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冷凍ケースの中で寝そべる写真をアップする「うちら」の事情:第14回トンコネJAM

2013/08/28 15:30
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土屋夏彦

radikoが有料で全国が聴けるようになり、いよいよ聴き逃しサービス「タイムフリー」も始まるかと思いきや、2016年になってしまいましたが、AMが在京3局も含め順次ワイドFM化を始め、TOKYOFMグループのi-dioもいよいよこの3月から始まるようで、今年の地殻変動はかなり大きいかも!
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■おバカ投稿があとを絶たず・・・

高知市内のローソンで7月、従業員が冷凍ケースの中で寝そべる写真をフェイスブックに投稿した。そのローソンはフランチャイズ契約を解除されるなど厳しい処分があったにもかかわらず、そんな「おバカ投稿」は後を絶たない。つい先日も北海道で若い男がパトカーの車上に乗ってツイッター投稿。

IT使いのスペシャリストでラジオパーソナリティの吉田尚記氏、音のQRコード「トーンコネクト(Toneconnect)」を生み出した株式会社トーンコネクト社長CEOの加畑健志氏と共に、最近気になるネットとラジオの近未来をトークセッションする会「トンコネJAM」も14回目を数えます。

今回は、こういった一連の「おバカ投稿」するものたちの心理について紐解いてみました。ラジオやインターネットといったいわゆる「ソーシャルコミュニティー」の力が、我々の社会に影響力を持ち始めてはいるものの、彼らの事情を知れば知るほど恐ろしいことが見えてきます。

■「うちら」という価値観

(吉田)日本人の平均年齢が45.8歳、アメリカは37.2歳、中国などはもっと若い(36.3歳)※いづれも「世界の平均年齢(アメリカ合衆国中央情報局による)」より。日本はとにかく平均年齢が高くなっています。シルバーが中心の世の中になればなるほど、ある程度の満足感で文化が成熟していきますよね。

まさにこれがこれまで数回に渡って会話してきた「日本社会が文化の成熟期に入った」ということ。即ち大人の目線で社会が進んでいるということでもあります。その結果、逆に細かい犯罪が目立ちます。社会が成熟してるからこそ、悩ましい問題がいろいろなことが起きているように見えるわけです。さてその関係とは・・・。

(加畑)成熟してくると、いろいろな価値観を一人で共有できるようになります。文化革命真っ只中のルネサンス時代だったら、一部の人、お金持ってる人だけしか充実した文化を共有できなかったわけです。いまも一部ではあるかも知れないけど「十分な一部」が様々な価値観を共有できるようになっています。

そこで登場した価値観が「うちら」という考え方だと思うんです。「うちら」は「おたく(あなた)」の反対語的な意味合いの言葉ですね。関西で言うと「俺ら」。文化が成熟した世界では「俺クラスタ」とそれ以外のクラスタに価値観が2分されていると考えられます。

通常「うちら」の範囲の中で、どんどん生きて行けている(価値観を共有できる)。「うちら」社会システムの中で、おおよそのことは実現・体験可能になった。そう言う世の中を我々が頑張って作ってきたからなんです。

不勉強でしたが「うちら」と言えば、冷蔵庫事件における意見を書いた「うちらの世界」などブログでは話題を醸し出しているキーワードのなんですね。

加畑氏によれば、様々な行動を取ろうとするとき、規制がどんどんなくなってきていると感じている人が多いと言う。昔だったら英語を使ってはいけない、女子は教育を受けてはいけないなど様々な規制があった。でも今はどんどんそういったことはなくなってきているように感じます。

(加畑)ところが実はそれはインターネット上の「うちら」の中だけだったわけです。これが何につながっているかというと、例の「冷蔵庫の中に入って写真撮ったアルバイト店員」の騒ぎですよ。

あれはネット上の「うちら」の中では許される行為。「うちら」の中では超ウケている。「うちら」の中では、何が問題になっているのかさっぱりわからない。

つまり彼らにとってみれば社会生活をするうえで、インターネット上の「うちら」同士で価値観を共有するだけでオーケー。それ以外の世界で何かを共有しなくても生きていける。これが現在の日本のいわゆる「文化が成熟した社会」だというわけです。

■「うちら」と「村社会」の違い

一昔前なら、日本中で共通する「コモンセンス」があったはず。今はそんなものがなくても生きていけるんです。「うちら」の範囲内での「コモンセンス」で十分だというわけです。これっていわゆる「村社会」ってことですよね。

(加畑)いわゆる昔の「村社会」と「うちら」が違うのは、「村社会」には、物理的な理由、例えば「地域」などの距離的な制限があったということ。「うちら」にも「同じ中学」とか「同じコンビニの周り」など制限はありますが、それはどんな関係かというカテゴリーのようなものでしかない。

そして未成年にとっての「うちら」の場合はまだローカルといった距離感も多少残っていますが、インターネットに繋がってしまえば、この距離感すらなくなってしまう。しかも悪いことに、自分が世界と繋がっている感じすら覚えます。

(吉田)「ツイッターはバカ発見機」という言葉があるのですが、まさにそういうことです。自分の仲間だけにしか伝わっていないにもかかわらず、世界中に伝わっていると勘違いしてしまう。自分周辺の世界しか見えてない。というより、見えてないんじゃなくて「見てない」んです。

そこで例えば「冷蔵庫入ったら面白くね?」と始まります。ラジオにも冷蔵庫の中で写真撮影したような投稿がたくさん来ますが、すべて不採用、ゴン無視なんです。でもインターネットだと何のてらいもなくそれが出来てしまう・・・。

これがネットにおける村社会、すなわち「うちら」における怖いことなのだ。

■インターネットは道具でしかない・・

(加畑)昔の「村」って言ったら、出ていきたい場所の象徴だった。今は誰もがいかに自分が定住できる「村」がないか探している。インターネット内のソーシャルコミュニティと置き換えてみるとわかりやすい・・・。

なぜかというと、昔は「村」の中での情報量は限られていた。都会に出れば新しいものや新しい情報に出会えると信じて、誰もが「村」から出て行った。ところがネットの力を借りれば、いまは狭い村の中にいようが、情報量は増やすことができるようになった。

(吉田)しかしそこに落とし穴があります。ネットがすべての情報を掌握しているわけではないし、自分が接している情報は、あくまで自分軸で選んだ情報でしかない。まさに「うちら」の情報。村のすべての道を歩くことは出来ても、ネットのすべてのページを読むことはできない・・・。

インターネットが「良いことや悪いこと」を判断してくれる装置になっているという話は、そのとおりだなと思いますが、インターネットが何を善として何を悪いとしているかについては、相当根拠のないものだと感じるんです。

あくまで判断のひとつを与えてくれる「道具」としてのインターネット。「道具」はいつでも自分の都合で捨てられるものでなければならないんです。しかしその「道具」が今、捨てられずにいることが問題なのではないでしょうか。

恐ろしい話です。インターネットに社会の分別ができる力=ソーシャルパワーが出てきたからこそ、インターネットの活用の仕方が多様化していくと考えていたのですが、どうやらそれは時期尚早かもしれません。

インターネットが判断できるのは、あくまで「うちら」の範囲での価値観であって、社会一般としての価値観を見出すには、日本ではまだまだ分析が必要なのかもしれません。


(参考資料)

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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