お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

高校生からわかる資本論

2011/09/25 00:00
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
ブログ管理

最近のエントリー

   経済学に興味があるという甥っ子のために買ってみたはずの、「高校生からわかる資本論」(池上彰著)。実は自分が填まってしまいました(苦笑)。


何より、今から約100年ちょっと前にかかれたはずの「資本論」が、現代の経済情勢をとても正確に言い当てていることに改めて気づかされ、今更ながら、驚きました。


 


1.今につながる「資本論」:一部例示


 


池上さんの本は、みんなが苦労する資本論の前半部分の絵解きも、とてもわかりやすかったのですが、後半部分も、つくづく、今の状況につながることが多いなあと思わされました。たとえば、次のような部分。


 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 - 資本家は、「労働」を巧みに使う。労働も、使用価値と交換価値の両側面を持つ商品だ。その差が生み出す剰余労働を利用して新たな富を生み出すのが資本家だ。剰余労働があるからこそ社会は豊かになる(剰余労働自体が悪いわけではない)。


 -  ただし、労働の場合、商品全体が安くなると、その価値を支える労働の交換価値も引きずられて安くなる。大規模な機械や工場が導入されることによっても、労働力はますます安くなる。ひいては、失業につながる。この結果、失業の縁に追いやられた産業予備軍ができていく。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 


あまり余計な解説はいらないと思いますが、この辺なんか、今のフリーターや派遣労働者に溢れた労働市場の状況そのままなんじゃないかという感じがしますよね。


 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


  資本の自己増殖が限りなく進展し、独占傾向に拍車がかかれば、こうした流れがますます加速化し、安く評価され失業の縁に追いやられる労働者からの革命を呼ぶ。


  しかし、そうした懸念があってもなお、資本は、一度はじめた自己増殖を止められない。機械のシステム化、生産工程の複雑化などに伴い、「労働手段が共同でのみ利用できる形に変化し、共同の社会的労働の生産手段として利用されることに寄るあらゆる生産手段の経済化が進む。」「全ての民族が世界市場のネットワークに組み込まれ、それとともに資本の国際的性格は発展する。」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 


 革命を呼ぶかどうかはよくわかりませんが、それに近い不満と不安は、既に、今の日本社会にも相当貯まっている気がします。加えて、今の社会は、それを見て見ぬふりしているようなところがありますよね。


後段は、何とも言えず、今の状況に即して、ものすごくリアリテイを感じる表現だなあと、思いました。この表現は、池上さんご自身も、特に手を加えずに、原文訳をそのまま拾っておられるようです。


 


 他にもあげればきりがありません。それを長々と紹介するのは、ここでは避けますが、池上さんの本くらいコンパクトにまとまっていると、逆に、素人でもいろいろと資本論から示唆を受けることができて、読んでて楽しい感じがします。(もう少し本格的に、がっつり考える場合は、柄谷行人さんの「世界史の構造」が良いように思います。)


 


 


2.資本論の現代的意味?


 


もちろん、だから共産主義を支持する、というわけでは全くありません。世界同時革命をいきなり目指した、その後の「共産主義」が迎えた顛末は、歴史が証明したとおりです。


むしろ、資本論が指摘した課題を踏まえ、20世紀の長い経済政策の奮闘を通じ、ケインズの議論、ハイエクの議論、更にそこから色々な考え方が出てきた。政府が有効需要を作り出し労働力へのニーズを作り続ける方法。法による規整を課すことで、資本の不要な暴走を抑えながら、競争を最大限活用する方法。資本の国際的活動や労働力の使い方に対する様々なルール作り。


資本の自己増殖機能と競争原理を最大限活かしながら、「最後の審判」を回避する様々な発明が、この約100年の間に、次々と行われてきた。そのプロセスを生み出したことに、「資本論」の功績があったんだと思います。


 


 しかし今、一度は機能したはずの発明達が、いずれも激しいチャレンジにさらされている。だからこそ今、「資本論」的状況に改めて経済情勢がリセットされている。そんな風に感じています。


 


 何が、今の状況を「資本論」的にリセットしてしまったのか、自分自身でおもったポイントを三つ程度、つかみだしてみました。


 


 第一に、伝統的な政府の経済政策の機能不全です。


 例えば、戦争がらみの出費の拡大、高齢化社会の進展により急速に膨らむ社会保障負担の増加、その他の事情により、多くの国で財政政策の有効な発動が難しくなっています。だからこそ一層期待される金融政策も、ご存じのとおり、デフレの進行により影響力を失い始めています。


また、国際的競争が厳しさを増す中で国内雇用を維持しようとすれば、労働規律の強化や公共的負担の増額が必要になる。しかし、それをすればするほど、企業の海外流出は加速する。このパラドックスも強化されています。日本の高度成長期には比較的うまく回っていたかのように見える資本と労働のバランス関係も、徐々に壊れ始めているという感じがします。


20世紀に発明された伝統的な政府機能の多くが行き詰まっている、そんな風に考えるのは、やや大げさでしょうか?


 


第二に、金融市場の急拡大です。


この20年間、新たな金融手法の開発により信用は急速に広がり、実物経済の何倍という規模の膨大な富が生み出されました。そのことが、実は、経済自体の脆弱性を増しているように感じます。


ファイナンス自身が自ら利回りの高い金融商品を生み出せば生み出すほど、相対的に利回りの悪くなる実体経済への投資が劣後する。ましてや、長時間かけてジックリ取り組むような長期性の資金ニーズのところには、なかなか資金が集まらない。そうなると勢い、短期のファイナンスノウハウの高度化に、知見と資金が集まりやすくなる。


さりとて、資本が資本であるためには自己増殖を止めるわけにはいきませんし、金融市場のさらなる競争を止めることもできません。ましてや、ファイナンス側に、あえて割りの悪いものに投資せよとも言えません。しかし、実体経済の側からみると、巨額の投資競争が煽られれば煽られるほど、ファイナンスを味方につけられなければ、競争の入り口にすら立てないという状況になってきています。


その結果、こうした動きが加速すればするほど金融経済に対して実体経済が劣後し、それが将来の優良な投資先を細らせ、ひいては、それがファイナンス自身の首を絞める結果にもつながっている。労働を持って行く先も細くなる。これもまた、一つの時代のパラドックスなのかなと思います。


言い換えれば、金融の自己増殖活動は、将来の雇用や、将来生み出すべきコンテンツそのもののことは考えてくれない、ということでしょうか?


