Ⅱ.三つの法則 【本論・後編】
3.「知恵の余剰をネットで集める」
米国に、この構図を地で行こうとしている企業がある。
ユーザに車を自作させるLocal Motors。そのページトップには、こうある。”Free online and physical workspace to make your vehicle innovations into reality.” そこには、車作りを文化にし、その文化自身を大きな市場トレンドにしようという意図が見える。
ユーザの自作と言っても、品質は高い(例えばこんな記事も)。プロのレーサーもユーザについているという。もちろん、出来た車は、他人に販売することも可能だ。一台750万円程度。余裕のある人にとっては、買えない金額ではない。
しかも、ここの車には、必ず、次の称号が与えられる。
"Make by you in America"
クールジャパンを言い出した一人としては、やられた・・・という思いで一杯だ。
この企業が考えていることは、相当本質的で、かつ危険だと思う。少なくとも、伝統的日本企業にとっては、だ。それが何故かを簡単に見ていきたい。
(1) モジュール化
第一に、基本をモジュール化においていることである。ものづくりのモジュール化を、自動車というもの作りのど真ん中で実践しつつある。パーツを組み合わせて自動車を作る。それが商売として既に動き始めているところが凄い。
今は、普通のエンジンも取り扱っているし、工場側でかなり作業も引き受けるようだ。しかし、一つ一つのもの作りに過剰なコストはかけられない。加えて特に怖いのは、製造物責任(Product Liability:PL)リスクなどの製品保証リスク。なぜなら、もしトラブルになれば、築き上げたブランド価値と差し違えてしまう可能性があるからだ。ただし、米国では製造比率が過半を下回ればPLは成立しない。米国には、個人が組み立てた自動車は、一部規制の免除を受けることができる規定もある。こうした背景も相まって、Local Motorsは、その組み立てに当たって、買い手(個人)の参加を積極的に求めている。
このやり方は、今後、電気自動車(EV)時代が到来することを見越すと、かなり現実味を帯びてくる。電気自動車は、ガソリンエンジン車にくらべ、部品点数が1/10くらいであり、エンジンという内燃機関と電子機器が複雑に組み合わさった今の自動車と比べ、各種パーツを組み合わせた車作りができるとされているからだ。
自動車というのは、基本的に、エンジンとハンドルをはじめとした制御系が、中央から4つのタイヤを制御する統合的なアーキテクチャを基に作られるものだ。本来、モジュール化には向かない。しかし、EV、特に本格的なインホイールモーターが実現すると(一部では既に実現している)、相当な部分のものづくりは、高度な素人なら何とか手に負える部品にバラされてしまう可能性がある。誰にも手を出せなかった自動車作りが、コンピュータと同じように分解されてしまう可能性、これは自動車業界は疾うに気付いていることだが、現実味を帯びてくる。
これからは、自動車産業にも、家電産業と同じように産業融解のプロセスに向けたカウントダウンが始まるのかもしれない。テスラの米国における急速な普及は、その予兆を物語る。しかし、他方で安全の問題も大きく、それはモジュール化とか素人の手よる組み立てなどで簡単に背負える話ではない。この境界を巡る争いが始まるとすれば、これからが本格的な勝負だ。
(2) 新たなサプライチェーンモデル
第二に、新しい視野でのサプライチェーンモデルを考えていることである。その本気度は、GEをして彼らと提携せしめるに至った。ここには、マスマーケテイングに必要なお作法は、もはや全く見られない。
この記事が出している図式がほぼ正確だ。
GEは、そのローカルモーターズとともに、「FirstBuild」というオープンコミュニテイを立ち上げる。GEが出すのはテーマだけだ。それを、製品アイデアから、設計方法、製造方法、販売方法などまで、コミュニテイサイドが知恵を出す。実現すると思うと楽しいから、みんな必死で応募してくるのだ。
