人生初インド、行ってきました。一言で言うと、日本には無い強い「活力」を感じました。また、それだけでなく、JumpUpする力が、社会に構造的にはめ込まれているような気がしました。 以下に、感じたことをまとめてみようかなと。
1.デリーはあちこち工事だらけ
インドは、今、Common Wealth Games(英連邦のオリンピック)を間近に控え、大工事ラッシュ。市内あちこちで土木工事中です。
写真も、今回新たに整備してるスタジアムの一つですが、周囲はまだ全く未完成。このほかにも、どうやっても間に合いそうにないスタジアムが一つ残っていて、現場は大混乱してるんだそうです。
この工事現場、どこへ行っても、女性がいるのがまた不思議。普通であれば、材料運ぶのも、土掘り起こすのも、今時ガンガン重機を使うと思うし、そうでなくても男仕事が基本だと思うのですが、インドは、工事をする人は工事をする階層の人。その代わり、未だに土でも何でも、頭に乗せて、家族ぐるみ、女性も平気で運ぶのだそうです。で、女性が現場にいると、子供も行く先ないので、下の写真のような感じで、平気で現場で遊んでたりします。
ちなみに、ここは、コンノート・プレースというデリーの中心街中の中心街(地下のショッピングモールでは、日本人が色々な被害に遭うことで有名)なのですが、現在、大工事中。白亜の柱に取り囲まれた円周上の商店街を、更に綺麗な歩道で取り囲む工事のようなのですが、実際には、まだ全く終わる気配が無く、周囲は大混乱中です。
下の写真は、大統領府に通じるメインストリート(内堀通り通り沿いの緑地帯みたいな感じのところ)。今、道路脇の大整理工事をしているようなのですが、そこでは、仕事をせずに、みんなでくつろいでいる一団が。これ、結構家族的な感じなんでしょうね。
2.カーストと大家族
カーストっていうと、4つの階層構造が有名ですが、 上の二階層はあまり一般市民には関係ないというか、実質的には、約3000の職業別ギルドだと思ってもらった方が良い、というのが現地インド人の方の弁。格差を固定されたまま、という側面がある一方、各カーストの中では、比較的、親しみやすく暮らしやすいコミュニティが保証されている。
その代わり、職業は変えられません。基本的に、煉瓦焼き職人に生まれれば、煉瓦焼き職人の跡を継ぐし、農家に生まれれば農家の跡を継ぐ。社会全体の構造を固定して安定的に保ちながら、その中では楽しく平和に暮らしていただく、そういう社会の智恵、といった面があるようです。
この職能別コミュニティ管理こそが、カースト制度の社会的意義ということのよう。
例えば、市内に、フマユーン廟という、かの有名なタージ・マハールのモデルになった建築物があります。写真のような感じのそれは立派な立派な建物なのですが。。
実はここにも、始終煉瓦の張り直し、メンテナンスをしている人達がいます。実際、二階に上がってみると、あちこちに修復現場あるのですが、次の写真のおじさんも、その修復現場で働く職人さんの一人。歴代家族で、延々と、この仕事をお引き嗣ぎなさっている。
建物ばかりでなく、この敷地の入り口横でも、煉瓦を適度な大きさに切り分けるために石鎚を打っている「かーん、かーん」っていう音が、いつも鳴り響いています。この写真のおじさんの仲間達ですね。
この日も、日が照ると軽く40度以上はあろうかという天気だったので、それはそれは、この炎天下で辛い仕事だろうと思います。でも、彼らの中では、案外楽しくやっている、そういう面もあるのかもしれません。この表情見てると、そんな気もしてきます。
3.野菜が安い
ちなみに、このカースト秩序の中で暮らす人々の生活は、大家族主義が原則。10人内外の人達が、一つ屋根の下で暮らしている感じです。稼ぎ手は、だいたい1〜2人。それに10人内外の家族がぶら下がって暮らしている感じです。
例えばですが、日本人の駐在さん、だいたい5〜6人は人を雇わないと暮らせないそうです(料理、ガードマン、運転手、庭師など)。その人達への給料が、だいたい、一月、7〜8000円くらい(インドはインフレ経済なので、毎年、このベースは上がっていくようです)。逆にいうと、この月1万円弱くらいの収入*2人分くらいで、10人くらいを養っている感じです(もちろん、もっと貧しい世帯もあれば、もっと現金収入のある世帯もあると思います)。
