【この記事は、カンクンで行われたCOP16後のものです。】
最近、地球温暖化問題が結局のところどうなっているのか、よくわからなくなったという話をよく伺います。そこで、ちょっと情報産業関連の話を少し離れて、「地球温暖化問題」を巡る現状について、レビューするあたりから、エントリの更新を再開してみようかなと思います。 ちょっと難しい話が続きますが、ラフにでも全体像を知ろうとすると、どうしてもこの程度は説明したくなってしまいます。お許しください。 1.COP16(昨年12月に起きたこと) 【Post京都の枠組みについて】 現在、日本は、京都議定書によって、1990年の排出量から年平均マイナス6%(×5年間)の排出総量規制が科せられています。ただし、これは、第一約束期間(2008年~2012年)が対象。そこで、2013年以降の枠組みをどうするかを決めなくてはいけなくなっています。これが、今国際的に交渉をしている、いわゆる「Post京都」問題です。 一昨年、コペンハーゲンで行われたCOP15は、ある種、異様な盛り上がりを見せました。その大きな理由は、アメリカが民主党政権(オバマ大統領)に代わり温暖化問題に積極的になり、今度は、米中の入る新たなPost枠組みが合意されるのではとの期待値が盛り上がったからです。 実際、本番では、100人以上もの首脳クラスが集まり、そのうち約30カ国の首脳が直接ドラフティング交渉を行う異例の展開となりました。G20だって、集まる首脳合意の数は20人ですから、その異常ぶりがうかがえます。実際、現場では、オバマ大統領が直接中国を説得するような局面もあり、「コペンハーゲン合意」の作成作業に参加者の期待も大いに膨らんだのです。 しかし、ふたを開けてみれば、とても残念な結果に終わってしまいました。というのも、最終的に190か国がそろう全体会合にかけてみたところ、スーダンなどわずか5か国の強引な反対により、首脳達が作った「コペンハーゲン合意」が、結局採択できずに終わってしまったからです。30か国の首脳が自ら交渉して作成した文書が、全体会合でひっくり返るという、とても異常な事態に、各国からの国連プロセスに対する信頼も大きく損なわれることとなりました。 【コペンハーゲン合意について】 ただ、ここで作成されたコペンハーゲン合意は、その後の国際交渉にとってとても重要な意味を持つ文書となりました。というのも、これなら米国と中国が加入できるかもしれないという枠組みの案が具体的な形になったからです。 「京都議定書」は、国ごとに排出総量が割り当てられ、未達成時の罰則も厳しく定められているハードな仕組みです。これは、金融業界を震撼とさせるバーゼル合意が単なる紳士協定であったり、軍縮関連協定の多くに罰則などがついていないことなどを想像しても、国際条約としては、相当にハードなルールです。他方、COP15で採択を目指した「コペンハーゲン合意」は、各国が自主的に目標を設定し達成状況を相互チェックするソフトな仕組みです。 京都議定書は、排出量もそれを計測するルールも国連がトップダウンで決めますので、加盟国は、国連のルールを待たなければ、自分の行動を決められません。他方、「コペンハーゲン合意」では、目標値も測り方も、ベースは加盟国が自分で決めて、それを国連に登録してチェックを受ける仕組みです。これを称して、「ボトムアップ型」とも呼ばれます。 もう一点、大きな違いがあります。京都議定書では途上国に義務がありませんが、コペンハーゲン合意では、中国をはじめとした途上国(中国や韓国が本当に途上国なのかという問題は別途ありますが)にも、自主的な行動約束の設定と相互チェックを行う仕組みが科せられているのです。 ここで問題になるのは、実は米国の国内問題です。米国には、「重要な貿易相手国、中でも、中国が同じ遵守ルールでない枠組みは、批准しない」との趣旨の上院決議があります。このため、中国に義務が全く無い京都議定書には、米国は絶対に加入できない。その点、コペンハーゲン合意は、国際的な登録の内容が違いこそすれ、米中がともにプレッジ&レビューを行う仕組みになっています。その点において、コペンハーゲン合意は、米中がともに加入可能なぎりぎりラインの提案だといえます。 【米国・中国のインパクトと京都議定書】 我が国も、今度は、米中も含まれる新たな一つの枠組みこそ必要であり、米中も入れるコペンハーゲン合意を基礎とした枠組みこそ必要との立場です。 実は、京都議定書採択時(1997年)は、米国も含めて義務国が世界全体の58%になるとの目算もありました。しかし、その後、米国は批准できず、中国をはじめとした途上国の排出量が急激に伸びるなど、当時とは事情が異なってきました。今や、京都議定書は世界の排出量の27%しかカバーしていません。これでは地球的規模の問題の解決にならない。 実際、これまでの削減実態をみても、京都議定書の下では、英仏独の一部を除いてCO2の削減は思うように進んでいません。世界全体の排出量は、京都議定書が基準年としている合意された1990年と比べても、すでに1.5倍に増えてしまっています。その増分のほとんどは、議定書に批准していない米国と、京都議定書が削減義務の対象としていない途上国です。特に2000年以降の中国の排出量の急増ぶりは、すさまじいものがあります。 第一約束期間中、排出量を減らせなかったカナダは、まだ約束期間中であるにもかかわらず、早々に達成できない宣言し、もはや京都議定書上の義務を負うつもりはないことを明らかにしてしまいましたし、ロシアも、今や京都議定書の延長には応じないと宣言しています。仮に日本とEUだけが京都議定書の延長に臨んでも、カバー率は27%どころか17%に落ちてしまいます。そして、実際に減らせるのは、今のそれぞれの目標値に照らして考えれば世界の総排出量のわずか2%に過ぎなません。これでは、今の京都議定書の延長という選択肢は、地球のためになる選択肢とは思えない、というのが実情です。 ちなみに、京都議定書では、何を測定し換算して良いかのルールが厳密です。「確実に測定できるCO2量」が対象であり、例えばプリウスの海外販売のように、「減っていることは確かだが、削減量を正確に測定するのが困難な取組」は、対象外となってしまいます。京都議定書に合意したときに、そこまで具体的なルールが合意されていたわけではありませんが、その後、計測の厳密性をつきつめた運用がなされているなかっで、せっかく削減に貢献していても、図りにくいという理由により貢献が認められない技術があるようにおなってしまいました。これもまた、今の京都議定書が結果として背負ってしまった不幸な事態です。 【COP16について】 こうした状況を踏まえ、COP16では、会議初日、日本政府から「世界の27%しかカバーできない京都議定書の延長は、いかなる条件下でも受け入れない」と発言しました。当初は、日本は会議を壊そうとしているかなどの批判的コメントも多数ありましたが、途中から、「日本は歴史に対して素直に向き合っているだけではないか」など、27%しかカバーしない枠組みでは意味が無いという日本の主張に対し、各国メディアからも積極的な評価も見られるようになりました。 最終段階ではいろいろなやりとりもありましたが、結局、COP16では、COP15で採択できなかったコペンハーゲン合意が正式に採択。同時に、京都議定書延長議論の継続も明記されるという、いわば「京都議定書」と「コペンハーゲン合意」の2つの枠組みが両方ともに正式に残るという形で、会議が終了しました。 COP15の時に苦労して生み出されたコペンハーゲン合意が、今度こそ正式に採択されたこと。これは今回の大きな成果です。これで、米中も入ることができる、各国の自主性を重んじた「新たな枠組み」の議論の土台が、正式にできあがりました。 今後は、その具体化に向け、新しいルールづくりに向けた具体的に提案を行っていくことが重要となります。米中も入れるコペンハーゲン合意ベースの仕組み。各国の自主性と柔軟性を重んじる今度の仕組みは、いわば、「ルール待ちの世界」を「まずは提案してみることが重要」という世界に転換したともいえます。 最終的には、しっかりとした国際枠組みの中で、その柔軟性の許容範囲や考え方などを決めていくことになるとは思いますが、優れた環境技術を持つ我が国としては、いろいろなルールや取組を新たに提案することが可能になったともいえます。 今年は、単に京都議定書の延長を拒否するばかりでなく、日本として、25%削減のためにどのようなどのような取組を具体化していくのか、そのためにどんなかたちで、COP16で合意された国際枠組みの内容を具体化していくのかが、世界からも問われる年となります。新たな国際枠組みの具体化に向けた交渉は、これから、本格化する、そういう状況を迎えています。 2.クレジット価格の問題 【排出量取引とクレジット価格】 今回、一連の動きの中で、おもしろい動きを見せたのは、EUでした。というのも、世界の総排出量の2%しか削減しない可能性もある「京都議定書」の延長という選択肢の存続に、とてもこだわったからです。この問題を解く鍵は、自分は、EUにおける排出権取引制度の維持と、「クレジットの価格」にあると思います。 よくご存じの方には、釈迦に説法ですが、排出量取引制度というのは、排出削減が足りずに困っている人が、対策が十分に終了して余分な排出量を持っている人から、その排出量を買い上げることを認める仕組みです。 ただ、実際には、目標を超過達成して余分排出量をもてあましている人というのは、そうはいません。しかし、「余分な排出量」という概念を無理にもちださなくても、コストの高い温暖化対策しか持っていない人が、自分自身で対策を実施せずに、比較的コストの安い対策を持っている人から、その排出対策を買い上げることで、地球温暖化対策に貢献しようとする仕組み。そういう風にとらえることもできます。 こうした排出量取引の仕組みが有効に機能するためには、クレジット価格が鍵を握ります。というのも、クレジット価格が十分に高ければ、CO2削減対策をしなくてはいけない企業等は、自分で対策費用を出さなくても、クレジット市場が自分の対策を買ってくれる人を見つけてくれるので、容易に温暖化対策へ投資をできるようになるからです。 たとえば、古い石炭火力発電所を、最新式のものに置き換えて効率アップを図ると、CO2効率は、10%以上、100万KW級の大型火力発電所では、年間60万トン以上の削減が達成できます。しかし、この対策、削減量一トンあたりに対して、だいたい50ドル以上のコストが必要になります。 もし、クレジット価格が、50ドルより高ければ、この対策費用を、クレジット市場を通じて買ってくれる人が見つかるということになります。発電するには困らないけれどもCO2をたくさん出してしまう石炭火力発電所。もし人が投資を助けてくれるのなら、発電事業者も最新式のものに更新する決断ができるでしょう。しかし、残念ながら、今の国際的なCO2クレジットの価格相場は、1トンあたり、10ドルから15ドルです。これでは、1トンあたり50ドル以上する自分の対策を買ってくれる人は、市場には誰もいない。排出量取引制度は、あってもなくても、対策を推進する立場からは関係ないということになってしまいます。 【クレジット価格が高ければ・・・】 ここでは、石炭火力というやや大型な例を出しましたが、太陽光発電(一トンあたり200ドル程度水準の対策になります)などの再生可能エネルギーの導入や、鉄・セメントといったCO2を対象に出す製造業でにおける廃熱発電などの省エネ設備の導入、さらに細かいところでは、商店街の電球をLEDに変えるとか、中小企業のもつ小型ボイラをもっと効率の良いものに変えるなど、実際に事業者が投資判断に悩んでいる話はたくさんあります。 クレジット価格が全体的に高い水準にあれば、多くの事業者が、自分の費用を肩代わりしてくれる人を、市場を通じて簡単に見つけられますが、クレジット価格が著しく低い水準にある場合は、高い対策費用に悩む多くの事業者にとって、自分の費用を肩代わりしている人は見つけられなくなるわけです。この場合、排出量取引制度の導入が、温暖化対策を加速することはきわめて難しくなります。 もちろん、こんな市場メカニズムを通じた対策の融通などといっておらずに、企業に強制的に、自分の生産量を減らさなければ達成できないような目標値をかぶせてしまい、強制的に減らせば良い。というアイデイアはあり得ます。 しかし、世界でそれを実行することに成功しているのは、今のところ、EUの電力部門しかありません。ただ、電力部門は、厳しい目標値を強制されて対策コストが必要になっても、そのコストを比較的容易に自分が直接ユーザに販売している電力料金に転嫁できます。結局、そのためのコストは、高い電力料金という形で、最終ユーザが負担するにことになります。このため、人によっては、これは課税権限を持たないEC委員会が、排出量取引という形で、電力に対して課税しているようなものだと説明する方もいます。 【クレジット価格の低迷とEUの立場】 実際、日本の場合、オイルショック以来様々な省エネ対策を進めてきたため、一トンあたり50ドル以上の対策しかほとんど残っていません。今の14~15ドル程度のクレジット価格水準では、とても自分の対策の買い手を市場で見つけることは不可能でしょう。 実は、この価格水準、EUですら、本格的な対策の促進には安すぎるようです。せめて30ユーロくらいの価格水準はほしい。今のクレジット価格水準では、バイヤーの多くはEUの電力事業者。しかも、石炭火力発電所と天然ガス火力発電所の稼働率調整に使っているというのが現状です。石炭が安くなれば、クレジットを購入した上で石炭火力を燃やす。石炭が高くなれば天然ガス火力発電所を回す。今の排出量取引が実態に与えている影響は、期間末期ということもありますが、今のところこの程度です。 このままでは、EUでも、排出量取引によってたいした対策は進んでいないということになってしまい、排出権取引制度自体の存在意義が問われかねません。 実は、そこでEUが期待するのが、京都議定書に対する日本の加入です。 先ほども触れたとおり、日本は、オイルショック以降、積極的に省エネを進めてきた結果、合理的な対策コストできる範囲の対策はほとんど出尽くした状態にあります。その日本が罰則付きの京都議定書に加入し、更に厳しい削減目標を義務的に科せられれば、コストの安い対策が大量の残っている国のクレジットに手を出さざるを得なくなるでしょう。そうなれば、自ずと日本が、国際的にクレジット価格をつり上げてくれることになります。 京都議定書の延長が、たとえ世界全体の2%削減の効果しか生まない。それでもなお、EUが京都議定書の延長にこだわるのは、結局、より広いカバー率のある枠組みを作り対策を後押しするよりも、京都議定書の延長に日本を巻き込むことによって、クレジット価格をつり上げて貰い、排出量取引制度自体の有効性を支えてもらう方が大事という側面もあるからではないか。自分にはそう感じられてなりません。 これは、排出権取引制度の存続自体が自己目的化している議論であり、対策を広く促進するという話と、クレジット価格の話が、さすがに本末転倒しているようにも、感じられます。 3.温暖化対策を巡る2つの世界観 【トップダウンとボトムアップ】 この話は、「トップダウン型の京都議定書」と「ボトムアップ型のコペンハーゲン合意」という、全く異なる二つの世界観の話とも、大きく関係しています。 京都議定書のトップダウン型のルールの下では、統一的なルールで計測できる排出量のみが対象となります。その価格を決める基本的な原理ですが、EUを中心とした今の国際的な市場の下では、排出量取引があるEUの市場を中心に値段が決まっています。具体的には、EUにおける目標未達成者の未達成量(クレジットの総需要)、目標過剰達成者の過剰達成量(クレジットの総供給)それぞれを、統一ルールの下、正確に計測し、その需給バランスがクレジットの価格を決める、ということになっています。 この考え方、非常にクリアでわかりやすい一方、この目標値管理が緩んで簡単に目標が達成できたり、目標値管理の義務がない国や場所からプロジェクトベースで新しい排出削減量が簡単に認められるようなってしまえば、クレジット価格が下がってしまう、という課題も持っています。 前述のとおり、価格が下がってしまえば、排出量取引は何の対策も推進できなくなる。いろいろな対策を認めれば価格が下がってしまう。価格を維持しようとすれば、計測対象は厳密に管理しなければいけなくなってしまいます。 何を削減対象にカウントして良いのか、その測る対象の厳密化に非常にこだわり、価格が簡単に下がらないようにしなければいけなくない。実際に、今の京都議定書の枠組みの中では、運用でその点が問題となった結果、実は、プリウスや日本の高効率家電、最先端を行く日本の石炭火力発電技術など、多くの削減技術が、貢献対象として認められなくなっています。 プリウスの場合はドライバーによって削減量が違う、高効率テレビやエアコンの場合も、家によって使い方が違うから削減量がわからないといった具合に、削減しているのは事実でも、削減量が正確に計測できないと判断されたからです。 このように、今の京都議定書の下では、計測対象の厳密化、クレジット発行対象の厳密化にこだわるトップダウン型の仕組みのために、技術による貢献や、様々な人による取組が、どうしても画一的なルールの下、厳しく審査され、限定的な対策にしかインセンティブが与えることができないという課題に直面しています。 【30点以上か、85点以上か】 インドで実際に伺った話ですが、たとえばインドには、省エネの進捗度にして、30点レベルの工場がゴロゴロある一方で、80点レベル以上の工場もまれにいる状況です。 トップダウン型の仕組みを維持する立場からは、たとえば、常に85点あたりの出来の省エネ活動をクレジット発行のベースラインに引くことにして、85点以上の難しい省エネ対策を達成した人だけが、クレジット付与の対象として認められる、ということになります。