▼Facebookの勢いが止まらない・・・
Facebookの創始者、マーク・ザッカーバーグの青春時代を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」がネット業界で好評を博し、昨年のTwitterブームにも似たFacebook友達承認の嵐が巻き起こっている。私がFacebookに登録したのが2007年、もうかれこれ4年も経っているのに、映画が公開されるやいなや、毎日数人からの友達承認が舞い込むようになった。それも前職である放送局の旧友が主だということは、放送局の方々もFacebookのソーシャルパワーに乗り遅れまいと必死なのかもしれない・・・。
このFacebook、友人が記事を更新したり、友達のお誘いが来ると、登録してある私のメールアドレスに、リマインドメールが来る。人によっては、変な時間にメールが舞い込んだりするから、煩わしいと思っておられる方もいると思うが、このタイミングが、みんなの活動タイムだと考えると、世の中がいろいろ動いている躍動感を感じてくる。
▼ソーシャルって目覚まし時計のような共有感?
あの人が、今、パソコンに向かって何かやってるんだなとか、何か楽しい物を見つけたんだなとか、いろいろ思いを巡らすのだ。それが自然と、自分の活動の後押しになるときさえある。人によっては、同じ時間に、何かを書き足してくれると、それがある意味、目覚まし時計のような役割を果たす時さえある。今という同じ時間を共有しているがために起こるこの現象こそ「ソーシャル」そのものなのだ。
そんな現象は、ラジオだともっとリアルに生活に直結する。「まもなく正午です、ピ、ピ、ピ、ピーン」時報である。民放テレビでは時報をお知らせすることはまずないが、ラジオでは、ほとんどの定時の時間に時報を伝える。ラジオが「ソーシャル」なメディアであることを裏付けるものこそ「時報」なのだ。
ラジオのソーシャルは時報・・・
ラジオは「ながらメディア」と言われる。つまり、日常生活でずーっとつけっ放しにしているメディアということだ。その中で時報は、ふっと我に返る時になる。「あ、もうお昼だ、食事の支度をしなければ・・・。」「おっと、もうこんな時間だ、夕食の買い物客が来るから準備しなければ・・・。」タクシーの運転手さんにとっては夜11時からは深夜料金。なので、夜11時の時報は正確に伝えなければ・・・なんていう時代もあった。
ラジオで時報は注目の時間なのだ。時報絡みのコマーシャルは他の時間より少し高額であるくらいだ。そんなことを学んでいた1986年、フジサンケイグループ全体で映画「子猫物語」を盛り上げようという指示が下された。当時編成部で社を上げてのキャンペーン企画などを担当していた私は、時報で子猫を鳴かそうと考えた。いつもの時報音で聞き耳を立てているリスナーに、子猫の鳴き声が出たら、さぞ驚くだろうと思った。そして、みんなの心に可愛いイメージで「子猫物語」が刻み込まれるだろうと考えた。
▼リスナーの心に刻む音・・・
「まもなく子猫物語のチャトランが正午をお知らせします、にゃ〜にゃ〜にゃ〜、にゃ〜〜〜」
作戦は見事大成功!「チャトラン可愛い」「うちのタマも一緒に鳴いてます」などなど、リスナーからの反応が殺到した。この猫の鳴き声は本当の猫に鳴いてもらったわけではなく、猫の鳴き声のサウンドイフェクト(SE)を編集したものだ。今だったら、サンプリングマシンなどで簡単に作れただろうが、当時は、そんなものはまだなかったので、鳴き声をテープに録音して、時報のリズムに合わせて編集した覚えがある。こんな企画を採用してくれた当時の上司も素晴らしい。
これに味を占めた私は、その翌々年(1988年)の映画「優駿〜ORACION」のときにはオラシオンの「ヒヒーン」という鳴き声で時報を作ってしまった。今から考えると、ちょっとやり過ぎだったのかもしれないが、当時はそんな大胆なことを脇目も振らずできてしまっていた。
87年のフジサンケイグループ最大のイベント「夢工場」のラジオプロモーションでは、昨年の流行語大賞にもなった「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を替え歌風にしたものまで放送していたようだ。(今から20年以上も前のことだ)とにかく、リスナーの目を引く(耳を引く)楽しいものだったら何でもやってやろうと思っていた。
▼音だけの世界だから発揮できること・・・
それが出来たのは、ラジオが「音だけの世界」だったからだと思う。音だけでリスナーに何かを伝えなければならない、何か興味を引くことを伝えなければならない・・・。当時、そんな音作りを一緒に手伝ってくれていた塩塚博氏に、久々に、当時の思い出を聞いてみた。塩塚氏は、今や、山手線や中央線などの駅で流れる電車の発車音の作曲で一躍有名になった人物だ。
なんと、彼が最初にニッポン放送で音作りをしたきっかけが、先程の夢工場のゲゲゲの鬼太郎替え歌ジングル(10〜20秒の短いアテンション音)だったそうだ。彼は、この仕事が評価されて、その後、数々のニッポン放送の番組のテーマ曲やキャンペーンソングなどを手がけることになった。今でも流れているニッポン放送のお昼の長寿番組「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」のテーマ曲も彼の代表作の一つだ。
彼によれば、「情報生モリ!羽川英樹のトップスターベスト100」という番組では、1960年代アメリカのTVバラエティーショウの音楽というイメージにしてほしいとの依頼をされ、ゴージャスでジャジーなテーマ音楽とジングルを作り、未だに一番満足している曲になっているとのこと。番組は既にずっと前に終わってしまっても、音楽はみんなの心に永遠に残っているのだ。
彼はこうも言う。「ジングルは10秒程度の長さの中で、番組名をハッキリ告知し、番組の明るい印象を残すもの。10秒あるいは5秒でキッチリと起承転結もつけなければいけません。その作曲は、とても腕が鳴る、シビレる仕事でした。」
▼音と共に当時の記憶が蘇る・・・
そんな技が電車の発車音「駅メロディー」の作曲にも大いに生かされているという。なんと先月、その駅メロディーの集大成とも言える「テツノポップ」なるCDアルバムが発売された。
ラジオの「ソーシャル」な環境の中、様々な「音」が生まれては消えてゆく。しかし、リスナーの心の中には、その「音」そのものはもちろん、その「音」を共有した当時の思い出も深く刻み込まれるのだ。ここが「映像」では成し得ないラジオの「ソーシャル性」の特徴なのだ。FacebookやTwitterでの日々流されるソーシャルな話題にも、そんな効果が出てくるといいのだが・・・。