デリー市内は、ずいぶん立派な集合住宅も増えてきていますが、ちょっとはずれると、こんな感じのところもたくさんあります。でも、こういうところからも、きちんとしたYシャツを着た成人男子や女子が、出入りしてきて、会社に行ったり、お勤め先のお金持ちのおうちに行ったりしている。そんな感じです。
ポイントは、それでも喰っていける、ということろにあります。
例えば、市内にある、日本でいえば成城石井のような高級スーパー。ここでも、野菜だけは極端に安い(もちろん、僕らはそのままでは食べられませんが)。例えば、オクラが1kg入って70円。みんなキロ単位で数十円です。下のジャガイモ君は、一袋小さい変わりに、これたぶん、16〜18円くらい。
これ、それでも高級スーパーの値段ですから、市中はもっと安い。滅茶苦茶安く暮らしていけるんです。だから、10人家族の中に、一人や二人、失業中のアンちゃんがいても、全く気にならない。一日一ドルあれば、多分成人男子が普通に食いつないでいける。長男がしっかり、弟・妹や、働けなくなった親の面倒を見てる。そういう感じです。
ちなみに、野菜だけか?というご心配もあろうかと思いますが、ここはVegitarianの国。レストランでも、わざわざ、Non Vegitableの方が"Non Vegi"と標記されている国です。しかも、このVegitarian Foodが美味い。植物性油脂をふんだんに使っているせいもありますが、肉が無くても、ほとんど食べていて気になりません。 逆に言えば、Vegitarianっていうと凄い健康食的イメージがありますが、この国では、ベジタリアンながら太っている人が、山のようにいらっしゃいます。
もとは、宗教上の理由から、かたや牛、かたや豚などを食されないということですが、Vegitarianでも、食生活は全然楽しいというのが僕の短期間ですが、受けた印象です。だから、野菜さえ安ければ、そこに香辛料と小麦粉さえ手に入れば、生活は普通にしていくことができる。
この野菜の安さにも驚きましたが、この灼熱のインドで、冷蔵庫が無くても困らないくらい毎日野菜がデリバリーされていることにも、また、驚きました。
インド全体的に見ると、冷蔵庫の普及率は、4世帯に一つくらい、という感じとのこと。食料の基本は、食べる日に欲しい分だけ買うとのこと。冷蔵庫を持っている庶民もいるはいるのですが、その用途は、冷やして食べたい、冷たいミルクを飲みたいといったあたり。保存のために冷蔵庫を使うといった概念は、一般庶民にはあまりなようです。
そう思って、市内を見てみると、確かに、デリー市街を出て、郊外の道を走っていても、こんな感じのバナナのたたき売りみたいな光景は、頻繁に目にすることが出来る。必ずしも裕福ならざる地域でも、食べ物はたくさん売ってます。
ちなみに、ガイドさんに、この隅々にまで野菜や果物を届ける物流網凄いですねと聞いたら、「バナナくらいなら、イエの裏に植えればすぐ生える」、と言って笑ってました(苦笑)。
ちなみに、こちらも道中ありがちだった、PEPSIその他飲料系のショップ。これはアゴラ市内の風景です。こんな感じで、郊外でも飲料水含む雑貨やみたいなのはたくさんありましたし、右手前の屋台は何でしょうねえ。僕もよく分かりませんが、簡単な野菜の煮込みか何かを売っているのかもしれません。
上の写真は、市街地ですが、こちらは、郊外の街道沿いでの一コマ。この国は、PEPSIなんです。。
ちなみに、大都市でなく、普通に街って言うと、例えば、こんな雰囲気です。
4.「仕事が無い」というコンセプトがない
現地の人と話していて、今回一番印象に残った話の一つが、少なくとも、ここデリーでは、あまり「仕事がない」という感覚がないいうことです。確かに失業率の数字も低いですが、それ以上に、職業実感として、失業がないと現地の人が仰る。これって凄いなと。
からくりは簡単です。現金の手持ちが少なくても、安く暮らせる。これが基本的な理由です。
