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”子供時代に心に残るアニメを見せたい” 〜東映アニメーション泊会長の講演

2009/05/18 01:25
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 先日、中国で仕事をした際、東映アニメーションの泊会長から中国人の学生相手に、講演をしていただく機会がありました。自分も拝聴させていただいたのですが、その内容に感銘を受けたので、今回は、それをご紹介したいと思います。

 大変平易かつ、結論だけ聞けば、非常に普通の話なので、ご本人の口で語っておられるところを聞いていただかないと、なかなか、某か大事な部分が伝えきれていないような感じもします。拙いご紹介をお許しをいただければと思います。

 

1.泊会長の講演 

 

 まずは、自分が現場でメモを取れた範囲で、会長の講演骨子をご紹介したいと思います。眠らせておくには惜しい内容だと思いましたので、まずは、僕の文責でまとめて要旨をご紹介します。 

(はじめに) 

 中国のアニメーションの急激な発展には目を見張るものがある。自分たちの経験と、今後の課題などについて、ご紹介したい。

(成功の二つの秘訣:著作権を持つこと。キャラクターを育てること)

 東映アニメーションは、1956年に、東洋のディズニーを目指して創業したが、会社の収益が大きくプラスに転じたのは、1976年、「マジンガーZ」を作り、出版社・テレビ局・制作プロダクションの3社によるビジネスモデルが確立してからだった。長い時間がかかったが、その成功の秘訣は二つある。

 第一に、著作権を自ら持つこと。「マジンガーZ」までは、下請気分が中心だった。当時は、1ドル=360円の時代で、アメリカの下請をするだけで儲かっていた。でも、自動車産業が、自分の車を作りたがったように、現場は、自分たちの作品を作りたがっていた。自分たちの作品を作り、自分で著作権を持つこと。それが大切だ。

 著作権の中には、制作してすぐに儲かる良い著作権もあるし、「一休さん」のように制作すればするほど赤字になるのに、社会からの要望が強く300本も作ることになったしんどい著作権もあった。後者は、今では中国では大人気と伺っているが、これが儲かるようになるには、30年の年月を要している。いずれにせよ、自分が作りたいモノを作り、その権利はしっかりと自分で抑える、それが第一のポイントだ。 

 第二に、キャラクターの創造に全力を尽くしたことだ。映画は興行収入で価値が決まる。テレビは視聴率で価値で決まる。アニメの場合、その価値は、キャラクターで決まる。そのキャラクターの強さで、アニメの市場価値も決まっていくものだ。 

 日本には、スラムダンク、ピカチュウ、クレヨンしんちゃん、ドラえもん、セーラームーン、プリキュアなど、実に様々なキャラクターがある。これだけのキャラクターがある国も珍しいかもしれない。

 キャラクターというのは、社会から湧き出してくるものだ。自由な思想の中で独自で多くの文化が共存している。日本の場合は、漫画家に追うところが大きい。漫画家などが社会の動きをよく見ている中から、多種多様なキャラクターが生まれてきている。

 (ハリウッドに学ぶ:「パッケージ化」、「金融商品化」)

 しかし、最近、日本のアニメも若干元気が無くなっている。そこで、私は、コンテンツ王国でありアニメ王国でもあるハリウッドから学ぼうと思っている。その一つは、映画の「パッケージ化」、「金融商品化」だ。 

 70年代までのハリウッドは、スタジオと呼ばれる大手映画会社が企画から資金まで全て自社で行っていた。しかし、ハリウッドでは、70年代の大不況を受け、80年代に入ると、エージェントと呼ばれる俳優、脚本家等の代理人達がスタジオの意向と関係なく、本当に面白い作品を実現するために、企画から資金まで、外部の人たちと作り上げる時代になった。 

 面白い作品が出来ればスタジオもそのプロジェクトに投資する。そこにスタジオ以外の投資家も参画する。こうして映画制作に世界中から巨額の制作費を集める仕組みが確立する。すなわち、映画は、パッケージ化され、金融商品になった。 

 日本の映画は、まだ、米国の70年代的状況に似ている。未だ、大手映画会社や大手テレビ局が企画から資金まで全て提供している。加えて、日本の作品は、日本人しか出演できないから、日本でしか回収が出来ず、外部の投資家にとって全く魅力がない。 

 しかし、アニメは違う。アニメの主人公は、日本人どころか、どこの国の人かもわからない。ドラゴンボールの場合、名前の悟空は中国名だ。髪の毛は金髪、西洋人だ。そして心は日本人だ。事実、世界中に販路を見いだし、世界中のテレビで放映されている。 

 アニメ産業は、30年先を行くハリウッドに学ぶことで、まだまだ活路を開ける。映画を川上に置く戦略にシフトすることで、可能性を更に開けるのではないかと思っている。日本のアニメは世界に浸透している。世界中の人が様々な形で協力してアニメを作る時代が、近い将来、来ると思っている。

(おわりに:アニメを通じて、世界の子供達に夢を贈る)