というのも、85点くらいにしておけば、そう安い対策では目標が実現できないので、クレジット化されても、そう安い値段では売られないはずだからです。これなら、クレジット市場の価格も、乱されることはないでしょう。 しかし、クレジット化するためのベースラインが85点だということになってしまうと、30点レベルの省エネ工場が頑張って、60点レベルの省エネ効率に引き上げても、85点に届かない限り、せっかくあげた30点分の省エネ努力は、結局、クレジットの対象にはしてもらえないことになります。 こんな仕組みでは、せっかく頑張っても、85点にまだ足りないといわれて終わってしまう。これでは、多くいる30点レベルの工場はやる気をなくしてしまいますよね。実際、インドの省エネルギー局長さんは、このことを大問題視しており、インドにとっては、30点をそのままクレジット発行のベースラインにしてくれるようなクレジットの仕組みこそ必要なんだと、力説していました。 実際、多くの途上国にとっては、85点をクリアできるような省エネ工場にインセンティブを与えるより、あまたある30点レベルの向上の省エネ対策にインセンティブを与え、薄く広く対策を促進する、ボトムアップ型の対策促進の方が、より深刻な現実的課題です(もちろん、対策を進める必要が無いと考える途上国の人にとってみれば、また別ですが・・・)。 また、日本のようなすでに対策コストが十分に高くなってしまった国にとっても、ボトムアップ型の仕組みの方が有利です。というのも、厳しい審査の下、限られた85点以上の部分しかクレジット化されないトップダウン型の仕組みより、30点事業者を対象にした仕組みの方が、様々な技術による貢献を柔軟に認めることが出来、加えて、安くクレジットも入手することもできるからです(もちろん、日本なりに達成するべき目標がしっかりあることが前提ですが・・・)。 【市場メカニズムを巡る二つの世界観】 以上、見てきたとおり、クレジット及び温暖化対策の枠組み、ということで、二つの大きな思想対立が見えてきています。 すべてを、キャップ、いわゆる目標値管理に基準を置いて、厳密な計測ルールとともに、クレジット価格を高めに維持。その代わり、クレジット市場が価格シグナルを通じて自分の対策に投資をしてくれる人を探してくれる、というストーリーになるトップダウン型の世界。 これに対して、目標値管理はそれぞれの主体に任せ、削減量の計測ルールにも柔軟性を認める代わり、クレジット価格は必ずしも高めには維持されず、様々な値段・種類のクレジットが並立。対策の売買は、市場の価格シグナルを通じてではなく、主として相対交渉を通じて見つけてくることが求められるボトムアップ型の世界。 今、地球温暖化問題を巡る枠組み作りの背景には、この二つの考え方が微妙に交錯しながら、次のステージの枠組みに向けて今の京都議定書をどう進化させていくのか、非常に面白いけれども難しい課題が突きつけられているように思います。個人的には、実は、両者を併存させるアプローチは存在するし、それを新たな国際枠組みの中で志向する必要があると考えていますが、まずは、この構造を正しく理解することが必要かなと思っています。 【二つの世界観を巡るグループデイスカッション】 この2つの世界観のどちらが望ましいと思うか。そこをどう整理し、次の枠組み作りに反映させていくか、地球温暖化対策の枠組みも、今、大きな岐路に立たされているといえると思います。そこで、ある機会に、比較的温暖化問題に関心の高い方々に集まっていただいて、 ① この二つの世界観を比較してどう思うか、 ② もし後者だとするなら、 具体的にはその柔軟性を生かして、 何を支援する制度があると良いか。 簡単なワークショップ形式のグループデスカッションをしてみました。自分自身、非常に良い勉強をさせていただいたので、簡単にまとめてみたいと思います。 ■ 第1グループの議論 この話を聞いていれば、それはボトムアップ型がよいように思う。しかし、厳密に測りきれないものまで対象とすることで、「ザル法」にならないか不安。加えて、ボトムアップ型の場合、罰則がなくても本当に各国が取り組みを進むのか。グダグダになってしまないかという懸念はある。 仮にボトムアップ型になったとしても、チェックの仕組みは重要だ。第三者認証機関のようなものを作るのも大切になるのではないか。WTO(世界貿易機関)というものがあるが、例えば「WEO」のようなものを作ってみる。2012年の地球サミットに向けて様々な議論や動きがおこっているが、WEOの議論も話題になっている。 ■ 第2グループの議論 CO2ばかりを環境問題の中核に据えるはやめた方がいい。もっと根本的な問題があるはず。メディアがCO2だけをクローズアップしていることも問題。メディア教育も必要かもしれない。 個人的にはコペンハーゲン合意に大賛成。経産省が取り組んでいる「環境モデル都市の輸出」なども支援の対象になるように考えたら非常によいと思う。 例えば、個人が削減したCO2削減量を市(自治体)が買い上げるようなことを制度化すれば、市民の啓発も図れるしCO2削減は進む。こういう柔軟な発想こそ必要ではないか。 ■ 第3グループの議論 自分も、ボトムアップ型が良いと思う。先進国と途上国の問題だけでなく、日本の都市と地域、政府と市民など、多様な主体に様々なモチベーションが生まれてくるだろうと感じた。 例えば世界レベル、国レベル、地域レベルで様々なクレジットの仕組みがあっても良いかも知れない。それぞれの地域で実験的にルールを作ってみて、そのルールが優れたものであれば上のレイヤーでの導入を検討してみる、などの取り組みも考えられる。そうすれば地域で取り組む人たちのモチベーションも高まるのではないか。 「自分たちの行動が地球のためになっているのだ」という「実感」を伴うような取組や仕組みづくりが重要。そのような取り組みに日を当てることで市民にさらなる意欲が生まれてくると思う。「地球を守る、地球を救う」ことに、リアリティーを持たせることが重要。 ■ 第4グループの議論 「京都議定書の延長では世界の17%しか対象にならない」ということであれば、それは意味がないと思う。ただ、トップダウンかボトムアップかという問題設定があったが、「そもそも京都議定書はトップダウンなのか」という疑問もある。トップダウンと言えるほど強制力のある枠組みでもないのではないか。 実際にはみんなで議論をして作り上げていく方がよいと思う。その意味でボトムアップ型の方がよいようにも思う。罰則がなしでも本当に効果がでるのか?という不安は、確かにある。 生活者はプリウスを買うと「自分は環境に貢献している」という意識を持つと思う。しかしその取り組みが、実は国に対して何も貢献できていないということを、恐らく皆知らないのではないか。伝え手であるメディアの責任を感じる。 個人が行う環境によい取組が評価されることが大切。評価されることでモチベーションになっていくと思う。 【グループコメントに共通する要素】 各グループからの話をうかがい、いくつかキーワードがあるように感じました。それを、現場では次のようにまとめさせていただきました。 - 1つ目は、『測れるか、測れないか』。 「測れるから安心」「測れるから進めている」。これは京都議定書の思想でもある。しかし、「測れる」にこだわったために「測れないモノ」が置き去りにされてしまったとの副作用もあったということである。「測れる」にこだわったことの「メリット」と「デメリット」はどちらが大きかったのか。程度問題だが、その評価が非常に重要なのでは。 ちなみに、「京都議定書は本当にトップダウンなのか?」は鋭い論点。実際には各国がオファーした目標値を、最終的に国際的に調整して決めたもの。「京都議定書の罰則は意味があるのか?」との問いも、カナダなどの例を見ると、正確な回答は難しい。日本人が堅く考えすぎているだけで、京都議定書の下でも柔軟に取り組み、達成できなければできないで「すいません」と、いってしまうことは可能だという考え方も中にはあります。しかし、少なくともルールに律儀な日本人にとっては、勝手に重荷にしてしまう。できなさそうであれば、クレジットの強制購入を行わなければいけないと深刻に考えてしまう。そういう前提で議論すべきではないか。 - 2つめのキーワードは『チェック機関または認証機関』。 「ボトムアップ型でも良いが、だれがどのようにチェックするのか?そこには何らかの仕組みがいるだろう」というお話をいただいた。世界でもまさにその議論がなされている。コペンハーゲン合意でも「MRV(測定・報告・検証)」のガイドラインを決めましょうということになっている。ただ具体的な話はまだ始まっていない。今後日本がどう提案していくか。大きな課題。 国際的なガイドラインとは別に、日本国内で運用する独自のガイドラインを作ることが可能かもしれない。それをまた、国際的にもどんどん、提案し、ぶつけていけば良い。チェックの仕組みと、そもそも何を支援対象とするかの判断は、表裏。具体化はこれからの作業。