例えば、東京だと、コンビニの店員だけで暮らすのは結構大変。正規の職を探さないとということになります。しかし、ここインドでは、暮らすのにそんなにお金がかからない。何らかの現金収入が得られる商売でよい、と割り切れば、職はいくらでもある、と言うわけです。
加えて、大家族主義が基本ですから、一人や二人、たまたま一年くらい現金収入のない成人家族がいても、周りも大して気にしない。本人達ものんびりやっていて、そろそろかなあなんて話になると、じゃあ、稼ぐか。ということになる。
町中でも、こんな感じで成人男子がうろうろしてますが、なんとなく、余裕ありますよね。。
5.壊れるカーストと活力
しかし、このインド、想像以上に大きな変化の波に襲われている真っ最中。というのが、現地の人から聞いた自分の印象でした。一言で言えば、職業別カーストとしてのインドの融解、です。
この国、実は就学率がものすごく高い。だいたい全国でも7〜8割は義務教育(高校まで。日本より2年早く終わる)を受けていて、小学校も、近年は、ちゃんと子供の足で通える範囲にあるようです。例えば、次の写真も、アゴラ市内の小学校の入り口ですが、至極、普通な感じですよね。
義務教育はしっかり行われている。更に大学への進学となると、進学率はだいたい2割くらいではないか、というのが現地の人の実感でしたが、大学卒ともなると、なかなかカースト通りの就職、というわけにも行かなくなってきます。
大学出身者はもとより、高校卒業生を対象とした専門技能教育プロセスもきちんとあって、ITとか、コールセンター、事務処理のアウトソースといった分野に、とても人気が集まっているそうです。
ちなみに、インドでもコールセンターは大流行。英語が浸透していることもあって、テキサス訛りで応答する、なんていう芸当が出来るコールセンターも少なくないそうです。
こうした職種の人気の理由の一つは、実は、従来のカーストのない分野(=従来にない新しい職種)だということ。だから、次男坊、三男坊達がカーストを足抜けして出て行く先としては、整理が立てやすいようです。カーストのない分野に労働の比重が移れば、それも社会制度が壊れる一員に、なりますよね。
大学出身者となると、更に追加的にエンジニアリングの勉強をしたり、MBAをとってビジネスアウトソースの企業を本格的にマネージしたり、学校の先生になったりと、その道も色々。ただの大卒だけだと、それでも大変なようですが、ITエンジニアとしてスキルがある、日本語が出来る、MBAがある、先生の資格を持っている、といった特徴がもう一つあると、だいたい、月給2万ルピー(約4万円強)からキャリアがスタートするようです。
この国、インフレが年率10%弱くらいありますから、この水準もどんどん上がりますし、10年前に、こうしたキャリアでスタートした人は、就職後10年間経って、自分の昇級とインフレ分とで、名目上の手取りは約10倍になっている、というのが実感のようです。まさに、変化は、この10年間が激しかった。現地の人も、そう言っています。
こういうリッチなキャリアパスに入った人達は、かたやこれまでの写真の世界がインドの現実でありながら、片方で、こんな立派なショッピングモール(日本の下手なモールより、よっぽどリッチな感じがします)で、普通にお買い物をされています。
上の写真の部分は、これでも比較的普通の店舗ですが、別の棟では、もう世界中のブランドショップがぎっしり。表参道と銀座が濃縮された形で、冷房の効いたモールに詰まっている感じです。強いて違うところと言えば、中庭の大画面に移されている映像が、クリケットの試合だってことくらいかな。
次の写真は、ちょっと余計な人物が写っていて、本当に申し訳ありませんが、このモールの中では、あたかも日本の成城石井のようなスーパーが写真のように入っていました。僕も思わず、しこたま、インドで有名なレトルトカレー(!)やカレー粉を買い込んでしまいました。
ここだけ見てると、ほんとに普通の先進国ですよね。他にも小じゃれた屋外型モールがあったりと、そのまま日本に持ってきたら新しいブームになるんじゃないかと思うようなところも、ありました。
