8月24日、"socialnetworking.jp"によれば「グーグルテレビの組み手である衛星放送全米2位のDish Networkが有料の視聴者のみを対象にクラウド放送(stream TV)を始めた」そうだ。以前の私のblogでも、米国のネットテレビ事情が急速に進んでいることを述べたが、米国では、今年の年末にはSonyと組んで「Google TV」の販売が決定しているし、前回のblogでもお伝えしたように、さらにAppleからは「年内に驚くべき新製品=Apple TV?を発表!」ということで、海の向こうの放送・映像文化は着々と進んでいる。
志村一隆氏著「明日のテレビ〜チャンネルが消える日 (朝日新書) 」によれば、米国では2008年頃から、ケーブルテレビを凌ぐ「hulu」(フールー)というPCで全米ネットしている生テレビ映像がいつでも見られるサービスがあったり、昨年には、その「hulu」をも脅かす「Boxee」(ボクシー)というPCがテレビモニターのセットトップボックス(STB)になってしまうソフトウエアの無料ダウンロードサービスが始まったり、日本では考えられないほどの、ハイグレード映像の「ダダ漏れ」環境になっているらしい。
この本を放送関係の知り合いの何人にも薦めて読んでもらったのだが、毎回必ず「日本にhuluやBoxeeを早く導入して荒稼ぎしようぜ!」となるのだが、日本では、米国のように、地上波映像やほかのハイグレード映像(衛星放送など)で、著作権処理問題が解決しないため、インターネット上に流れていないので、技術だけが持ち込まれても、結局、流す映像の確保で立ち往生してしまうのが現状だ。
そして、NHKや民放テレビ各社が、十分な地上波映像をネットに流せるようになる日は、いまのままでは永遠にないような気にもなってくる中、首都圏の民放ラジオ各局のデジタル時代に落ちこぼれまいと孤軍奮闘していて、もしかすると、映像付き地上波ラジオを全面的にネット配信することのほうが、可能性が高くなって来ているということもお伝えした。
ここでは詳しくは明かせないが、漏れ聞く話によれば、10月からの首都圏ラジオ各局のネット連動を考慮した新番組もかなり期待できそうだ。ラジオのデジタル市場への参入は着々と進んでいる。米国のような環境は、日本ではラジオ業界が作るんじゃないの?期待し過ぎか!?
最近ある民放ラジオ局に、私が「インターネットとの連動をもっと検討すべし」と焚き付けたときの、大胆な市場比較表をご紹介したい。放送局は、このようなアバウトなお話が大好きであるゆえに、気持ちを高めるためのカンフル剤としてだけ利用できる半ばギャグだと思っていただければ幸いである。
この1年のソーシャルアプリ市場のビジネスモデルを、従来のラジオや衛星放送などとむりやり比較してみた表がこれだ!(筆者作成の表:クリックして拡大できます)8月には米国Zyngaも乗り込んで来た、期待の日本のソーシャルアプリ市場は、mixi、gree、モバゲー大手3社だけでも、単純に加えると5000万人を超す市場になっている。重複している人は、ある調査によれば20%〜30%ということだから、その7割と考えると3500万人。首都圏ラジオも関東1都6県+近県を入れて約3570万人(男女12歳〜69歳:TBSラジオDATABOOK2009)。同じような市場規模を持っていることがわかる。(厳密にはラジオの3570万人は電波が流れている地域の人口なので、全聴取者数は約300万人、これはアプリで言うアクティブユーザーと見なしていただければ幸いである)
各社から詳しい資料が公開されていないので、あとは推測なのだが、アプリの市場売上規模は1000億円程度、首都圏民放ラジオ(AM3局・FM6局)も確か1000億円前後。(FM局は県域局なので実際は合わせるわけにはいかないのだがご容赦を)
そんな中、アプリは数百万の投資で数千万円の売上を稼ぎだし始めた。(運営費は別)さてラジオはどうか? 同じく1番組あたり数百万の開発費で数千万の売上が出ているだろうか? 私が現場で制作していた1980年代の現場を思い起こせば、バブルの時代ですら、数百万円で立ち上げた番組で数千万円のスポンサーが付いていたものは数えるくらいだったように思う。(これもラジオ番組に開発費用は基本的に存在しないのでうまい比較ができないが・・・)
相当ボロボロの比較分析になってしまったが、なんとなく規模感がおわかりいただけるだろうか。すなわち、ソーシャルアプリ制作の現場がついにラジオ制作現場を超えたと思うのだ。免許事業のラジオ局を夢見て、面白い番組作って当ててやろう!と思っていた、たった1人の学生が、同じ影響力や売上規模を、放送局の難関を突破せずに実現できる時代が来たのではないか・・・。
オールナイトニッポンで「10回クイズ」を仕掛けて、全国にその流行の波を起こしたある親父の息子は、ソーシャルアプリ1つ開発して同じようなことをしようとしている・・・。文明批評家・マクルーハンの言葉を借りれば、「メディアはメッセージ」、すなわち、「ラジオはメッセージ」の時代から「アプリはメッセージ」になった。
ラジオがアプリを取り込むのか、アプリがラジオを取り込むのか、はたまたラジオは取り残されるのか・・・さらなる空想は続く・・・。