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「私権と公共 怠った整合」 ~ 色々な生き方を目指した、社会的ルールの再設計 ~

2013/01/28 01:00
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 「私権と公共 怠った整合」。1月26日(土)の日経夕刊に出ていた、建築家、内藤廣先生の記事が目にとまった。


http://www.nikkei.com/article/DGKDZO50987250V20C13A1NNP000/ (会員限定記事)


個人的に、最近感じていたことと、HITすることが多い記事だったので、取り上げてみようと思う。


 


1.均等ある国土の発展と,地域の個性


 


乱暴に要約すると、「経済成長を前提として設定されてきた諸『権利』の設定が、人口減少や低成長の時代に合ってない。」ということなのだが、具体的には、内藤先生は、次のように話を始められる。


 


◆ 役人は法律に従って施策を実行に移すので、役人の気持ちになって・・・一年半ほど時間を見つけては法律書を読んだ。


◆ 「最初は防災集団移転促進に関する法律や国土計画に関する法律などを読んだ。市街地を海から離れた山側に寄せようとすると土地の問題になり、次に土地の権利を規定する民法、土地の権利は「私の権利」なので憲法をひもといた。その後は、この3段階の法律を行ったり来たり。復興が進まないのは戦後の社会システムの問題なんです。」


 


確かに、今の社会設計の仕組みは、日本全国、「均等ある国土の発展」という国土開発的発想の下、日本全体を同じように底上げしていくことを基本に設計されているところがある。しかし、今回の震災は、こうしたアプローチの限界を、見事に、別の面から露呈させた。


 


◆ 今回の震災で、ハードウエアで対応できるとされたものが防げず、技術で自然を克服できるとする近代の思想では答えが出せないことがあるとはっきりした。全国一律という近代国家のロジックも崩れた。防災面でリスクはあっても海の近くに住みたい人がいれば、リスクの低い内陸部を望む人もいる。人には色々な生き方がある。


 


そう、そのとおりだ。でも、その「色々な生き方」を支援するのが、なかなか難しい。これが、今回の主題だ。


 


これまで日本は、「均等ある国土の発展」という概念に即して、公共概念も画一的に仕切られてきた。そのスピードにおいて地域間に差が付くことはあっても、地域の個性に応じて違う取組が行われることは少なかったのが現実だ。


全国どこに行っても同じような駅前。飲食店から家電量販店まで、全国のバイパス幹線に並ぶ同じようなチェーン店舗。安定性は高いけれど多様性には乏しい農業ビジネス、公共事業から降ってくるキャッシュフローを待ち続ける地域土建業。そして、地域で一番大きく立派な建物と言えば、市役所か警察署。そのデザインまで、建てられた時期によって似たり寄ったり。


これが目指してきたゴールなのかと言われれば、そうじゃないと、声を大にして言いたいところがある一方、これらが、抜き差し難い生活上の利便性をもたらしてくれたのも、また事実。否定も肯定も、容易には出来ない。


 


2.複雑に設定された、画一的な私権


 


さて、問題は、これから先の話だ。人口も減り、経済も低成長し、必ずしも画一的な方向には持ち込めなくなってきた昨今、地域が本気で、他と違うことを始めようとすると、いろいろと障害が多い。というのも、内藤先生ご指摘のとおり、経緯付きで複雑に設定された私権が、いちいち邪魔をする場合が少なくないからだ。


ちょっと例が不適切かもしれないが、再生可能エネルギーによる地産エネルギーづくりで良く問題になる、農地転用をどの程度認めるか、水利権のなかでも慣行水利をどう扱うかといった問題は、まさに公的に設定された私権が、地域の個性に応じた新たな公共的空間の再生を阻んでいる、典型的な事例になる。


農地利用規制には、それぞれの、水利権にもまた、それぞれの、各時代背景を背負った正当な理由がある。でも、今、それぞれを持っている人たちが、同じように使いたいと思っているとは限らない。転用して太陽光パネルを張りたい。そういう個別ケースの思いと、全体としての農業政策としての進めるべき方向は、ままにして整合しないのが現実だ。


