10年間続けてきたXMLコンソーシアムが、先週、幕を閉じましたが、創立時の関係者ということで、最後の総会・シンポジウムに、ひょっこりと顔を出させていただきました。
IBMの田原さんはもとより、産総研の橋田さんや和泉さん、いつの間にかNTTデータを辞めていた山本修一郎さんはじめ、懐かしい方々ともご挨拶をさせていただきましたが、中身の方でも、パネルをやって、久々にITのことを考えてみると、いよいよ時代が大きく変わり始めてきたのかな、そんな感じを持ったので、ちょっとまとめてみたいと思います。
1.XMLのこれまで
90年代半ばに、業界の先輩から、SGMLについて熱い講義をしていただいたのが、ついこの間のことのように思いだされますが、あれからはや15年。その先輩から「HTMLという代物が、如何にWebブラウザに限定された陳腐なサブセットか」ということを懇々と教えていただいて、最初は、全くチンプンカンプンだったことを、昨日のことのように思い出します。
それからほどなく、98年頃だったでしょうか。eXtensible なMarkup LanguageとしてXMLという仕様が登場しました。当時、Markup Languageの重要性を刻み込まれていましたし、少なくとも、SGMLよりは素人の僕にも馴染みやすかったこともあって(苦笑)、XML白書の刊行のお手伝いや、XML普及活動のお手伝いを違和感なく始めさせていただきました。
しかし、当時は、独自仕様のシステムが好きな人からは邪険にされ、それなりにご理解を頂いた方々にも、「こんなに方言のできやすい緩い仕様ではね〜」と諭され、もちろん自分の力不足が原因なんですけれど、あまりお役に立てなかったような気がします。
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その時代から考えれば、今や、XMLはすっかり、エンジニアの間に基礎技術として浸透しました。
財務データ用のXMLであるXBRLが、企業情報開示の事実上の標準として採用されていることに加え、電子商取引用のebXML、ちょっと苦い思い出となったデジタル放送用のBMLなど、政策で関わったところも含め、XMLは様々なシーンで使われるようになりました。防災用XMLなんていうのも、非常に理にかなった実践的なサブセットかなと思います。
また、RSSリーダを支えるRSSやRDF、JavaScriptとXMLを統合的に活用したユーザインターフェースを構築するAjaxなどは、一般のインターネットユーザの方にはそういう歴史も認知もされないまま、広く使われているように思いますし、数年前には、XBRLを非財務情報の活用にまで進め、経営管理そのものの進化を遂げさせようとするWICI(World Intellectual Asset/Capital Initiative)の活動にも関わらせていただき、時代もすっかり進んだなあと、実感させていただきました。
インターネットがこれだけ当たり前のように普及してるのですから、当然ではありますが、XMLは、基礎技術として、本当に広く浸透したと思います。XMLコンソーシアムのような、企業や立場を離れたネットワークが底流として利いているからこその成果ではないでしょうか。ても嬉しいことです。
しかし、実は、当時の思いからすると、個人的にはまだ不満が残っています。「本当は、もっと普及していても良いはずだ。全ての業界に、業界標準としてのXMLデータ仕様があってもいいじゃないか。」
極論をすれば、上司を騙し、社業を疎かにしながらコンソーシアム活動名を通じてXMLの普及を盛り上げてきた方々には、申し訳ないような整理かもしれませんが、そんな気がしています。ちょっと、カッコつけて、厳しめにXMLのこれまでを評価してみると、
XMLの普及によるデータの構造化よりも、社会自体の脱・構造化のペースの方が早かった。
そんな感じでしょうか。
2.縦の広がりから、横の広がりへ
(1)「データを自由に振る舞わせる」ということ
たとえば、効率的な流通管理の世界、SCM等の分野では、本当は、もっともっとXML化が進むんだろうと思ってました。社内の各種文書や人事データだって、本当は、ちゃんとXML化して、データが自分のデータ属性を引きずって歩くようなシステムにしておけば便利なことって、もっとあるだろうと。