これは、Local Motorsで自動車を作るときも同じだ。今度は、テーマを出すのが顧客自身になる。後はネットで集まってくる知恵を基に、Local Motorsスタッフの助けを借りながら、知恵を形にしていくだけだ。まさに、この記事の言うとおり、「SNSのわいわいで車を開発する」ということだと思う。そう、みんなにとって、車を形にするのはとても楽しいことだ。モーターファン別冊ニューモデル速報の開発ストーリーを読み込みながら、自分も車の開発の「主管」をやってみたいと思った男性諸氏は少なくないのではないだろうか。それが今、実際に、本業を別に持っていても、実現してしまうのだ。これは、魅力だ。
(3) クラウドファインデイング
第三に、これとクラウドファンデイングが組む、それをかなり現実性のあるストーリーで実現しつつあることだ。この手の動きが独自のファイナンスと手を組むと、かなり手に負えなくなってくる可能性がある。
彼らは、例えば、次の写真のような原付二輪を、クラウドファンドにかけている。これ、ちょっと、ジブリ的な世界観にマッチしそうな感じがしないだろうか。安全が保証され保険が付保できるなら、買ってみたいと思う人も少なくないかもしれない。こうなると、車も、裏原宿で売っている、ちょっとしたおしゃれ着のような感覚になる可能性もある。
こんなIdeaも募集されている。究極のピザカー。これをカッコ良いと思う人には、もはや車は、乗るためのものではなく、デザインして、作ることの楽しさを追求するものになるだろう。かつての熱いスバリストのような。ピザ屋さんからみれば、これをトレンドの宣伝材料に出来れば、欠けているのは安全性の保証だけだ。やりようはいくらでもあるだろう。ユーザが自ら金を出して、ピザブランドの販促をしてくれる。そんな時代も夢ではないのかもしれない。
ファイナンスは需要側に付く。こうした自動車を欲しいと思うユーザが確実に見えているとしたらどうだろう。ファイナンスは、こうした”自動車”の製造に対してではなくて、トレンドになる"自動車"の購買費用に対して融資を組もうと考えるのではないだろうか。また、それだけの消費トレンドが見えれば、それを「製造」しようとする人にも投資を考えるのではないだろうか。
クラウドファンドがどの程度の資金を集めるかは、もちろん、全体のファイナンスの判断材料にも使えるし、それがピザ屋さんや自転車屋さんのブランデイングにも使えるとなれば、そういう所からの資金の持ち出しもあり得るだろう。"自動車"作りがきっかけとなって生み出されるトレンドや文化。これらが大きな流れを作るポテンシャルが見えれば、ファイナンスはしっかり付いてくる。この仮説が本当だとすれば、産業論としても、本流に入ってくる可能性があるのではないか。
これらの論点には、共通の特徴と基本原理がある。それは、ものづくりの基本をモジュール化に置き換えた上で、
「知恵の余剰をネットで集める」
ことである。みんながちょっとづつ、本田宗一郎になれる時代、なのかもしれない。一部の人の尖った思想が車を作るのではなく、知恵の集合体が、デザインを、設計を、製造を、そしてファイナンスまで実現してしまう。Local Motorsにとって必要なのは、そういう作業のプラットフォームとベースのモジュールを提供することだ。
そういう眼差しからは、この記事の分析も、良い角度から入っているように思う。
変革は、僕等が思うよりも、早く始まっている。こうした動きが、従来のマスプロダクションを全て壊すとは思えない。こうした動きをまねたマスプロダクション始め、様々な共生が考えられるだろう。ただ、大切なことは、反対側の極を自ら体験してみないと、コンピュータのように、伝統への過度のこだわりは、歴史の瓦解を招く恐れがあると言うことだ。日本の産業は、もう一度、そういう視点から、近代の伝統的なものづくりを見直してみる必要がある。
何より、この動きは、次のエントリで語る、国全体として舵を切るべき、個人と会社の関係、個人と社会の関係に、大きく影響しているはずのことなのだから。
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