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Makersと日本  ~地域と個人の自立へ

2014/03/24 05:00
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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Ⅲ.自立経済へ 【これからの課題編】

 

1.     ものづくりが変わる、会社が変わる


 米国にいる、ある日本人識者が、次のように語っている。

「個人と会社の関係が、今まさに変わりつつある。日本はまだ終身雇用制度に守られているとはいえ、これも、どんどんと変わってきている。

メイカーズのような情熱のある技術者(エンスージアスト)を探し、やる気にさせることは、第1ステップとして重要だ。

ただし、企業は、その後のことこそ考えなくてはならない。そういった技術者を社内ベンチャー制度などでも良いが、別会社にして独立させたり、大企業の官僚主義に巻き込まないようにするとか、メイカーズのクリエイティビティを損なわないような仕組みまで先に考えておかなければならない。」


  まったく、そのとおりだ。 


 Makersのような動きによって変わるのは、ものづくりの方法やビジネスの展開の仕方だけではない。会社と個人の関係、会社の作り方自体が変わっていく。米国は、そこまで含めて本格的に、ものづくりのあり方を見直そうとしているのではないか。 「米国の産業政策は、完全にものづくりに舵を切っている。」、そうこの記事は言うが、僕は、あながち外れてもいないと思う


 日本企業では、統合型のものづくりやサービスの提供が基本にある。基本はチームプレーだ。個人の突出はめずらしい。

 ヒトも、モノも、カネも、組織と整合した「事業」に集約され、事業部毎に投資が行われていく。逆に受け取る事業部門がみつからないと、「潜在的には、うちの企業にとって大事な話かも・・・」と思っても、組織としては動かないのが実態だ。「尖った個人がリードしている優れた提案だけど、今の事業の思惑や市場とは微妙にずれている。」こういう提案を事業化するのは、多くの日本企業にとって最も取扱いの難しい苦手科目だ。

 

 2004年から2006年にかけて、東浩紀さんたちとisedというプロジェクトをやった。当時、以上の指摘に絡む話もしているので、WEBに残されている該当部分を引用してみたい。

 「実際、従来の株式会社は、株主が投資をし、会社が資本家として生産手段のヒト・モノ・カネをうまくコントロールして商品をマーケットに出して、うまくやってきました。ところがどんどん社会の動きが早くなってきて、ヨコ串を刺す動きが入ってくる。すると、個々の生産要素の動きを制度化しきれないうちにカネもヒトも知識もバラバラに組織を出入りするようになる。それらの価値を株券という単一のルールではとても統一に管理できなくなってしまっている。こういう問題が起こっているのではないかと僕は考えています(図:ヒト・モノ・カネの流動化)。」

 

 「今後は、生産そのものの外部委託が進む、場合によってライバル企業同士でもファウンダリーを共同で作るなど、企業活動のコアが、生産設備の維持・発展から知的資産の開発・管理に移行してくる。そういう局面に入ってくると、重要なのは設備投資よりも知的資産への投資となるが、その資産管理は、いままったく巧く回っていないという事態になっている。縦の発想で動かしてきたヒト・モノ・カネの管理が、知識社会の時代に入って、会社組織の内部でうまく回らなくなってきているわけです。」

 「こうした問題の本質は、会社という形態の問題にはありません。ヒト、カネ、知識の評価を決めていく情報の流通・管理の手法にこそ問題があるのではないかと感じています。いいかえれば、各企業の中で情報に対する「読み手の定義」ができていないということです。「制度化できない情報の流れをどう制度化するか」という点で、いまの企業は自己矛盾に陥っている。」


 この研究会のあと、情報産業の分野では、まさに、従来的なモデルから動けない日本企業を尻目に、オープンソースを巧みに活用した携帯情報端末、そしてクラウドといった新たなトレンドが世界市場を席巻し、日本企業はそのイノベーションの先端から置いていかれる結果となった


 もちろん、日本にITサービス自体が無くなったわけではない。しかし、そのビジネスは、世界が作り上げたソリューションを、日本の顧客向けに作り込むのがメイン。そこには世界をリードする利益も、先行投資も、無い。むしろ、クラウドなどのシステム効率化により顧客単価が低下し、セールスに苦しんでいるのが実態だ

