「官僚たちの夏」が、TBSによって再びドラマ化され、話題になっています。「暑苦しい」なあとか、見てらんないよと思う方も多いのかもしれませんが、当時者の後輩である僕らにとっては、案外、「そうそう、こんな感じなんだよね」と思う部分があります。
さて、この「暑苦しさ」のような部分って、好き嫌いの分かれるところだとは思いますが、実は、前回のエントリで話題にした、「創る」現場のエネルギー、という話にも通じているように感じます。
前回のエントリがあまりに長く、話が散漫になりすぎたので、今回は、「官僚たちの夏」に対する感想を織り交ぜながら、少し焦点を絞って、この「熱さ」の問題を取り上げてみたいと思います。
1.上手くいくときは、「創る」現場のエネルギーがそのまま炸裂する
まず最初に、エントリの方を、さらっと復習したいと思います。
前回、話題にした座談会では、終始一貫して、音楽をはじめとしたコンテンツの「創る」現場のエネルギーが、そのまま炸裂して市場に出ていくことの大事さが語られていたように思います。ちょっとだけ再引用をお許しください。
(A氏) 「だから、創っている現場は、とても非合理だったり、非効率だったりしますよね。意外性と感覚とか、隙間とかで創られる。だから、なかなか計数化できない。ある会社では、100人規模のライブを積み重ねてからアルバムを出して、アーティストを売る。ある会社では、タイアップを取ったり、着うた・着うたフルからヒットを創っていく場合もある。A&R(Artist and Repertoire : アーティストの発掘、契約、育成、及びアーティストに会った楽曲の発掘、契約、制作等一連の業務)や音作りの現場は、本当にバラバラです。
確かにそうなのかなと思います。コンテンツを作る時って、別に計画尽くで何かが進んでいくわけではない。もちろん、大作映画のようなことになっていくと、そうも言ってられない面もあるとは思いますが、基本は、アーティストとリアルにやりとりしている中で、話がどんどん広がっていく。ヒントになるような話はあちらこちらに転がっていて、それを如何にうまく拾い上げて、エネルギーとして大きく育てていくか、そんな勝負なのかなと思います。だからでしょうか、同じ方は、こうも指摘されます。
(A氏) 「企業としては無論、(ビジネスとして成功することを)確信犯として目指しますが、結局、一人の人間が意志決定することはできない。みんな好き勝手にやっていて、そのチームの中から各々のリーダーが「これだ」ということをやっていければいい。子供から後ろ指さされるのは絶対に厭だと考えているチームリーダもいれば、100万人、200万人に届けたいと願っているチームリーダもいる。こういうことがすごく重要だなと思っています。」
「創る」という作業の中から自然に湧き出てくる現場のエネルギーを如何に大切にできるか。創る現場では、とてつもなくすごい作品ができる瞬間というのは、分かるものだとも言います。出来上がったものを持ってきた人間を見れば見れば分かる。自身に満ちあふれている。
「創る」現場が持っている感性や感動を、どうやったらそのままフレッシュなかたちで、商品やサービスにつないでいけるのか。マーケティング尽くしで失いかけている僕らの心が、そのまま問われているように思います。ネットだ、デジタルだと叫んではいるものの、本質は何も変わっていない。究極の消費者志向は、実は、究極の供給者先行だったりするような。そんな世界でしょうか。
2.ベンチャー企業も同じ?