保安林の規制、自然公園の規制、建築基準物の規制、道路関係や上下水道関係、公益事業特権によって守られた電線インフラの活用など、みなそうだ。


こうした社会的ルールの再設計を、例えば、「規制緩和」という言葉で片付けると、簡単に聞こえる。しかし、内実は相当に複雑だ。


 


3.責任性を持つと言うこと


 


今や、個人でも、地域でも、個性と価値観に応じた色々な生き方が選べなければいけない。みんなが同じではない、個性が競い合うからこそ魅力的な国作りをしないといけない。でも、そのためには、もう一度、トップダウンで画一的な町の設計をしてきた日本を作り替えることが必要となる。内藤先生は言う。


 


◆ やり方はある。本当の意味での自治の復活だ。


 


そう、その通りだ。ただし、大切なことがある。権限には責任も伴うということだ。実は、以上に例示した多くも、よく見ると、自治体の首長に判断権限が降りているものも少なくない。でも、実際には、横並びを意識することなく、特定の地域だけが突出した判断を行うのは、難しいのが現状だ。結局、「本省」にお伺いを立ててしまう。それができないことを、地域だけのせいにするのは、酷だろう。これまでの「均等ある国土の発展」=画一性と、これからの「地域経済の活性化」=多様性は、簡単には両立しないということだ。


今の日本には、昔と違って、地域に資金を必要十二分に供給するだけの、公的部門の資金がない。民間部門には資金はうなっているが、今度は逆に、民間の投資基準に耐えられるだけのプロジェクトが、地方の側にない。こうして、モラルハザードな補助金や、大企業にとって都合の良い資金だけが、かろうじて地域経済を支えることになる。


地域の自立には、補助金に過剰依存するでもなく、大企業を誘致するだけでもない。ファイナンスを地域の力でとりまとめ、自分で、自分の地域の資金循環を守る覚悟がいる。そして、各地域が目指したい方向性を自ら明確化し、それを支える地域社会のインフラを、公的施設、インフラ整備、高齢者ケアの仕組みをはじめとした暮らしのソフトなど、自ら組み替えていく必要がある。


そのためには、地域自身が、そのデザインに向けて最適なかたちで、もう一度、私権を部分的に再設計し、「公的な共有地」を作り直さなければいけない。先生は言う。


 


◆ 町の再興は『時間の問題』だとおもう。人が暮らすうちにどのように成熟していくかという観点が大事になる。


 


そう、その時間の問題に対して、国任せにせずに、地域が自分で、自分の成熟の方向性に責任を持つこと。そのことが、本当の責任性への目覚めにもつながるんだと思う。


しかし、それを実現するためには、東京からの資源の再分配を前提とした、東京中心の縦型社会的ネットワーク自体を作り直さないといけない。基礎自治体、都道府県、国会と続く縦社会の流れは、今起きている問題を、国に持ってこい、国に持ってこいと誘うかのように問題提起する。それがまた、次の選挙にも直接的に影響したりする。


また、こういうネットワークを維持するためにも、私権と公共の調整をはじめ、様々な社会ルールの設定を、事実上、中央集権的に設定することに強いインセンテイブが働く。


現実、若手で、地域自立的な動きに取り組もうとする人であればあるほど、こうした縦型ネットワークに犯された地域の政治に興味を失い、個別別途に、他地域で類似の取組に挑戦する人たちとの民間レベルのネットワークに頼らざるを得ないという現実がある。霞が関も、事実上、同罪だ。



4.三陸と福島


 


◆ 三陸と福島は、日本のこれからを考える場所だと思う。


 


本当にそうだと思う。日本中の人が、福島の人や三陸の人の気持ちになって、もう一度、自分の暮らしを再考してみる、くらいでも良い。等身大の日本の現実がよく分かる。


人はそんなに立派じゃない。自分で自分の復興プランを書いてみれば良いじゃないか。日本中が、三陸と福島を支援しているんだ。そんな言葉がうつろに響く。言うは易く行うは難し。