Sales Forceの導入のように、無理にデータベースエンジンを一本化しなくたっていい。人事システムなどにありがちな、ごちゃごちゃで複雑なアプリをそのまま持ち込んでデータの入出力のところだけ無理矢理整形しなくたっていい。データ自体をXML化しておけば、本来は色々なことができるはず。
コンピューター側の処理能力がやっとそこまで上がってきたということもありますけれど、例えば、健康情報基盤や医療データの流通基盤整備なんていう新しい公共的な分野の取組なども、そのニーズにマッチする典型的な分野かなと思いました。
ただし、システム屋から見ると、そうやってデータの互換性が強まれば強まるほど、商売上は都合の悪いことも多い。だから、お客さんには、あんまり丁寧説明しようとしない。お客さんも、データへの投資って地味だし面倒くさいので、あまりやりたがらない。
例えば、次期全銀協のシステムでは、企画当時の幹事の方々のご尽力があったからこそ、XBRLの本格的活用に向けて前進があるようですが、この時も、メリットをすぐには感じにくい地方銀行の方々を説得するのは本当に大変だった。そもそも、今では企業情報開示にあたって当たり前となったXBRLの活用も、導入当時は、金融庁の担当管理職や日銀の和田さんをはじめ、キーポジションにたまたま理解のある方々がいらっしゃったことで、運良く早期に活用が進んだ感じがします。
結局、こうやって見直してみると、トップのポジションにいる方が、直感的にXMLの重要性を理解できれば、広く活用が進むし、そうでないと、理解をした現場はみんなそれがいいと思っていても、結局、なんやかんやと進まない。Topがどの程度の理解を示すか、ということに対する依存度が非常に大きいのが現状です。
これって、実は、ITのいろんな問題に共通している現象なんですが、TopDownでないと合理的な仕組みが普及できない。そのために、システムがもたらす生産性の向上はユーザ側のTopの資質に大きく左右されてしまう。
細かい理由を挙げれば、更新期の異なるシステムが併存している、これまでのデータ資産が無駄になる、といった具体的課題が言い訳となるのですが、結局は、中間管理職任せでは、全体を見た合理的な判断ができず、ずるずると、XML化もできなくなってしまう。
XBRLにおける金融庁の責任者によるルール整備や、会社全体でデータのXML化を進めた社長の号令一下のように、「データを自由に振る舞わせること」の意義を直感的に理解できた気の利いたTopがいれば良い。だけど多くの場合、現場は路頭を迷い、挫折を繰り返す。多くの場合、XMLも、そういう歴史をたどってきたように思います。
そうこうするうちに、技術者は、どんどん細かく方言化したXMLのサブセットを作り出してしまうし。。。
(2) TopDownからBottomUpへ
そう批判としておいて何ですが、Topの資質に強く依存したTopDownアプローチが、XMLに確率的な成功しかもたらさなかったのは、理にかなった面もあると思います。
例えば、一人の社長さんが、全商品の流通の、製造から小売まで全部見ているということは極めて稀です。製造、卸し、物流、小売とそれぞれのビジネス領域毎に違う会社がある。各会社のトップは、それぞれのビジネス領域でITコストも合わせて採算を取るのが仕事ですから、その領域を超えてデータが自由に振る舞える標準にわざわざ対応させるコストを、何故自分が払う必要があるのか。まさに部分最適の積み上げでしか物事を考えようがないのは、やむを得ない面があると思います。
アスクルさんのように、最初から大アスクルを構想して取りかかれるような、岩田社長のようなTopがいらっしゃる場合は、なかなか珍しい(ちょっと古い資料で恐縮ですが、「情報経済・産業ビジョン」の骨子のP23、報告本体のP2−8などを参照)。
当時、やっぱりTopの気づきだとか思って、IT経営協議会とか、ほんと一生懸命議論しましたが、それでもやっぱり、Topの資質だけに依存したIT資産整備には限界があるかなと。IT資本の効率性を高めるのは、本当に大変だなと思った記憶があります。
でもたぶん、ビジネスドメインのITって、経営管理という課題から逃げられない以上、地道に取り組んでいくしかないので、TopDownはTopDownで、良いCIOの発掘とネットワーク化をはじめ、この方向を淡々と進めるより他無いかも。業界毎にバラバラになろうと、業界の中ですら、秩序が失われてこようと、そこに経営管理という実態がある以上、データを切り口とした産業社会の構造化に向けて、少しづつ前に進むより他ない。
