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村上春樹講演を読んで

2011/06/11 15:00
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 カタルーニャ国際賞授賞式における村上春樹講演を読んだ。とても良い講演だと思った。


 こういうスピーチを通じて、色々な人が、色々な意見を語り合うことこそ、普段、押し黙ることを美徳としがちな日本人にとって、必要な作業だ。その土台とするには、やや美文すぎるのかもしれないけれども、ともかく、その内容の当否よりも、この講演を通じて、色々な立場から、日本を思う人が、色々な思いをぶつけ合い、語ってくれたら良いと願う。


 以下、稚拙ながら、自分の感じたことをまとめてみたい。


 


   *   *   *


 


 読後に残った思いを一言でまとめれば、こうだ。



個性を守る。中長期に夢を追いかける。夢想家としてではなく、国家戦略として、中長期に何を選択するのか。何が日本らしさなのか。今ほど問われている瞬間は、無い。


 このある意味当たり前の、だけどとても大切な感想を喚起するに当たって、村上講演は、非常に優れた材料を提供している。ただし、僕にとっては、共感する部分と、ちょっと違うなと思う部分とが、両方ある。


 


 確かに、村上春樹講演が示唆するとおり、僕等は「効率」ということに振り回されてきたと思う。何より、その弊害は、原子力の問題というより、様々なところでの「らしさ」(例えば、「日本らしさ」)の喪失であり、世界中の均質化でであると、僕は感じている。


 インドに行っても、アフリカに行ってもそうだが、市場が資本効率性を追求した結果、「効率」を鍵として世界中が、社会も生活スタイルも、全てを均質化させる方向に向かっている。同じようなショッピングモール、共通に流れるブランド商品。フードコートで食事をするインド人家族の表情までもが、豊洲のららポートにいる日本人家族と同じに見えた時には、正直、相当ショックを感じた。着るものも同じ。食べるものも同じ。電源構成までも、最近はそうなのかもしれないし、半分冗談だが、「気候(温暖化?)」まで、同じでないと気が済まない人も多いらしい。


 このように、多くのものが均質化してしまうのは、生活・社会の様々な側面に資本の論理が染みこむことによって、規模の経済性、効率性が徹底されているからだと思う。ボードリヤールが「消費社会と神話の構造」で指摘したような消費の差異化と均質化の論理が、まさに世界中を席巻している。また、そこで上げられる収益と、そのかすかな実物経済の利益の差分を目一杯活用した、レバレッジだらけの短期金融の収益で、今、世界中が飯を食おうとしている。


 その結果、僕等は、資本がリターンを期待する期間(おそらく長くて7~8年)というものに、本来持つべき夢や個性の発揮を、縛られているのではないだろうか。通常の資本は、長期の取組には耐えられない。10年先の自社の存続を保証し、担保にできる企業など居ないだろう。全ては、資本がリターンを期待する期間の中での成果として、評価される。そうして、世界は、みんなで同じ方向に向かってしまうのではないだろうか。そしてその結果、次なる差異化の源泉を見いだせず、資本主義社会自体すら、路頭に迷う恐れがではじめている。


 


 今必要なのは、中長期の個性あるビジョン。そこにおける文化と個性と哲学の提示。そのビジョン自身の競争を支えるような長期の資金ではないだろうか。その中での、短期的効率性が招く均質性への反逆こそ、次の時代の新たな価値観(もしくは、次なる「差異化」の源泉)を産むに違いない。


 最近凝っているアフリカで、彼らの国作りの難しさを見ていると、まさに、反面教師としてそのことを実感する。中長期の信用を支えられないからこそ、短期に組み合うべき様々な利害が、対立したまま、放置されている。だから、国作りがなかなかかたちにならない。また、そこでなお、部分的に短期の収益に与した側面では、アフリカらしい良さが、どんどん、失われている。


 