 日本のIT企業にだって、要素技術レベルでは素晴らしいものがある。足りないのは、技術ではない。既存顧客の売上げに拘泥せず、柔軟な形で市場とつきあい、自らのガバナンスを鵺のように変えていく、ビジネスモデル上のしたたかさだ。

isedでの説明は、この問題を、主として知的資産の管理、すなわちチエの活用という側面からまとめたものだ。しかし、そのチエの収集管理も、今となっては、組織内外どころか、市場の枠を突き抜けネット上に散らばっている知恵をリアルタイムで集めて活用するのが常態となりつつある。加えて、その動きにリアルタイムでファイナンスを付ける、という試みが、Makers的動きにSNS的な機能を組み合わせることによって、実践されつつあるわけだ。現実はそこまで変わりつつある(ただし、製造業といっても、インフラビジネスはちょっと別か・・・?)。

①モジュール化を基本に起きつつ、②需要側に付く新しいファイナンスの利用にチャレンジしながら、③ネットを活用した知恵の余剰を収集する仕組みを作って、組織内部のヒト・モノ・カネを効率的に放出し、その成果をまた、組織が利用する。新しい会社の形の追求が始まろうとしている。

この三つの流れに乗り損ねれば、今度は、製造業の本丸でも、情報産業で起きたことと同じことが起きる可能性がある。逆に、Makersに端を発した、ハイエンドユーザが切り開く新たなもの作りは、上手に活用することが出来れば、色んな可能性と波及効果を生み出すのではないか。

ネット上に、こんなパワーポイントも公開されていた。従来のものづくり論議になれた方には、こちらの方が見やすい概観かもしれない。

 


2.「社会の一員になる」から、「地域や暮らしが社会から自立する」

 

同じ日本人識者は、google論議を例に、根の同じ問題を、次のように表現している。

googleの買収は、技術を買っているという側面ももちろんあるが、それよりも重要なのは、「人を買っている」ということ。優秀な人を買っている。googleによる買収のスキームは、買収されたスタートアップの人材が23年は最低でもgoogleで働くようなストラクチャーになっている(その後しか株式を市場に放出できないなど。つまりキャピタルゲインを得られるのはその後)。

日本の買収は、そのストラクチャーが決定的に甘い。買い物ごっこになっている。買収後、技術者がさっさと出ていく。それでは成果が出るはずがない。重要なのは、人なのだから。それがわかっていない。

googleは、そういったキーマンズクローズド(契約で辞職を縛る)の間に、彼らが、その後も辞めないように、徹底的に、彼らが居やすいように、楽しく働きやすいような環境を整備する。すなわち、gooleはクリエイティビティをモティベイトすることに力を注いでいる。だから、彼らが強い。

Microsoftは、クリエイティビティをモティベイトするのが下手だった。そういうマネジメントの巧拙が、現在の結果として表れている。つまり、優秀な技術者が楽しく働けて、成果を上げられる「受け皿」をキチンと用意できるかどうかが重要だ。メイカーズの話も、大企業が取り組むには、そこが重要だ。

そのあたりの肌感覚を、日本の企業のマネジメント層はわかっているだろうか。

個人と企業の関係が変わりつつある。日本の終身雇用の仕組みや、雇用延長の話は、そういった世界的な流れを、日本から見えないようにしている。」


 全くそのとおりだと思う。

 

 さて、これは会社の側から見た論理だ。では、こう整理されたロジックを、雇われる個人の側から見たらどうなるだろうか。

 そう、個人も会社から少しだけ距離を置いて生きていかなきゃいけない。そういう時代になるということだろう。会社の一員である前に、社会や経済の一員になる。会社が儲かるだけでなく、コミットした地域や暮らしが、社会の仕組みからちょっとだけ自立的に動き始める。ポイントはむしろ、そこにあるのではないか。