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ただし、こうしたTopDownの動きをよそに、もう一つ、今後注目すべき動きがある。それは、もっとユーザから近いところにある、BottomUpの流れです。
例えば、XMLコンソーシアムのシンポジウムでご一緒させていただいた、教科書バリアフリー法にご尽力をされた宇野先生の取組がそうです。先生は、弱視の方用に開発されたXMLを活用した教科書編集ツールの普及に取り組んでいらっしゃいますが、こういうツールの普及パターンが、その一例とも言えるのではないでしょうか。
もちろん、本ツールも先生をはじめとした関係者の方々のご尽力があって、次に進もうとしているわけですが、その普及の原理は、どちらかというと、TopDownというよりは、Bottom Up。こういう身体障害者用の方々のツールって大事だよねっていう、共感が先にあって、動いている。
ま、考えてみれば、RSSやRDFも、どこかのTopがこれが良いと決めたわけではなくて、便利だよねっていうエンドユーザの感覚が、その利用を押し広めた面があるという意味ではBottomUpかもしれません。
インターネットの基礎技術自身の普及は、Mosaic以来、IEをはじめとしたWebブラウザという供給側からのプロダクトの普及努力に大きく依存していたような気がしますが、Web上でマッシュアップが普通にできるようにある中、ようやっと、エンドユーザが主役の、ユーザのリードによる、新たなITのBottomUP型の普及が、本格化し始めているような気がします。
TopDownの流れも大事だとは思いますが、これから、産業構造の組み替えやボーダレスなValueChainが主役となっていく中、エンドユーザベースのBottomUpの動きこそ、時代の主役になって欲しい。そういう感じがしています。
3.共感力、リアルタイム性、データのトレーサビリティ
では、こうしたボトムアップの流れを主導するものって、何なのでしょうか。RSSリーダがそうであるように、第一に、利便性なのではないかと思いますが、しかし、それだけでもないだろうと。
では、他にどういった要素が鍵を握るのか。ここでは、XMLコンソーシアムの総会でヒントを頂いた3つの切り口について、例をあげてみようかと思います。
(1) 共感力
例えば、既にご紹介したとおり、宇野先生の取組って、あんまり、TopDownという感じはしない。やはり、身体障害者のために大切だ。そういう共感がベースにあって、徐々に広まっていく類の話ではないかと思います。
ちょっと前になりますけれど、例えば、オープンソースが最初に広まり始めた頃、みんなが大切にしていたのは、何故、オープンソースが大事なのかという大義名分だったと思います。
アンチMS、行き過ぎた商業主義、人によって少しづつ、そこに見ていたものは異なるんだと思いますが、だけど、関係者を奮い立たさせる強力な「共感」が、とても大切にされていた。それを傷つけることは許されなかった。
こうした共感をベースにしたBottomUp型の普及形態って、結構、時代の変化と整合しているのかなと、個人的には感じています。
いきなり一般論で恐縮ですが、昔は、会社が、こういう取組をすべきという正統性(Legitimacy)を提供し、社員は、それに応えて忠誠心(Loyality)を提供する。だから、企業は雇用を保障するし、社員はちょっとおかしいなと思う営業活動にも我慢してまじめに取り組む。極論すれば、そういう正統性と忠誠心の応酬で、社会的活動が成立していたように思います。
高度成長期のように、向かうべき方向性がはっきりしていた時代は、これでもよし。そう思いますが、最近の若い人達を見ているとちょっと違う。組織自体にそこまでの忠誠心はもうないし、 どこかに違う動機付けを求めている。
むしろ大事なのは、アンチ独占でも、地方活性化でも、何でも良いけれど、しっかりとした大義名分。その大義名分が提供する正当性(Justification)に対して、共感を得て、参加への動機付け(Motivation)を得る。
いわば、正統性と忠誠心というタテ型組織の時代から、正当性に対する参加への動機付け、という横の広がりの時代へと、人を駆動する原理が変わり始めているのかなと感じています(ちょっと古い講演録で恐縮ですが、ISEDでこんな話をさせていただきました)。
ちなみに、僕が今担当している地球温暖化問題なんか、まさに、その典型っていう感じがします。
