尊付近の山手通り沿いを歩いていた。いつもの日課で、仕事の移動はできるだけウォーキングをしておこうと、まさにウォーキングの真っ最中だった。

そのとき地面が大きく揺れた。外を歩いていて地震に遭遇した経験がなかったので、一瞬自分のめまいかと思った。ところが、目の前の電柱を渡る電線がクラグラと揺れた。これはめまいではない、地面が揺れているのだ。歩道の上は電線が束ねられていくつも走っている。これが落ちてきたら大変だ。しのぐためには車道に出るしかなかった。でも自動車はこの大きな揺れにあまり気づかず山手通りをじゃんじゃん行き交っていた。なので車道に出たら交通事故に合う。

揺れは続く。いつ電線が頭に落ちてきてもおかしくないくらいだった。するとビルから人が多数外に出てきた。僕は逆にビルに隠れたかった。でも人が次々そとに出てくるので入ることすらできなかった。

あたまを手で覆いながら安全そうなところまで進んだ。そんなことをしているうちに揺れは収まった。いまいったい何が起きたんだろう。地震だと気づくまでは少し時間がかかった。ビルから外に出てくる人が地震だと叫んでいたからわかったようなものだ。そのくらい外で地震に遭遇するとわからないものなのだと改めて感じた。

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ビルから次々と人が出てきているということは、うちのオフィスはどうなっているんだろう? 当時のオフィスは大崎にある30階建てのビルの10階くらいにあった。これまでも防災訓練で毎回非常階段を降りる訓練などをしてきたので、うちのオフィスの社員たちも外に出てしまっているんだろうか?

気になってツイッターを見てみると、知り合いが「今の地震すごかった、でもオフィスから動かずビルの中にいます」というツイートがあった。みんな無事だ、そしてビルの中にまだいるらしい。

とにかくこんな路上でうろうろしている場合じゃない、オフィスに戻ろう。ところがそれはそう簡単ではなかった。ビルのエレベーターがすべて停止しているというのだ。上に上がるなら階段で上がるしかない。ならもう少し様子を見ようと、近くのカフェに入った。カフェは地震で電車などの交通が止まって身動きができない人たちで溢れかえっていた。でも逆にお隣の人と話をすることが出来て、どんな状況かすこしづつわかることになる・・・。

電話はつながらない、ツイッターなどのネットはまだ生きている。でもニュースサイトなどは集中していて見れない。当時まだツイッターは今ほど誰でも使うものではなかったため、意外とツイッターからのさまざまな人がつぶやいてくれた情報が一番役に立った。とにかく電車が動かないから、当分コーヒーでも飲んでるしかないわね・・・。そんな声があちこちから聞こえた。

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それから少しして僕はオフィスに階段を歩いて上がって戻り、全員帰れる人は歩いて帰宅せよとの命令が下された。歩いて帰れない人は会社に泊まることになった。僕ら歩きチームは、同じ方向の人たちと一緒に、ゆっくりと山手通りを再び歩いて戻っていった。こんなことでもないかぎりあまりしゃべる相手でもないような同僚ともけっこういろいろ話ができて良かった。

家に帰ると、さまざまなものが床に落ちていた。姿見は完全に壊れていて、お気にい入りにCDは、ラックからすべて床にぶちまけられていた。妻がそれを直しているところだった・・・。

311というといつもこういった光景が走馬灯のように頭を駆け巡る。忘れることはない。犠牲になった方々や仮住まいを余儀なくされている方にくらべたら、私たちはどうってことない1日を過ごしただけだったかもしれないが、あの日の出来事は忘れることはないと思う。

ヤフージャパンさんあの日のことを思い出させてくれてありがとう。6年たっても僕の記憶は何にも変わっていません。

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※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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