 従来型組織から見ると、しっかりとInsideにいながらOutsideいっぱいに立ち位置をとるInside Outsider。新たに独立した人から見ると、従来型組織とは一線を画したOutsideにいながらInside目一杯近くに立ち位置をとるOutside Insider。こうした「筋の通った境界人」の付加価値が、今、高い。こうした個人の立ち位置を、既存の組織や社会が如何にのびのびとしたものにしていけるか、その実力が社会の側に問われているのではあるまいか。


 ただし、そのためには、個人の側にも努力が必要だ。


 被雇用者が、いつまでたっても、企業に終身雇用を求めている限りは、企業の側も終身雇用を捨てられない。また企業にしてみれば、自立しやすい優秀な人から辞められる愚を避けるためにも、むしろ個人の生活の自立を妨げる方、妨げる方に社内引力が働く。

 社内の福利厚生にも力を注ぐ。それはそれで素晴らしいことなのだが、問題は、それで世界に勝てるかどうかだ。

 実際、企業は、抱え込んだ人材の人件費に悩み、結局、個々の人件費単価を何とか一律に安く抑えようとする。その結果、いくら別の側面で報いようとしてしても、最後は、技術者個人を通じた技術の流出が止まらない。これは知財法制の問題ばかりで無い。人材市場にかかわる構造問題だ。


 実は、この個人と会社、個人と社会の間の関係は、自治体と国、地域と日本全体の間の関係にも当てはまる。日本全体の活力を考えるに当たっては、放置しておけない重要な問題だ。 

 いつまでたっても国・東京からの再分配を待つ地方自治と地方企業。でも、日本の地域が、日本国政府や東京の経済に終身保障を求めている限りは、日本国政府の側も地域の終身保障を捨てられない。また地域にしてみれば、自立的に動ける優秀な自治体職員や地域メデイア、電力会社職員の雇用を失う愚を避けるためにも、むしろ、地域自身が自律的に取り組みたい方向を自ら選択せず、補助金などのとりやすい、政府一律の横並びに従う方、従う方に引力が働く。

 地域内の福利厚生サービスに力を注ぐ。それはそれで素晴らしいことなのだが、問題は、それでは地域に本当の意味での産業が育てられるかどうか、ということだ。結局、最低限の生活費に対する収入補償に悩み、そのためにまた強引に国からの再分配に適した方向に地域を誘導し、そして、地域の個性を失っていく。現に、そのつまらなさから、地域の人材流出が止まらない。

 事態はぼちぼちと、深刻さを増しつつある。


3.必要なのは社会資本と、柔軟なファイナンスと、人の繋がり

 ここで大切になってくるのは、自立しようとする個人や地域を助ける、人の繋がりと、その繋がりにコミットするファイナンスである。

 会社が尖った個人に多少の自由度を許すのも、地域が思い切って自分のやりたい方向性を選択するのも、その個人を助ける人の繋がりとファイナンスが、組織内部の論理とは別に、彼ら自身がネットワーク化した応援団があると思えばこそではないか。孤立無援で、組織内リソースを消費するだけだと思えば、どんなに良いプランであって、出来れば助けてあげたいなと思っても、辞めていただくしかなくなる。

 ただし、そこで助ける繋がりやファイナンスは、ベンチャーファンドでも、ソーシャルファンドも、会社組織にいながらでも、誰にでも出来る。ここが発明のしどころだ。


 高度成長時代は、会社組織の目指す方向性に、社員全員が、全力を尽くしていれば良かった。しかし、企業にとっても、目指すべき方向性はもはや一つではないし、社員のモチベーションも、必ずしも、そういう形では付いてこない。

 人のモチベーションは、今や組織の正統性(Legitimacy)に対する忠誠心ではなく、取り組もうとしていることの正当性(Justification)への動機付けに対して動く。再びisedからの引用で恐縮だが、次のとおりだ。