 しかし、だからといって中長期の夢を語っているだけでは、何もスタートしない。夢想家は夢想家である限り、むしろ、共感だけではなく誤解も同時に引き起こす危険性を孕む。共感を誤解に転嫁させず、素早く行動に移す戦略が必要だ。資金面と行動面の両方から、時間をともに過ごす信頼感の輪をこそ、広げる必要がある。


 繰り返しとなるが、こうした長期の取組に、企業や資本の論理は耐えられない。だらこそ、今こそ、個人のウイルと国家の志が問われる。僕は、その隙間に、今回の村上春樹講演が微妙に交錯しているように感じる。


 


 彼の訴えは、ある意味非常に胸に刺さる。個人的にもとても尊敬する小説家だし、効率を追求したことによる犠牲も大きかったという意味で、講演内容には事実関係の評価としても共感する。


 しかし一つ、違和感が残る点がある。日本の平和主義は、非現実な夢想家として選ぶべき道ではない。これまでも、大陸辺境国家という現実の中で、考え抜いた末に選択してきた、受動的平和主義というある種の国家戦略だ。原子力という選択も、単なる電力政策という輪の中だけで選択されてきたものでもないだろう。効率のために原子力が採択されたという評価も、間違っていると思う(その後の電力会社の競争戦略という面では、また別だが・・・)。


 夢想家としてではなく、現実の国家戦略として、中長期に何を選択するのか。何が日本らしさなのか。今ほど問われている瞬間は、無い。ややもすれば真逆の結論を招きがちな、短期の当面の需給対策とは関係なく、そのこと自身を今、骨太に問う必要がある。


 例えば、まさに、その「効率」を、「価格と品質」に置き換えつつ、逆手にとって世界市場に進出してきたのが、かつての日本の現実だったのではないか。それが、日本の国家戦略だったのではないか。そして、その資本が欲する効率性を逆手にとる戦略が、今逆に、中国、韓国などに取って代わられようとしている中、次に支え、戦略的支柱とするべき日本的価値観とは何か。そのことこそ、今、国内で、いや国内外で、日本に対して問いかけるべきである。


 


 企業を単位とする主体で構成される市場では、中長期の価値観を育み、育てることは難しい。突出した個人の思い、文化的な背景、それらを結びかたちにするネットワーク。市場の隙間に落ちる中長期の成長の芽をこそ、見つけ、企業も政府も個人も含め、その志に共感し行動する意志あるみんなの力で、育まねばならない。


 個人のお金と信頼を吸い上げ、中長期の日本に投資していた時代の仕組みが懐かしい。郵便貯金、興・長銀。そうした仕組みに戻れという気はさらさら無い。しかし、企業に10年生き延びる未来を考える余裕はなくとも、個人には、10年後は必ずやってこなければならない。個人からの信用供与の束ねあわせこそ、この課題にフィットする。そのことを、僕等はもっと注目しても良いのではないだろうか。そう思うと、ワリチョー、ワリコーの楕円形の文字看板が、なんとなく、ノルスタジックに去来する。中国が日本の中長期国債を買いましたことをみても、今、当の金融市場ですら、そのポートフォリオにおいて中長期の「市場」が欠けているのではないだろうか。


 


 個人の人生は、企業の人生とは違う。少なくとも、7~8年では終わらない。個人の市場が提供する「信用」と、国家戦略の重ね合わせ、そこで問うべき日本的価値観ということこそ、時代を解く鍵を握る。ネットがこれだけ広く、深く浸透した今こそ、個人の信用をどうやったら収集し、重ね合わせることができるのか。その個人の力を集約するためのきっかけとしての、国家としてのビジョンをどうやったら様々な流れの上でうまく接合できるのか。国家全体のアーキテクチャが、そしてその設計の日本らしさが、今ほど、大きく問われている時はない。


 


 予定外のエントリとなってしまいましたが、村上春樹講演が優れた題材を提供してくれたと感じたので、寄り道まで。


 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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