タテ型組織の時代の人は、各組織が大切にしている論理の内容に敏感で、その論理同士を付きあわせて、何が正しいのかを判断しようとする。でも、市民社会的動きって言うのは、論理より、共感できること、の方が大切。そこに内包されている論理的な誤りよりも、共感の素地を作っている大義名分自体が、とても大切にされます。
この両者は、どちらが正しいと言うより、入り口には疑問を持たずに中身を徹底して突き詰めようとするアプローチと、入り口を徹底的に大切にして中身は後で調整しようとするアプローチとの、考え方の違いかなと、思います。
タテ型の忠誠心より、こういう横の共感の広がりが先行する時代の嗜好性からいえば、ボトムアップ型のデータの構造化というのは、まさに時代のニーズにかなっている。
トップから言われてデータ仕様を変えるのは面倒くさいし、そもそもトップがそういう判断をしてくれない。でも、現場レベルで、共感をしたものと「つながりたい」と思えば、現場が進んでデータ仕様を変えていこうとする。宇野先生の取組を知って、それに共感すれば、これからは、宇野先生のツールに使いやすいに、オリジナル教科書を編集しようと思い始める。
まあちょっと、難しいと言うことはあるけれども、こういう共感力を大切にした、技術の横への普及というのは、今後、主力となるべき一つの形かなと思っています。
(2) リアルタイム性
こうした横への広がりを加速させる、もう一つの切り口がリアルタイム性です。
例えば、ですが、iPhoneの普及のおかげで、食ログさんがずいぶんとアクセスを伸ばしてるような気がしますが、これなんか典型ではないでしょうか。
外出先の街中で、どうせなら、ちょっと美味しい、ちょっとお得なお店でお昼が食べたい。そう思ったときにリアルタイムで見えるデータって、凄い説得力がある。どうしても目茶美味しいものに拘る場合は、事前にきちんと調べていくでしょうが、そうではなくて、気軽に、今を少しだけ豊かに、過ごしたい。そういうときのリアルなデータって、勢いあります。
ITの側にとっても、データが家のPCで見られるだけだと収益源も狭義の広告に限定されますが、実際にそれでリアルに街中の人の動きが変わると言うことになると、お店をはじお金を出そうと思う人も、ぐっと広がってきます。
最近の携帯端末は、多少の重たいデータも軽く動かせますし、リアルの動画像と重ね合わせても、難なく処理できる。残念ながら3月10日で終わってしまいましたが、渋谷で、Pin@Clip(ピナクリ)という、携帯端末を活用した街中でのリアルタイム情報検索実証事業をやらせていただきましたが、こちらも大反響でした。
このプロジェクトに関しては、渋谷の街ごと、AR(Augmented Realirty:拡張現実)にしちゃえくらいの勢いで、渋谷ジモピーズとして意気込んでいたわけですが、結果的には渋谷ビジターズにも喜んで貰えたし、東急ハンズでやったTwitter上で在庫を教えてくれるコンシェルジェサービス(コレカモネット)では、実証期間の後半戦、twitterサイドの方で一時的にアクセス制限を受けるほど、盛り上がってました。
これだけ、リアルタイム性があるデータがあると、ネット上のデータ提供とはまた違った形でお金が動く。そういう現実を見せられると、システムを使う側もだんだんと発想が変わってくるのではないでしょうか(ちなみに、ブラタモリというNHKの番組と連動して、こんな実験「ブラタモリ提供ブラアプリ」)もやってます。)。
もともと、初期のインターネットだって、最初は半信半疑だったのが、たくさんのユーザがアクセスして、実際にそれを見て商品を買ったり出かけたりすることがわかってくると、今度は、色々な人が、一斉に、ネットにお金を使うようになった。
それが、今度は、例えば、ARなどを通じて、これまでのWebより更にリアルタイムに、使える情報が増えてくることになる。そうなると、その後についてくるビジネスの桁も、また単なるWebの時代から大きく変わってくるのではないでしょうか。
こういう形で、よりリアルタイムな世界へとITが人を駆動していくことで、とりあえず「つながる」、「つながっておく」とうことへの動機付けをどんどんと高まっていく可能性がある。まさに、今、
ITがネット上でデータを駆動していた時代から、ITが人の活動自体を直接駆動する時代へ
と、大きく変わりつつあるのではないか、という気がしています。
(3) データのトレーサビリティ