 「『とにかく商品の営業目標が大事。何のために売っているか問われると実はよくわかっていないのだけれども、その営業目標の達成に自分の人生を捧げる。』、そういう現代サラリーマン悲話が生まれる。そのベースは現在も変わらず生き続けているわけです。しかしアルフィ・コーンの議論の紹介にもあったとおり、これだけ物質的豊かさが進展してくると、給与プラスアルファといったときの「プラスアルファ」の部分がだんだん重要になってくる。食べていくだけであれば、コンビニの店員でいいという人だってたくさんいる。そうなると、「労働手段としてあなたを提供することで食べていけますよ」というだけでは社会のモチベーションが維持できない。これが、プラスアルファとは何かという議論が重要になるゆえんです。

これまで縦の組織構造においては、組織が個人に対して生産手段としてのレジティマシー(正統性)を提供するかわりに、労働者にはロイヤリティ(忠誠心)を求めて、自分の目的論に忠実に動くよう命令する。こういう社会設計をしてきました。それは、規格化された製品やサービスを画一的に生産するのに非常に適した仕組みであった。それが情報社会の横の時代になってくると、少し違ってきます。さきほども議論したように、レジティマシー(正統性)ではなく、「なぜこのプラットフォーム的な活動に参加するのか」というジャスティフィケーション(正当性)のロジックを人々は求めるようになる。そのジャスティフィケーションをくれることで、代わりに僕のモチベーション、参加へのコミットメントを返してあげますよ、というわけです。こうしたゆるやかな個人とプラットフォームの関係が必要になる。」

イメージ図としてはこの図のような関係だろうか。


 「ここでモチベーションというとき、給与のためだけではなくて会社への貢献でもいいし、あるいは狭義の企業・会社のためというだけでなくていい。もっと広い全体への貢献が見えていて、そこに貢献することで「自分が伸びることができそうだ」、あるいは「おもしろそうだ」という職場選択基準が作られつつある。モチベーションありきでアーティファクト(人工物)を生産し、社会に貢献する。こうした意味ではアルチザンの再来です。しかし、この仕組みを、大企業の中である分解された制度に落としていかなければならないとなると、非アルチザン的枠組みを導入しなくてはいけない、ということになる。このように、アルチザン的非アルチザンのようなものを再来させる社会設計はできないか。これが情報社会を語るときのひとつの命題になるという気がします。」


 このプラットフォームに、ファイナンスという息を吹き込むのが、クラウドファンドをはじめとした、需要側に付くファイナンス、なんだと思う。組織内に縛り付けられていた才能やアイデイアを、どうやって組織自身も利用できるように解き放つか、そのヒントが、Makersの動きの中には隠されている。

 需要側から作り手を盛り上げるコミュニテイ、そこにクラウドファンドなどのファイナンスがきめ細かく行き届くようになれば、個々のコミュニテイが成長軌道を手にするパスが見えてくる。そこへの壮大な試行が今、始まろうとしているのではないだろうか。その担い手は、ベンチャーでも、大企業でも、エンジェルでも、誰でも良い。大切なことは、その人の繋がりを、その気持ちやモチベーションを傷つけることなく、生け捕ることが出来るかどうかにかかっている。

 

 時代が欲しているのは、そうした組織を超えた人の繋がりを、暖かく支え合う社会的基盤だ。伝統的にはLonely Bowlingという議論がある。社会的共通資本を語る際には(例えば、本書)良く出てくる話だ。

 組織がなければ人は生きられない。産業革命が資本と生産手段と労働者を分離して以来、人は、そのフォーマットの中で暮らしてきた。その基本は、今でも変わらない。でも、本当に全く身動きできないんだろうか?カネとヒトと生産手段をバラバラに誰かに管理したまま、やりたいことに併せて柔軟に組み合わせる、ネットを通じて集めた知恵の余剰の力で、一つ一つが違う組織にいるカネやヒトを、一つに結びつけていく新しい会社の形(「カイシャ2.0」?)を作っていくことは出来ないんだろうか。

 それは、必ず出来るはずである。ただし、そのためには、ちょっとだけ組織や社会から個人がみ出たときに、組織がそれをどう扱い、社会がこぼれ出たヒトをどう暖かく支えられるのか、そのことに対する個人からの予見可能性が決定的に重要になる。

 そうした新しい産業社会モデル作りが、今、我が国で問われている。


以上

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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