ちなみに、この流れとはあまり関係ありませんが、ここの紅茶とカレー粉、加えて岩塩。ついでにドライフルーツ。みんな美味しかったあ。店名は、写真のとおり、「ミッタルストア」。「歩き方」にも出ている有名なお店ですが、この辺が、金持ちも庶民も、両方手を出せる中間地帯という感じですかね。
6.インド映画の物語
こうした社会の激変期。片方で、色々なドラマを生んでいるようで。以下は、今回の訪問で伺った日本語ガイドさんの実話です。
ご両親は、田舎で農家暮らし。ちなにに、インドは農業就業者が人口の多くを占めますが、同時に、貧しいことでも有名です。
特に土地を持たない小作が結構いるのですが、彼らは、例えば、収穫期に土地持ち農家のお手伝いをすると、一日当たり小麦が4kg貰えるとのこと。それはそれで食べるには困らないようなんですが、やはり現金収入となると、さっぱり。苦しいことには変わりはありません。(でも、「小麦4kg」で食えるから、人口が10億人になる。思えば、シンプルな理由だったんですね。)
ご本人は、長男で、高校を卒業してから、一足早くデリー市内の大学に進学。そこで勉強をしながら、ふとしたきっかけから日本語を勉強し始め、日本語ガイドさんに。向上心高く、日本人向けガイド兼日本企業向け各種セットアップサービスのベンチャー企業に就職し、この10年間で、年収を10倍に伸ばしてきた口です。
ただし、この間、6人兄弟の妹3人、弟2人と、次々とデリーに飛び込んでくる。自分自身は、ITエンジニアの奥様とご結婚されるが、自分の兄弟の面倒を見る見ないで、またもめる。最近ようやっと、妹が全員結婚し、下の弟も無事MBAを出て、外資系コンサル会社に就職したとのことですが、それまでは、家の中も色々あって大変だったようです。
そうしてやっと落ち着いたと思ったら、今度は、ご両親の心配。もう思うように耕作も出来ないので、農地は大幅に縮小し、小さなコピー屋さんをやらせて生計を立てさせているとのこと。昔の秩序でいけば、ご自身が田舎に帰って家を継ぐのでしょうが、これだけ現金収入ができてしまうと、今はそうもいかない。いつ、親をデリーに呼ぶのか、呼ばないのか。一緒に暮らすのか、どうするのか。
家族を巡る悩みは尽きないとのことでした。。
あれれ、っと。これって、何か昔の(今の?)日本でもよく聞く話だなと。
そう、でも、まさに、今インド社会全体が、こうした脱・カースト=>核家族化へのシフトの波に飲まれている状況のようなんです。こうした時代の流れは、結婚観への変化からも、みてみることができるようです。
インドでは、あくまでも大家族・カースト維持が基本ですから、結婚も、少なくともかつては、Arranged Marriageが基本。一度も会ったことのないまま結婚式を迎えるのもよくあることなら、そのまえに占いを本気で信じて相性を見るのも、まだまだ一般的。 このため、花嫁が結婚式当日、初めて花婿の姿を見て、思わず泣きだしてしまうという風景も、今でも、ときどき見られるようです。
また、インドでは、結婚する際には、年収の二倍分は贈り物をするのが基本だそうで、それが出来なければ結婚できない。インドの結婚式は、派手にやるそうです。つまり、家と家との強固な結びつきの絆のようなもの。こうして固く既存のコミュニティを守ってきたんだと思います。
お見合いOnlyで、結婚式当日泣き出してしまうような結婚でも、他方で、大家族制を前提とするなら、どこかにはけ口となるような人がいてくれる。でも、これがこれから都市化して、核家族化すると、ますます悲劇になってしまうでしょう。
実際、今、インドでは、都市化と並行して、恋愛結婚も急速に増え始めているとのこと。当然、カースト外との結婚ということにもなっていきます。これまた、当時者以外から見れば、格好の物語の題材。社会的には、難しい課題も増やしていくんだと思います。
さて、インド映画。インドでは、テレビも何も、まだまだ普及はこれからですから、週末の娯楽は、映画が王様。午後をたっぷり時間をつぶせないといけないので、一作品3時間コースが基本だそうです。