 


 第三には、資源問題です。


 もともと、金融手法が80年代~90年代に発達するきっかけとなったのは、資源主権に目覚めた資源国から、価格決定権を奪いかえすために発達した先物市場でのやりとりが端緒。自分はそう理解していますが、それに再度対抗するように始まった湾岸危機と、その引き金を引いたと言われるイラクの価格決定主導宣言。以来長引く中東情勢の混乱。「資源価格は上げられる」ということに資源国が気づいてしまった今、結局、市場も、なかなか収束する先を見いだせていないような気がします。地球温暖化問題などの形で表出している不安の背景の一つとしても、資源情勢の不安定化があるのではないでしょうか。


こうした市場の不安定化を受け、最近では、サウジアラビアなど世界の石油市場の主要プレーヤーの動き方も変わりつつあるようです。中東情勢の混乱も深く深く続いており、米国が退潮気味に動かざるを得ない中、全体として収束する方向が見えません。ながらく世界の石油価格の指標として君臨してきたWTIが、徐々に世界の指標たり得なくなってきているのも、奥の深い現象のような気がします。今まさに資源バブルによって資金を持ち、購買力も強めている新興国が、資源価格の決定プロセスでも発言力を強めているのも特徴的です。レアメタルの話なども典型でしょうか。


資源国周りの動向は、金融断面に対しても、実体経済断面に対しても、ますます、大きく、かつ、予測の難しいインパクトをもたらしつつあるように思います。


 


 


3.国家資本主義と市場資本主義


 


 ユーラシアグループのイアン・ブレマーさんが、日経新聞のインタビューで答えておられましたが、最近、国家資本主義と市場資本主義という軸から世界経済を見るのも、実感に適った面白い見方かなと思います(詳細な内容のご関心の方は、「自由市場の終焉」(http://amzn.to/rpeLKK)を参照)。


 


国家資本主義の中でも、資源を抑え、ファイナンスも抑え、実体経済で強力な存在感を放っているのは、やはり中国です。


 WTOルールも半ば無視し、透明性もないままに、実態経済面で国家的な規模での投資を仕掛けてくる中国。もちろん、中国には中国の国内的な不安も多く、止むに止まれずそうしている部分もあるんだと思うし、中国政府自身も、そこまで綺麗に計算尽くで動いているわけでもないだろうと感じます。しかし、その力は、実際に海外で競合してみると、有無を言わせない非常に強いものがある。しかも、金融市場においても、米国債始め重要な債務をしっかり引き受けていますから、実体経済ばかりでなく、金融市場に対しても強く出れます。


 共産主義を標榜したはずの中国から、こういう(少なくとも国際的には)資本主義的モデルが出てくるというのは、なんか歴史の皮肉にようにも思えなくもありません。


 


 しかし、中国の国家資本主義モデルは、資本論の言う、「資本の国際的性格」を先読みして国家レベルで取り組むという、国内的な矛盾に耐えながら、一つの論理的な回答を示しているだけなのかしれません。対する市場資本主義モデルの方は、情報開示と透明性の確保による、市場機能の最大限の活用を積極的に訴え続けているわけですが、実体面への食い込みということでは、やや弱いような気がする。


 何となく、前者は実体経済を主たる対象とし、かつ長期の投資に軸足を置く一方、後者は、ファイナンス自身を主たる対象として、かつ比較的リターンが短い投資に軸足を置くということで、最近、妙な棲み分けが発生してしまっているのではないか。そう考えると、なんか不気味です。


 


 そもそも、産業革命が僕らに気づかせてくれたのは、技術革新が世の中を大きく変えるという夢を現実にすること。だったような気がします。鹿島茂さんが、サン=シモン主義を紹介する中で、万国博覧会が始まった頃の産業革命に抱いた夢を紹介してらっしゃいます(「絶景、パリ万国博覧会」鹿島茂著、http://amzn.to/nMv4P0)。今、市場資本主義陣営の方が、逆に忘れかけているのは、このことなのではないでしょうか。


 


中国タイプの国家資本主義モデルの方が、フォローアップ型だけに、追いかけるべき「夢」が非常に見えやすく、そのことが彼らに大きな原動力を与えているよ。だからこそ、金融市場にしても、資源市場にしても、その動きが実体経済に対する従属変数になる。


 


トップランナーになり、そう簡単に、「夢」自身が描けなくなっている市場資本主義国。作ろうとしているものを忘れて、資本自身の自己増殖のみが頭にはびこり始めた瞬間、労働との関係のバランスもとれなくなり、金融市場にも資源市場にも、翻弄され始めている。その結果、経済運営も、何を基軸に判断すれば良いのか、迷いが大きくなり始める。


 


何となくですが、その辺りに、一つの解決の糸口が寝ているような気もします。


 


 素人の長口上もいい加減にせえ、という感じもするので、この辺で止めておきますが、いずれにせよ、「資本論」が書いていた世界と、今の世界経済情勢が、あまりにも似ているように感じたものですから、おもわず、こんなエントリを書いてしまいました。


 


 やっぱり、古典、恐るべしですね。


 


 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー