4.しかし簡単ではないアフリカ経済
こうした、まさに本格的離陸期に突入したアフリカ経済だが、他方で、抱える問題は、あまりに大きく、かつ悲しい。その基本的な問題は、増え続ける人口と、それゆえに破壊が進み生産性が落ち続けている農村部の生産環境にある。こうした側面を見てみたい。
(1) 人口の急増と進む自然破壊
実は、今、世界の人口は、毎分42人のペースで増え続けている。一日約6万人だ。これだけの数の人口が、住む場所と食料を必要とし、そのためにエネルギーを消費する。地球は急速に枯渇する。
その人口爆発ドライブの震源地が、アフリカだ。アフリカ全般の出生率は、それでも世帯あたり8人のレベルから5人台まで落ちつつあるとみられる。しかし、女性の結婚がカネになり、短期に集中する農繁期の人手不足が深刻なアフリカ農村部で、子供を生もうとするモチベーションは、そう簡単には下がらない。さらには、子供が無事に育つ可能性が低く、出生時の死亡率が異常に高いことも、逆に出生率を押し上げる要因となっている。
こうして20世紀後半急増した人口は、農村部での無理な開拓につながっている。このため、アフリカの豊かな農村部は、一転して禿げ山と生態系の崩壊に晒されている。食料ばかりでなく、燃料の薪として、木が次から次へと切り落とされてしまうことが、更にこの問題に拍車をかける。その結果、土地は急速にやせ衰え、加えて干ばつや洪水などの自然災害に対する耐性も逆に弱まっている。
度重なる内戦・内紛は、食力不足と農村破壊に拍車をかけている。生態系の崩壊はおろか、本来は食してはならない野生生物まで苦境に陥れている。いわゆる、ブッシュミートだ。
例えば、1960年代に100万頭いたタンザニアのチンパンジーは15万頭まで減少している。正確な統計はないが、ニシゴリラの多くの亜種が、数百頭まで減少し、絶滅の危機にあるという。厳しい環境は、捕食しやすいゴリラやチンパンジーを格好の食材に変えてしまう。困窮にあえぐ農村部での食用として供されていると見られる。
1970年代半ばに2万9千頭いたコンゴのルワンダ国境に近いビルンガ国立公園のカバは、800頭以下に減ってしまった。その密漁を支えるのは、内紛による兵士と難民である。カバは本来凶暴な性格を持つため、武器と組織的な密漁活動がなければ、捕捉は難しいだろう。しかし、食糧の補給など臨むべくもない紛争地域では、そこにいるものを食材とするしかない。
ジンバブエで最も整備され美して有名な国立公園でも、政治的な混乱の後、欧米からの膨大な数の観光客は急速に影を潜め、それどころか、2000頭いたサイが800頭を切り、今や、もっと減っている模様だという。この密漁に手を染めるのは、都会で職につけなかった人々のようだ。そこでは、地域社会のモラルも刃が立たない。
こうしたブッシュミートの珍味としての欧米への輸出も後を絶たないという。
(2) 低い農業生産性と高い賃金と「資源の呪い」
自然破壊とブッシュミートに筆をさきすぎた。ブッシュミートの乱獲停止は、自然環境保護のために不可欠の取組である一方、経済再生に直接つながる解ではない。そこで語るべきは、失われた農村部の生産力低下と食糧難である。
農村部の生産力の低下は、今、アフリカの食料輸入を急速に拡大させている。現在、その輸入量は、日本と並ぶ。世界の食糧市場では、アジア地域とアフリカ地域が、互いに食料輸入の拡大を競っている状況にある。しかもアフリカの食料輸入のペースは、アジアのそれを大きく上回る。面積あたりの人口密度がアジアより遙かに低いアフリカだが、その食料輸入は近々アジア地域全体も抜くと言われており、世界の食糧危機の導火線は、今や、アフリカが握っている。
前述したとおり、生産性の下がる農村部に見切りを付け、人口は都市へと流入を続けているが、その都市化の進行と食料輸入の増加率は、統計的に見ても完全に連動する構図となっている。都心部への若年労働力の流出と人口爆発が、ますます農業生産性を下げているためだ。
こうした農業生産性の低下と人口流出の悪循環が続けば、今後も、アフリカの食料輸入拡大はますます増え続ける。加えて、経済構造的に見て、更に大事なつながりは、食料生産性の低さが、更に経済における食料価格を押し上げているということである。その食料価格の高さが、アフリカの物価をアジアなどと比べて高いものにしている。
このため、実は、アジアなどと比べても、賃金が決して安くない。アジアと比べれば遅れる教育普及の差もあり、企業にとって、実は、アフリカでの雇用確保は非常に難しい課題となっている。こうした問題の根っこにも、農村部の崩壊がある。
雇用拡大が進まないと、農村部から都心部への人口移動が起きても、それが雇用の強化には結びつかない。雇用の強化に結びつかなければ農村部への送金も進まなければ、農村部の立ち直りも進まない。また、その結果、国の経済全体としてみれば、資源産業や、その周辺で鉄鋼、セメント、鉄道などの産業が着実に成長を続けているものの、それを支える中産階級予備軍が育たないことになり、そこでの収益が必ずしも、広く国民経済全体に還元されない構図が定着している。
実際、多くの工場のエンジニアやエチオピアの通信事業でも、活躍しているのは、アフリカ人ではなく、大量に派遣されてきた中国人技術者だったりする。アフリカ人がつける職場は、多いようで少ない。
爆発する消費を見ていると期待はゼロではない。しかし統計を見る限りいわゆる貧富の差を示すジニ係数はアフリカ諸国で拡大を続けている。一部には、危険領域といわれる0,7を突破をする勢いとなっている。このままでは、引き続き、富は一部の産業に集中し、典型的な窮乏化成長へのパスへと陥っていくおそれが高い。
5.アフリカ支援の難しさ
こうした状況に対して、世界は手をコマねているわけではない。食糧の問題一つとっても、人道支援は続けられている。しかし、こうした「善意」の援助の多くが、地場産業の成長を妨げるという皮肉な現象が起きているのも、また事実である。
例えば、人道的観点から、欧米から小麦やトウモロコシが提供されている。しかし、安くて品質の良いこれらの穀物の供給は、農村部門の収益を悪化させるケースが後を絶たない。さらには、こうした食材がアフリカ人の食生活をそもそも変えてしまっていることも、構造的に問題の難しさを加速させている。同様の現象は、人道援助の観点から大量に提供されている古着についても、指摘できる。その結果、ケニア、タンザニア、ザンビアなどの繊維産業を壊滅的な危機に陥ったという。
加えて、こうした人道援助を担う援助機関が、アフリカにおいて外国語を理解し事務能力に優れた希少な人材資源を奪っているとの批判もある。留学支援などを通じ、せっかく、医師などの専門家を育てても、育った医師は欧米に流出し、アフリカ自体にはまったく裨益していないとの批判も強い。
明るい例もないわけではない。例えば、コーヒー畑として農村の再生を進めた結果、禿げ山化した自然が回復し、生態系も回復。かつ、その豆を、日本のUCCコーヒーが積極的に買い取り、村の再生に貢献することで、生産性も好循環の輪に入ったという例だ。
しかし、ケニアなどの輸出産業を支えるコーヒーも、今、ベトナム等新たな生産地の登場とそれによる豆価格の低下によって、収益率の悪化に悩んでいるという。ケニアといえば、その花卉ビジネスも外貨獲得産業育成の成功例といえるが、他に、アフリカの土地の性格に合い、外貨獲得源にもなるような農業ネタの発掘は、なかなか、うまく進んでいないようである。
深刻な内戦の空けたルワンダでは、海外に避難していたエリート層の国内復帰によって奇跡と呼ばれる経済回復が続いている。が、それでもなお職のない人々が、もともとの教育水準の高さを活かして、南アフリカへの流入を続けているという。これを受ける南アフリカの側では、ルワンダ人の高い教育水準を活かすべく、ワールドカップ後方針を変え、積極的に労働難民を受け入れているというが、こうした移民政策は、良質な雇用を求める企業の成長を大きく支える一方、それによって就業機会を失う南アフリカ国民の一部からは激しい批判に晒されているという。どちらの肩を持っても、問題は簡単には解決しない。悩ましい問題である。
このように、成長するアフリカ経済は、大きなジレンマを数多く抱えている。
6.経済社会システムとしての自律性
前述したとおり、アフリカ市場は、いわば、究極の「小さな政府」の実験場となっている。そのこと自体は素晴らしい。また、資源産業を核に、様々な成長も消費爆発も始まっている。先進国企業にとっても大きなビジネスチャンスが待っている。まさに、資本主義に残された最後のフロンティアというにふさわしいだろう。
しかし、特定の産業の成長に頼れば、富は偏在し、国は富んでも、国民の多くは苦しい生活を強いられる。市場を活かさなければ、モバイルマイクロファイナンスのようなイノベーションは進まないが、そこに良質なガバナンスが働かなければ、長期の投資採算性がとれず、投資が進まない。ちぐはぐな成長が、アフリカ経済の本当のポテンシャルを見えにくくする。加えて、これまで指摘してきた、食料生産性の低下から来るアフリカ諸国の様々な構造的問題は、その成長に大きな影を落とす。
地味な分野だが、印象に残った事例もある。
ニジェールの首都ニアメから北東540kmにあるマジア谷の植林。米国の平和部隊によって開始された植林活動に、当初、地元の人は全く協力しなかったという。これまでの植林事業の多くは、植えて育った木も政府に独占され、その分、耕作可能な土地が減ってしまうだけだったからだ。この事業では、植林事業の成果の一部が報酬として地元農民に還元された。加えて、防風林として機能しはじめるにつれ、農業生産性20~30%程度あがりはじめ、かつ、その切り落とした枝が地元に燃料として供給されるようになってからというもの、地元の人も積極的に参画するようになったという。
本プロジェクトの示唆は二つある。
第一に、アフリカ諸国の経済社会のアンバランスの問題の根っこが本当にどこにあるのか。そこを徹底して議論していることである。進む人口爆発と自然破壊。本事業のケースでは、「時間はかかっても、やはり植林から手を付けるしかない」。徹底して考えた末に出てきた答えがそうだったようである。第二に、地元の人の実需を巻き込み、ともに取り組むプロジェクトに育て上げていることである。薪に目を付けるという視点は、大事なポイントだろう。
むろん、本プロジェクトが唯一の答えであるわけではない。本当に正解なのかどうかもわからない。ただし、活動として、アフリカ経済社会の中に如何にとけ込む努力を徹底しているように見える点で、印象深い。
成長を助けるために支援を広げれば、場合によって、その歪みを拡大させる。良質なガバナンスと、持続可能なビジネス環境の保証。それによる自律的なビジネスの発展を、特定の産業に偏りすぎずに、いかにバランス良く進めていくか。アフリカの経済社会は、まさに、無償援助のみを核とした人道援助の時期から、資源産業を核に成長をはじめた市場の力をうまく引き出す、官民連携の下での、新たな成長のステージへと踏み出そうとしているのだろう。
しかし、先進国企業から見れば、BOPビジネスのダイナミクスの魅力の向こう側に、不安定な公共に対してまで投資をおわされる不安感がつきまとう。アフリカ諸国側から見れば、先進国側企業のアフリカ諸国の真の成長に対する貢献の意志を、どこまで信じて良いのか、悩みがつきない。その相互理解の輪を、しかも今、先進国・アフリカ諸国の立場の違いはもとより、官民の立場を超えて、広げなければらない。
政府は政府と話す。民間は民間と話す。資源ビジネスは資源ビジネスに閉じて考える。無償協力は無償協力の世界に閉じて、それぞれのベストを尽くす。しかし今、最も必要なのは、おそらくその隙間を埋める作業だろう。また、それをするだけの価値のあるステージに、アフリカ経済は立っている。
日本にとっても、世界への全方位展開には限界がある。アジア経済が大きく成長し、一つの成熟段階に入ろうとしている中、我が国は、かつてその市場の国際化を目指し勇躍とアジアに出て行ったように、今こそアフリカを目指して、動き始めるときなのではないだろうか。その可能性の大きさと難しさに、改めて、岐路にある日本経済自身の難しさを実感せずにはおれない。
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論文ではないので、正確な引用等は省くが、今回のエントリでは、現地で得た知見、経験に加え、以下の三冊から得た統計や知見に大きく依拠している。いずれもアフリカ経済やBOPビジネスへの導入としてははずせぬ好著と思われるので、あえて紹介しておきたい。
■ アフリカ 資本主義最後のフロンティア
「NHKスペシャル取材班」著 新潮選書
■ キリマンジャロの雪が消えてゆく アフリカ環境報告
石弘之著 岩波新書
■ BOP 超巨大市場をどう攻略するか
小林慎和+高田広太郎+山下達朗+伊部和晃著 日本経済新聞社
また、基本的な発想や、アフリカ経済関係の統計については、アジア経済研究所の平野克己先生からいただいた知見に大きく依拠しているので、その著書等も、是非参照されたい。