三陸と福島の現実は、どうしようもなく他地域とは同じたり得ない。被災という問題を抱え、自分が外からどう見えているのか、自分は自分をどうしていきたいのか、自分自身で強制的に自分を見つめ直さなくてはいけない状況に、否応なく追い詰められている。


復興庁自身も呻吟しているように、その答えは、簡単ではない。


確かに、3.11.以降、日本人は強靱な精神力で立ち直りつつあるように見える。少なくとも、世界からは、そう見えるもしれない。現実、そういう論調も耳にする。でも、現実は違う。財政赤字も、解決しない社会保障問題も、伸ばしきれない産業も、実は、共通の問題の根っこを持っている。


1月27日の日経朝刊で、著名なフランスの政治学者、ドミニク・モイジは言う。


 


    「日本には独特の復元力がある。東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故後、日本人は一段と団結して自信を持った。中国のように民主主義のない国、インドのように民主的だが不平等な国の弱い社会とは比較にならない。その意味で、日本の人々には敬意を払いたい」


 


確かにそうかもしれない。でも、実際には、そこまで日本はまだ、立派ではない。地域は、いや、多くの日本人が、自分は何故、ここに暮らしているのか、どうしてここに住みたいと思うのか。その積極的な理由を見いだせないまま、最低限の「復興」に甘んじている。


そういう意味では、自分が現在、浮体式洋上風力プロジェクトの実現という職務でお話しさせていただいてる福島県の漁民の方々の方が、リアルかつ強烈に、この問題と闘っている、そういう印象を持つ。


 


5.そこに住む、住みたいと思う理由を持つ


 


真に自立しない地域経済に、どう責任ある自立を促していくか。権限と資金を与えた上で、自らの再設計を、自らの力に委ねる。私権と公共の調整も含めて、自分のことは、自分に任せなくてはいけない。ちょっと語弊を伴う言い方もしれないが、それはある意味、これまで何でも面倒を見てきた子供達を、立派な大人に成人させるような作業に近い。


実は、でも、そのこと自体が、人がそこに生きる理由を見いだすと言うことなんだと思う。内藤先生は、建築家らしく、次のように表現される。


 


  一建築家としては、人がいることを許される場所を造りたい。三陸沿岸部は大震災で『そこにいちゃいけない』と言われたみたいなものでしょう。翻って、都会にいることを許される場所があるのかという疑問が湧く。素晴らしい建物は、人間の存在そのものの肯定を語りかけてくれます。それが理想。私の経験では、アメリカの建築家ルイス・カーンの一時期の建物


 


そこに住む人が、そこで生まれたという以外にも、そこに住む理由を見いだせる社会を造る。そのための社会作りを、どう考えるか。そのためには、地域が自分で、日本を貫く縦型の利害調整ネットワークに頼らずに、自分のための金を自分の力で集めなければならない。


私権と公共の調整。それを規制緩和という言葉でくくってしまうと、なにやら居心地が良いが、現実には、地域社会が、その地域に暮らす人々との間で、厳しい責任性を問われるようになる。


しかし、それだけ自分で責任を持った対応をとれば、自立したファイナンスを切り開く可能性はあるのではないか。投資基準を満たすプロジェクトさえ書ければ、民間部門に、資金は余っているのだから。。


産業は最後、海外で商売すれば良い。また、そこにすがれば、一見、日本経済も生き延びているような外見上の印象を保つことは出来る。でも、日本人それぞれが、そこに住む理由に拘り抜ける、そういう環境がなければ、みかけだけ経済が回っていても、それを本当の日本経済の再生とは呼べないのではないだろうか。


地域のキャッシュフローの自立無くして、日本の国内経済の再生はあり得ない。


そう思う、今日この頃である。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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