CNetのブログを書き始めたのは2006年の初めなので、かれこれ1年半以上も前のことになる。「life is beautiful」というブログをすでに一つ持ちながら、こちらにもう一つのブログを書くということをしばらくしてみたのだが、簡単には続けられるものではなく、ここのところすかり更新が滞ってしまっている。結局のところ、私にとってのブログというのはその時に私がしていることや感じたことを気ままに書くものであり、そこに「このエントリーはCNetブログ向け」という人為的なストラクチャを挟むとその「自然体」が崩れてしまうのだ。
そこでCNetの方にお願いして、ひとまずこの形でのブログは完結させていただくことにした(当然だが、過去のエントリーはアクセス可能なまま残るのでご心配なく)。「ひとまず」という言葉を使ったのは、私なりにもう少し別の形でCNetの読者の方たちとのコミュニケーションを取り続けたいと考えているからだが、それにはもう少し準備がかかるのでお待ちいただきたい。
ここ数年で色々なものが大きく変わったように感じるが、特にはっきりと感じるのは、日本にも「個人のプレゼンス(存在感)」が重要な時代が来つつある、ということ。崩壊しつつあると言われながらもそう簡単には崩壊しない日本の終身雇用制ではあるが、そんなあやふやなものには頼らずに自分のキャリアパスは自分で切り開こうというしっかりとした意思を持った若い人たちがちゃんと数多く存在するのだから世の中は良く出来ている。
ブログ・スフェアを通じて多くの優秀な人たちに出会ったが、彼らに共通しているのは「個のプレゼンス」がキチンと立っていること。一昔前ならば、大企業の開発部門に埋もれていたようなエンジニアが、ブログを書き、オープンソースに貢献し、ベンチャー企業を立ち上げる時代になっているのだ。
高度成長経済時代のエリートたちは、終身雇用制という枠組みのなかで組織に帰属することによって「会社人としての強いプレゼンス」を持ってはいたが、見方を変えれば、会社を辞めたとたんに「ただの人」。だからこそ、彼らにとっては定年までしっかりと会社にしがみつき、あわよくば引退後は子会社に天下り、というのがお決まりのコースであったのだ。
一方、これからの時代のエリートに必要なのは「個としてのプレゼンス」である。エンジニアであれ営業の人であれ、「あの人になら仕事が任せられる」「あの人が会社を辞めたら私もついて行く」と社内の人からも社外の人からも思われるような存在になることが求められている。ブログで現職を去ることをほのめかしたとたんにジョブ・オファーが殺到する、などというのは米国だけの話ではなくなって来ているのだ。
そんな時代がすでに来つつあり、それを牽引する役目を担っているのは、まさにネットという人類に与えられた最新のコミュニケーション・ツールを使いこなせるCNetの読者のような人々だということを強調してこのブログの締めの言葉にしたい。