実は、この現場の熱さと、上手くいくときの自信に満ちた表情って、最近忘れ気味ですが(苦笑)、ベンチャー企業も同じなのかなと思います。
大企業や大組織の中には、次のように思うことが多い方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
世の中には、びんびん響く人が沢山いるのに、なんで自分の組織は、こんなに鈍いんだろうと。
僕もさすがに、そこを単純に批判するほど若くはなくなってしまいました。確かに未だに、その「壁」を、もどかしく、また歯がゆく思うことはあります。外の人と話せば、共感できるひとがこんなに沢山いるのに、中に帰ってくると、何故こんなに組織は「打っても響かない」んだろうかと。
でも、この組織の壁って、扱う話題が大きく、時代的背景にも通じる何かがあれば、結構動くときは動くのではないでしょうか。最近はそうも思います。簡単な話ですが、結局、何かを変えていく時って、大企業かどうかは分かりませんが、なんらかの形で「組織」を創っていかないと、結局、実行はできない。そこで、「正しい」ことばかり、遠吠えしていても、あまり意味がない。
企業連合でも、新しい市場メカニズムでも、消費者を巻き込んだ新たな運動論でも何でも良いけれども、動かすには、体制がいる。それを忌避して、正しいことばかり言っていても、単なるエッジのたったご意見番に終わる。
実際、ベンチャーだって、エッジの立った人を先に集めてしまうという意味では、最初の思いの凝縮と成立は比較的容易ですが、結果として大企業ひしめく市場に出ていくときは、別の形で、この「壁」に直面するんだと思います。
ベンチャーの場合は、思いの密度を先に高めるというアプローチ。大企業の場合は、「壁」を動かすだけの力を先にため込むアプローチ。前者は、それを大きく育てる仕組みや流れが周りにないと肝心なところで機能しません。後者は、時代の保守的な流れに左右されやすい。どちらにも、一長一短があるように思います。
大事なのは、熱い思いを、そのまま市場まで連れ込むこと。問われているのは、その方法論だと思います。
3.官僚たちの夏
さて、そこで「官僚たちの夏」であります。最近視聴率が落ちているようで心配ですが(苦笑)、僕らにとっては、こういう形で官僚の実像を取り上げていただけるのは、本当にありがたい話です。
時代考証も頑張られてますよね。さすがに今ではほとんどありませんが、僕も入省当初は、勤務時間終了後、普通に執務室でおじさん達にビールを注いでましたし、中には、本当に七輪で干物を焼いている人がいて、びっくりしたことがあります。
ドラマ当時の庁舎は無くなってしまったので、僕らでも、昔は本当に人事を壁に名札を下げてやってたんだあ、とか、昔の局長室の間取りってこんなだったんだと、発見することも多いです。今の庁舎は、やや古めの最近のオフィスビルと大差ありませんが、漂う雰囲気には、ドラマのそれと何となく近いものを感じす。
正直なところ、佐藤浩市さんのようなカッコいい局長さんがいるかどうかは別ですが、しかし、人物的な、あの「熱さ」は、今に通じるものがある気がします。草食獣的世界観から言えば、許し難いくらい「くどい」だろうと思いますが、僕自身は、情報政策担当が長く、その歴史の中での熱いやりとりを本当に色々と聞いて育ってきているので、あまり他人事には思えません。
僕の尊敬する業界人のお一人である富士通の鳴戸さんが、最近、急逝されたのは誠に遺憾でありますが、こうした業界の諸先輩からも、何かを創るということ、実現するまで踏ん張り続けることの「熱さ」を、たっぷりと教えていただきました(その一部は、こちらのエントリにも触れさせていただきました)。
自分自身を振り返っても、最初の湾岸危機を乗り切ったとき、製造物責任法を立法までこぎ着けたとき、著作権条約交渉に翻弄され、それを国内法の改正までたどり着かせたとき、ソフトウエアを巡る政府調達改革を実行したときなど、思えば、「熱く」やってたなあと思います。逆に、思い返すと、最近スマートにやろうとしすぎていないか、心配になってきます。
4.「創る」現場と市場をつなぐパイプラインの寸断
やや唐突かもしれませんが、最近、日本経済が弱っているのって、この「熱さ」不足も一因ではないでしょうか。
マーケティングから逆算してモノを作るのはもちろん大事だし、IR活動やCSR活動を通じて企業をしっかりとご理解いただき、マーケットに評価されるような企業活動をすることも、もちろん大企業としては欠かせぬ責務であろうと思います。
でも、企業体として一番大切なのは、現場の熱さを、どうやってそのまま市場に持ち込めるか。そこに、その企業ならではのものがあるかどうか、なのではないでしょうか。