これは、もうちょっと先の話かとも思うのですが、データのトレーサビリティって話もあるかなと思っています。
例えば、今まで、コンテンツの多くは、特定のテレビ局のビジネスなど、個々のメディアの価値を支えるために、使えるメディアが限定され、使いまわされてきたのかなと思います。しかし、これからは、コンテンツビジネスの方が、メディア横断的に活躍を始める。多メディア化が進み、コンテンツ流通インフラの資本効率性が急速に悪化しつつある中、そんな風に感じ始めています。そうなると、自分のコンテンツが、どこで誰に使われているのか、きちんと補足できる技術的な基盤が必要な時代がやってくる。
ライフログもそうです。Pin@Clipのように街中でコンシェルジェサービスのようなことを始めれば、どうしてもライフログを誰かに預けることになります。そうなると、自分のライフログデータがどこでどう使われていくのか。特定の事業者に預けるというよりも、そのデータ自身を転々流通させるような、それでもプライバシーが自分の望む範囲で守られるような環境が、徐々に求められるようになるでしょう。
電子ポイントの場合でも、どの店で何をしてきた人には、更にこういう形でサービスしてあげる、なんていうおまけサービスを、転々流通型で使い回すなんていうことも、起きてくるのかもしれません。
街のうわさ話がそうですが、センターレスP2Pみたいな情報の流れって、利便性とリアルタイム性が徹底して追及されればされるほど、大事になってくるような気がしています。言い換えれば、街の井戸端会議での話題ほど、ブーム作りに強力なものはない。
データの鮮度が上がれば、データの価値が上がり、データ自体で儲けられるようになる。だからこそ、もっともっと利便性とリアルタイム性にこだわるようになり、それが、データの転々流通ニーズを高め、データのトレーサビリティ需要をあげる。そういう、「リアルタイム性へのニーズ → データの転々流通ニーズ → データのトレーサビリティ確保」という循環は、データの資産価値が上がれば上がるほど、今後、ますます強まってくるのではないかと見ています。
そして、最後は、データのオーナーシップという決して結論のない議論に、再び火がつくのではないでしょうか。今は、個人情報保護法の体系が行きすぎている反動のおかげで、あんまりそういう機運は出てませんけど。
* * *
話題がそれましたが、(苦笑
結局、XMLのこれからって、こういう社会の側のダイナミックな構造化(?)と、テクノロジーがどう同期していくか、っていう、そこに課題が移行していくのではないでしょうか。なんだかんだいって、技術としては、十分に浸透したように思いますので、これからは、社会と技術のリンクが大事になると思います。
そうなると、社会の側でデータの構造化や、データ自身を自由に振る舞わせることの意味が問われるわけですが、その時に出てくるキーワードの幾つかが、共感力、リアルタイム性、データのトレーサビリティといった要素なんだろうと思います。
で、もし、こういった要素が満たされてくると何が起きるか。データが、ネットを介して自由にあちこちに振る舞うようになる。各コンピュータの処理仕様に合わせることなく、自由にデータが振る舞い始める。つまり、それって、コンピュータ資産に分割統治されてきたデータが起こす、ある種の革命運動的なものなのではないか。
これまで、デジタルデータって、それぞれのITベンダや技術的覇権を持つコンピュータ屋のデータ仕様に縛られてきたわけですが、データ自身が、その桎梏を離れて自由に振る舞うようになる。それって、つまり、コンピュータを売るより、データの取扱を商売にしていた方が儲かる時代がやってくる。要約すると、そういうことになってくるような気がします。
XMLは、その時代のコンセプトを、データ仕様として先取りをしてしまったわけですが、XMLコンソーシアムに敬意を表して格好良く言えば、いよいよ、XMLの本格的活用の時代がやってきた。そういうことなのかもしれません。
というわけで、XMLコンソーシアムの皆様、長期間お疲れさまでした。こういう集まりに、日常業務を抜けて出てくることの大変さは、自分自身も日々実感しているところでありますが、XMLの技術面での広がりは、このコンソーシアムの人的ネットワークの貢献大だと思います。また、コンソーシアム終了後も、是非、この人的ネットワーク自身は、若返りを含め、大きく育って欲しいと思います。
次回は、ブログネタが大分貯まってきているので、また、別の話を。。