「インド映画というと、なあんか、いつも腰ふってDanceしてる感じ」、と現地駐在経験の長い仲間にこぼしたら、怒られた怒られた。そりゃ、確かに3時間、場持ちさせなければいけないので、だいたい平均5回程度、踊りや唄のセクションが入るのは事実だけれど、ストーリーはしっかりしている。だいたい、聞き慣れてくると、結構日本でも流行りそうな挿入歌だって結構あるんだぞ、と。
一昔前のインド映画だと、それこそ、カーストを超えた恋愛結婚に伴う悲劇が典型的なテーマの一つ。最近だと、それに加えて、親兄弟の間の考え方の違いなどからくる家族間の葛藤などをテーマにしたストーリーが増えてきているようです。まさに、映画は世相を表す。
「スラムドック・ミリオネア」は、あれはイギリス人の視線から見たハリウッド映画なので、あれをインド映画だとは思わない方が良いようですが、まさに封建的家長制度的な世界から、近代的核家族への移行が、今激しく、テーマになっているようなのです。
ちなみに、日本語ガイドさんに聞いてみました。カースト通りに就職しない人の比率は、今どれくらいかと。あくまでも彼の個人的な感覚の問題ですが、彼曰く、だいたい10年前は、10人に1人〜2人。今は、4〜5人。半分くらいがそうなんじゃないかと。これが本当なら、ほんとに大変化ですよね。
7.格差と活力
こうやって話を聞いているうちに、自分は、なんだか中国の内陸部・沿岸部の二重経済構造の話を思い出しました。
中国も、農村部と都市部を、全く違う社会保証制度やルールの下で管理している。そりゃもちろん、みんな都市部型にしてあげたいけど、物理的に無理。農村部から、活力ある低廉な労働力を供給させ続けて、徐々に都市戸籍型の近代的な社会環境に移行させてあげながら、その格差構図自身を、社会の活力の動力源にしているような処がある。
インドも、約3000の職能別カーストがある。それ職能別集団の壁が、教育制度の浸透と新たな職能の登場で、急速に、融解しようとしている。しかも、その狭間で、万が一、「失業」することがあっても、この国、家族と一緒にいれば、食べていける。そして、都市部でも、何らかの職はある。
この環境って、社会構造的には、滅茶苦茶、しなやかで強靱な感じがします。
実際、都市部でも、みんな食べることに不安を覚えている人は少ないので、汚いかもしれないけれど、どこも活気に溢れているし、あまり危ない(もちろん先進国と較べたら治安は悪いですが)、という感じがしない。
こんな風に、牛とバイクに乗る若者が共存しちゃう感じではあるけれど、何となく清々しい感じがある。
こっちなんか、自動車用に作った立体交差に、平気で自転車で上がってくる”おっちゃん”ですけれど、なんていうのか、悪びれていないと言うのか、素直に頑張ってる感じがある。
格差から核家族への変化をバネに、社会全体が活力を持って迫ってくる。そんなかんじが強くしたインド滞在でした。これって、ものすごい構造的強みだなと。逆に言えば、日本は平準化が進み過ぎちゃって、もうそういう活力が社会構造的に出てこなくなってるのではないかと。
8.中間管理職の層の薄さ
ただし、こんなインドにも、今回伺っていて、こりゃ、致命的欠点だなと思うポイントが一つだけありました。それが、中間管理職の層の薄さです。
どういうことか。ここはカーストが残した負の社会的構造ですが、現場の人が経営層になるという発想が全くない。逆に、経営層をやる人が現場を経験するという発想もまるでない。
日本であれば、文部科学省に行けば、教育現場を経験する。鉄道会社に入れば、一度は運転士や車掌の世界を経験する。現場至上主義は、踊る大捜査線で青島刑事も叫んでしまう、日本人にとっては大事な社会的価値観のベースです。しかし、インドには、そういうキャリアパスの考え方が全くない。
例えば、日本のものづくり企業は、強靱な現場のエンジニアの力によって支えられています。工場長は、自分の工場の生産性向上のために必死に働きますし、それでも離れがちな本社とのコミュニケーションに意を砕く。実際、それで実績を上げた人は、そのまま本社で役員になる。