そのことを、僕がこの一年間直接取り組んできたコンテンツ業界が、改めて、実感を持って教えてくれたような気がします。
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実際、コンテンツ業界では、現場が、メディアの多様化やデジタル技術の進歩に振り回されている感がある。製作委員会といった既存の枠組みの中で、逆算の発想から売れそうなものを作ろうという空気が強まれば強まるほど、現場のクリエーター達の熱は冷めつつある。そういう現実に直面している。
今や、本当に熱くモノを作ろうとするクリエーター達は、こうした既存の「仕組み」に背を向け、エスタぶったプロなら海外へ出ていってしまう人が多いし、まだエスタブっていない若者なら、金にはならないネットに入り込んで「創って」いる。
病気の根源は、デジタルでも、ネットワークでも、NGNでも、携帯ビジネスモデルでもない。現場のパワーを市場に持ち込むためのパイプラインが、此処彼処で寸断されていること自体に、問題の本質があるような気がします。
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どうしても必要な生活必需品、一度ヒットの方程式の方が出来上がってしまっているときのミリオンセラー音楽、爆発的な普及段階にあるときの「三種の神器」など、既に「創る」現場と市場との間に、生きたパイプラインができ上がっている時は、パイプラインをつなぐ「熱さ(=暑苦しさ?)」よりも、そのパイプラインの中身をクールに流す感覚の方が大事なんだろうと思います。
でも、今は違う。そのパイプラインが、あちこちで寸断されてる。もしくは、その出口が無茶苦茶細くなっているのに、入り口で、投資家受けする設備投資を無理矢理突っ込もうとしていたりする。活力の空回りが起きているような気がします。
5.長い台詞回し
企業でも、人でもそうですが、最後に問われることの一つは、「結局、あなたは何をしたいの?」ということではないでしょうか。でも、この問いって、企業にとっても、自分の人生にとっても、ある意味、一番難しい。
ここが明確な企業や人って、羨ましいですよね。普通は、世間との接点という意味での仮面としての自分は作れても、仮面の中身の自分って、そう簡単には、分からない。ただ、何かに熱くなっているうちに、だんだん、「あ〜、自分ってこうなのかな、」って思い始めることはあるんだとろう思います。
あまりそこにはまりすぎると、それはそれで周りに迷惑をかけるので(苦笑)、ある程度のバランスというのも、自分のスタイルの問題として考えなきゃいけないと思います。でも、だからこそ、あれだけ周りに迷惑をかけても熱くなってしまう「官僚たちの夏」に、共感する部分があるのかもしれません。
コンテンツ産業の未来も、同じかなと思います。
「創る」現場の熱さを、どうやったらそのまま、市場まで持ち込めるような体制ができるのか。その中で、可能であれば、デジタル技術や、新しいネットなどの流通手段も取り込んでみたい。そういう視点から、ビジネスモデル全体を作り直すことができないのか。
そして日本経済も。
中小企業の匠の技、農家における本当の野菜作りの力、コンテンツのクリエーターはもとより、大企業のメーカー工場の中にひっそり活躍している「ものづくりの神様」たち。こうした「創る」プロ達のパワーを、むしろ何と言おうと強引に市場に持ち出す、そういう気合いとパワーが、今、もっとも欠けているような気がします。
ましてや、合理化などと称して、そういう「創る」現場をどんどん海外に出してしまったら、企業の生命線としての人材力が危機に瀕する。それは、そのまんま、日本経済自体の課題となります。
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結局、前回申し上げたかったことも、そういう「創る」エネルギーが生み出す流れを、如何にそのまま大切に育てていくか、ということだったんですが、何やら散漫なエントリとなってしまいました。
一つ一つのエントリが、あまりに長く、うだうだしているところは、「官僚たちの夏」で、役者さん達を苦しめた長い台詞回しと同じですね。佐藤浩市さんも、しっかり、ご自身の感想でぼやいておられます。
ここのところ急速に暑さが厳しさを増してまいりましたが、「まさに、『官僚たちの夏』だ」なんて、浮かれてないで、ここんとこ、なんとか、しないといけません。
とかいいながら、冷房の効いた自宅で、まだまだ長〜いブログ書いてるようじゃ、地球環境のためにも、なお、いけませんが・・・。(爆