S.Jobsについて。
Time、Newsweek、様々な媒体が、個性ある取り上げ方をしている。しかし、これだけ多くの媒体に取り上げられてなお、共通するキーワードがあるのが印象的だ。そのキーワードは、「創造」。ちと辛口かもしれないが、例えば、Newsweek(10.19号)へのマンジューの書き方が印象に残る。
ジョブズが半導体の処理速度を速めたわけではないし、ハードドライブの容量を拡大したわけでもない。携帯電話用のセルラー無線を発明したわけでもない。マウスさえ、ジョブズの発明ではない。もしジョブズがいなかったとしても、現在ある技術はすべて誕生していただろう。
では、もしジョブズがいなかったらとしたら、そうした製品はどういう姿になっていたのか?ジョブズが私たちの生活をどう変えたか、様々な市場を、アップルの進出前と後でどのように変化したかを見れば良い。・・・
技術があるだけでは、何も「創造」されない。技術に、どういう「姿」を与えるか。多くの人の心と生活に響く、「溶け込ませ方」はどうすれば得られるのか。そこに徹底してこだわるという意志こそが、まさに技術を「創造」に変える。
多くのアップルの製品は、僕等にそのことを教え続けてくれたのではないだろうか。そして、まさに、そのことによって、Jobsの自宅の庭にもその木があるという、リンゴのマークが、僕等の生活に欠かせないアイコンとなったのではないだろうか。
思えば、S.Jobsの人生自身が、強烈なデザインへの意志の塊であり、S.Jobs自体、一つの確固としたブランドだったのだと思う。このTimeの記事(残念ながら有
http://www.time.com/time/magaz
ine/article/0,9171,2096327,00. html
この記事の著者は、唯一、S.Jobs本人に請われて伝記を執筆しているプロのライターだ。その著者は言う。「S.Jobsは、後世、ヘンリー・フォードやトーマス・エジソンと並び称されるだろう」。
冷静に考えてみると、確かにそうかもしれない。産業革命は多くの技術を生んだ。でも、その中でもなお、蒸気機関を見て、誰もが乗れる「車」に仕上げることにこだわり続けたのはヘンリ-・フォードだった。電気の原理も発見したが、それを街の明かりに、誰でもが使える電気にすることにこだわり続けたのも、トーマス・エジソン、その人だった。
そして、フォン=ノイマン型コンピュータを、個人が楽しめる道具にすることにこだわり続け、その「形」を発信し続けたのが、Steve Jobsだったのかもしれない。しかも、自ら育てたPCという姿が時代に合わなくなったと思えば、躊躇無く、自らそれをスマートフォンへと変えていく。
そこには、デジタル時代の個人の生活と能力を、どう豊かで楽しいものにしていくか、ということに対する明確な意志があった。
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この記事には筆力がある。...まさに、デザインの本質を一生かけて体現しつづけたのがS.Jo
芸術的なものと機能的なもの。その相反する要素を妥協無く積み上
そして、その恐ろしいまでの集中力を発揮してできあが
芸術性と機能性という相反する二つの要素を、どうデザインするか。人からどう見られるかを徹底して意識し、人にどう見せるかに徹底してこだわり抜い
「今日が人生最後の日だとしたら、君は、今しようとしていることを、本当にするだろうか?」 S.Jobsの決まり文句だ。そこまで我が身を追い込み続け、時に「恐ろしい」とまで称されるほどの集中力を発揮しながら、技術を「形」にする。その「形」に、彼はどこまでもこだわり抜いた。そういう一生だった。
この記事の筆者は、CEOを引退したS.Jobsを、この8月、取材に訪れたという。その時、Jobsは、既に2Fに上がる体力を失い、1Fでのみ暮らすようになっていたそうだ。しかし、そんな状況になってもなお、Jobsは、「デザインする努力」を止めようとしていなかったという。筆者は、Jobsのその壮絶な姿を見て、思わず、「さようなら」とはいえずに、次の質問を発した。
「なぜ、そこまでこだわり抜くのか。」
その質問に対して、S.Jobsは、こう答えたという。
「私が何をしたのか。そして、なぜ、私がそうしようとしているのかを、私の子供達に知って欲しいからだ。」
素直に、泣けるなと思った。彼は、人生をかけて、自分を表現し続け、かつ、それが世界を変えるということを信じて止まなかった。そして、そのことを必死になって、理解してくれる誰かに伝えようとしていた。この記事も良かった。
彼の人生自体が、一曲のロックのようなものだ。
そこそこ努力さえすれば、自分にふさわしい「姿」は外から与えてもらえるはずだ。そう勘違いしている人が、今、世の中には、山ほど溢れている。そして、その評価が不当だ、世の中に問題がある、そうこぼす人が、これでもかと思うくらいに存在する。
しかし、自分の形や、自分からの発信は、自分にしか作ることができない。世の中に何をどう「認めて」もらおうと、それは、デザインすることとは違う。自分を確立することとも違う。今必要なのは、「作り」続けることへの強い意志だ。
こんな現代にあって、S.Jobsは、なお、自分の意志を信じ、しかも山奥の方丈に籠もることなく、自分なりの形で、自分の意志を、シリコンバレーから発信することにこだわり続けた。
常に初心に戻って、自分をいかに見せ、いかに見られるかにこだわり続けることの大切さを、S.Jobsは命をかけて、僕等に、そして子供達に、教えてくれたのかもしれない。そして、現代にあってその貴重なS.Jobsというブランドを、僕等は、今、失ってしまったのだ。そこには、デジタル時代における世界のものづくりの土台自体を揺るがすような、大きな喪失感がある。
あるべき姿に、妥協無くこだわり抜くこと。そのことを彼は、Stanford大学の講演で有名になった、”Stay Foolish. Stay Hungry.” という言葉で言おうとしたのではないだろうか。
S.Jobsに哀悼の意を。