インドの場合、それはありえません。だから、トップマネジメントは、頭の中では色々な問題の構図を理解できていても、現場に入り込むということは決してない。だから、どうやれば現場が動くのかが分からない。逆に現場は、経営層の視点には全く関心がない。だから、なかなか変化が始まらない。
そこで企業体全体としての生産能力や生産性向上活動の腰が、ぽっきり通れてしまう。どうもそう5うことになっているようなのです。
インドでも、スズキ自動車は超・有名会社ですし、スズキさんに限っては、何とか日本流で現地管理を通しているようです。しかし、インド企業にとっては、ここが難題。現場は現場。管理は管理。工事現場にいる人と、立派なオフィスにいる人のキャリアが混ざるという事態が想定できない。
ただし、頭の良いインド人。既にこの問題には気付いていて、最近は、中間管理職ポストの給料のオファー金額が、鰻登りに上がり始めているようなんです。
格差の構造化と、それをバネにした社会活力の捻出には、これだけ結果として美味くはまっているインドですから、ここに層の厚い中間管理職陣ついてくると、この国、大変なことになる。そんな風に感じます。
9.沸き上がる活力とBlow Horn
最後に余談ですが、ところ変われば、文化変わるで、今回、結構目から鱗だったのが、次の写真です。
前を走るトラックの背面なのですが、「Blow Horn!」。つまり、「ホーンを鳴らせ」と。
ま、もう少し丁寧に、Horn Pleaseと書いている例もあります。
つまり、「俺は、後ろを見ていないから、後ろにいるおまえがホーンを鳴らせ」、そういうことなんです。この国、やたらクラクションをならしまくるので、うるさいなあと思って最初は乗っていましたが、走る車のスピードもバラバラですし、交通流量の少ない時代に設計されたロータリーなんか、いちいち周囲なんか見てられないですから、「だったら、おまえがホーンを鳴らせ」。これって、ひょっとすると、案外合理的なのかなと。
そう思って一日クルマに揺られていたら、何だかだんだん、うるさいのにも慣れてきて、なんだかこっちの方が良いような気すらしてきました。ま、確かに東京でこんなことしたら、大変なことになってしまいますが、途上国型では、こっちの方が遙かに合理的なんでしょうね。
というわけで、おまけでもう一つ。だんだん、トラックの背面を見るのが楽しくなってきたりして。
10.若者が元気を貰える国
なんだか、この国、楽しい。
そう思いました。
人生初インドで、滞在たった三日間ですから、大分間違った、偏った印象論を持っているのかもしれません。でも、この活力。日本の若い人達が来ると、「だらーっ」とした日本と違って、きっと何か楽しい気分になるんじゃないかなと。もちろん、生理的に駄目な人は駄目だと思いますが、結構、この国のこの活力を見ると、刺激される人が多いんじゃないかと思います。
インドは今、ちょうど巡礼の時期。地元コミュニティからインダス川まで出かけ、聖水をとって、徒歩で数百キロ、巡礼を支える施しを受けながら地元の村まで歩いて運んで、帰ってきます。この間、約一か月かかるとのこと。
デリー近辺では、ちょうど、巡礼が村にたどり着く時期で、写真のような感じで、飾った聖水の桶を担いだ巡礼者を、村総出で迎え、いよいよフィナーレのお祭りを迎えようとしています。
巡礼者を囲んで、村はもう、大騒ぎ。こうした巡礼者を迎える一段は、デリーの町中でも見られました。
カースト制度が融解していくプロセスの中で、守られる習俗、壊されていく習俗。近代日本が失ったものを、まだまだたくさん背負っているインドが、これから、これをどう消化し、昇華していくのか。
西洋近代にとっての長かった16世紀を、これから始めようとしているインドが、片方で、タージ・マハールのような歴史遺産を携えつつ、どう変わっていくのか。
興味の尽きせぬ、インド。もし、日本の中に、バネになるような「格差」がもうなくなっているのなら、むしろ、失望と幻惑の原因になるような「格差」だけが拡大しているなら、みんなで、真性「格差」で元気なアジアに、もう一度、繰り出してみようじゃないか!?
なんだか、そんな気分にさせられるような、とにかく、「生身のインドから本当に目が離せない」っ、そう思った三日間でした。