国際ルールを待つのではなく、どういう取組や枠組みが本当に意味のある温暖化対策を進めるのか、排出量取引の是非といった制度的なことよりむしろ、実行に移したい対策の中身をこそ考え、それを具体的に進めるような取組を、どんどん国際的に提案していく必要がある。 - 3つめのキーワードは『実感』。 第一に、環境対策を、企業にとっても市民にとっても「自分ごと」にしていくことが非常に重要。原子力の議論も天然ガスシフトの話も、市民レベルから見れば縁遠い話。「実感」が持てない話。せっかくボトムアップ型になるのであれば、市民が実感を得られるようなものにしていく必要がある。 第二に、人や企業が行動を起こすときの「インセンティブ」はCO2だけではない。例えば、イオンは商店街の電球をLED電球に変える取り組みを進めている。経産省は「国内クレジット」の仕組みを使って応援しているが、イオンのこの取り組みの背景には「地域の商店街と仲良くしたい」という思いがあった。「CO2を減らす」だけではなく「地域との関係づくり」がインセンティブとなっている。 「CO2のクレジット価格」だけで動かそうと思っても、人の実感とあわないし、ゆえに動かない。そのようなことが明らかになりつつあるのだと思う。 【今後に向けて】 その後行われた自由討議でも、たくさん、鋭いコメントをいただきましたが、中でも、重たく感じたのは、次のコメントでした。 * * * 本日は、市民運動をしている側からすると居心地の悪い話ばかりだった。メディアが「CO2が悪い」と黒魔術のように毎日毎日伝えているから、皆、CO2に洗脳されている。 しかし、私たちが伝えているメッセージは1つ。「環境破壊をやめよう」。ところがCO2という黒魔術のせいで、最近世間では「CO2を削減しよう」という話になってきている。CO2削減では貧困は救えない。環境破壊で貧困は起きている。そもそも、環境破壊を進めている側と同じ船に乗れること自体が、本来おかしい。 私たちは原点を見失ってはいけない。大切なのは「環境破壊をやめよう」ということだと思う。環境破壊のいくつかのテーマの中に「温暖化」があるのは事実だが、例えば、CO2削減を至上課題にしていくのは、非常に危険なことだ。 排出量取引やクレジットの問題がいろいろあるが、そんな議論を聞いていると、「これからも金持ち至上主義や足のひっぱりあいを続けていくんですか?」という気持ちになる。クレジットの価格が50ドルだろうが60ドルだろうがどうでもいい。大切なのは貧困をなくすこと、地球を守ること、だと私は思う。本当に大切なことを見失ってはいけない。 * * * 本当にその通りだなと。もちろん、この発言をされた方は、温暖化対策の重要性も何もよく承知の上で、あえていわれているわけですが、それも含めて、今後、次の三つの視点を大事にしていくことが必要なのかなと感じています。 ■ 「温暖化の求心力をうまく使おう」 様々な環境問題の中で、みんなが同じ船に乗れる「温暖化問題」は、やや異質。それは環境破壊のような対決型の課題ではなく、経済活動そのものに直結しているため。しかし、ここに求心力がある理由もある。であるなら、そういうものとして、「うまく使う」、という立ち位置を確保することが大事なのではないか。逆に言えば、やり過ぎはマネーゲームに陥る危険も有り、要注意。厳密に数トンを減らすこと自体と、こうした活動を通じたライフスタイル、企業投資スタイルを変えていくということ自体とを、混同せずに、複眼的な思考を持って行くことこそ大事。 ■ 「測り方に進化を」 せっかく測れるもの扱っているのだから、もっと上手く測ろう。図ること自体が自己目的化してしまうと、インセンティブを付与するための計測だったので、自分で自分の首を絞めてしまう結果となる。実際、企業の投資行動も、消費者の購買行動も、CO2削減量だけで決めていることなどほとんど無い。どう計測してチェックするか、どんな対策にインセンティブを大事にするのか。柔軟な視点で、みんなが知恵を出していくことが大切。 ■ 「実感を大事にしよう」 そうした新たな知恵を制度に込めていく上では、生活実感、企業にとっての投資実感など、形は様々だが、「リアリティ」を大事にしなければならない。実感の沸くような対策支援と対策の具体化を、いかに促していけるかが大切。今の温暖化対策は、多くの人にとって、リアリテイの無いものになりすぎているのではないか。 個人的には、こうした視点で、今後もまた、温暖化問題に携わっていければ良いなと思っています。 長期にわたりエントリの更新をサボってしまったので、またぼちぼちと再開したいと思います。