 東映アニメーションの経営理念は、「世界の子供達に夢を贈る」ことだ。

  子供は人生のゴールデンタイムの中を歩いている。たとえ貧困の中にいる子供達も、少子化の中にいる子供達も、皆人生の一番良い時代を生きている。その子供達に良いアニメを見せてあげたい。そう思ってやっている。

 アニメが世界の若者達に共通言語であるのも、子供時代に心に残るアニメを見たからだ。子供達に愛されるアニメを作らなくては、アニメコンテンツ市場の未来もなくなると考えている。

 

2.成功の秘訣とハリウッド

 

 このまま終わりにしてしまうと、引用にならず、単に講演内容を右から左に流しただけになってしまうので、敢えて、自分の意見と重ね合わせてみたいと思います。お許しください。

 泊会長は、日本のアニメの成功の秘訣が、

  •  
    • 著作権を自分で持つこと、

    • 優れたキャラクターの創造に全力を尽くしたこと、

の二つにあり、今後の課題は、

  •  
    • ハリウッドに学び「金融商品化」にトライすることである

と言い切っておられます。限られた講演時間にあわせた整理であるとはいえ、考えれば考えるほど、そういう整理で十分、コンテンツ業界全体の本質的課題を語れるのではないかと、思えてきました。 

 

(1)著作権を自分で持つことの大切さ

 泊会長の話を伺っていて、改めて感じたのは、「創りたいコンテンツを創り、そのコンテンツが生み出す感動を、より多くの人に広げるビジネスにつなげる。」ことの奥の深さです。

 例えば、現在、テレビ等の世界では、製作委員会という任意組合形式による資金調達・管理に、コンテンツビジネスの多くが委ねられています。この仕組みは、確かに、テレビ局をコアに他の重要な関係者を巻き込み、二次利用・三次利用を通じたコンテンツ全体の収益を拡大することに、大きな役割を果たしました。

 多くの場合、この製作委員会に、制作プロダクションは、直接参加しておらず、単に作品制作を受注しているというケースが多い。それでも、制作プロダクションにとって、創りたい作品を作ることができ、必要な利益還元が得られれば、どちらでも良いとも言えます。

 しかし、そこが最近、なかなかそう上手くいっていない。というのも、関係者が増えたことによってに、逆に取り上げてもらえる作品のパターンが固定化してくる、いかにもヒットしそうな無難な作品に関心が集中してくる。創りたい作品が創れない。そういった弊害がクリエーター側から指摘されるようになってきているからです。

 製作委員会の側からすると、クリエーターが作りたいモノばかり相手にしていたら、自分が成り立たなくなってしまいます。でも、そう自由にモノを作らせてくれるようなパトロンが、そう都合良く、その辺にいてくれるわけでもありません。となると、制作現場は、製作委員会にもパトロンにも頼らずに、自分で資金調達をしビジネスモデルを展開せざるをえなくなる。でも、一体そんなことができるのか。

 理屈で議論するのは簡単ですが、実際は、いろいろな形を試してみるしかない。また、一概に製作委員会の全てを否定すればいいというものでもない。なかなか難しいところです。

 実際、現状を見ると、多くのコンテンツ製作会社が、コンテンツ製作を支えるために別のビジネスに安定的な収益源を求めるか、何らかの形で下請的立場に立たざるを得ないか、厳しい選択を迫られているように思います。創りたいコンテンツを創るということと、それをより多くの人に伝えビジネスにすることとの間には、大きな溝があるのが実態ではないでしょうか。

 では、どうやってその溝を乗り切るのか。

 例えば、東映アニメーションさんが「一休さん」で毎回赤字を出しながら大変な苦労をされていたとは、今回自分も初めて知りました。結局、東アニさんの場合、この溝を乗り切るため、儲かるまでの30年間の作業を、コンテンツに対する信念と、様々な工夫や我慢によって支え続けてきたのだと思います。また、その工夫と我慢を支える原動力が、「現場は自分の作品を創りたがっている」。小難しい理屈ではなく、そういうクリエーターの思いを大切にするというところにあったと泊会長は仰りたいのかもしれません。

 実は、アニメ産業の産業としての原点も、そういうところにある。お話を伺っているうちに、改めて、そんな風に感じられてきました。

 

     *     *     *

 

 ちょっと話題がずれますが、最近、コンテンツのオープンソース化がとても気になっています。若い世代の間では、MADがどんどん活性化していますが、逆にそうなればなるほど、権利処理の楽なものに人気が集まる構図があるからです。

 例えば、小学校の卒業式に初音ミクの楽曲が使われ、多くの親が何がかかっているのか分からなくなっているように、親世代が思いも寄らないような形で、ネット上では、Chain Musicの様な形で、協働作業による創作作業がどんどん進んでいる。そして、その素材として、権利処理の楽なオープンソース的な素材に、どんどん人気が集中し始めているような気がします。

 技術がコンテンツを変えていくのは、いつの時代も普遍的なテーマですから、それは仕方がないと思うし、むしろ、MADをはじめとしたネット上の様々な創作スタイルは、新たな時代の標準として歓迎しなくてはならないのだと思います。ただし、それでは、「コンテンツを創る」ということで金を稼ぐ商売が成り立たなくなる。厳密に言えばいろいろあるでしょうが、本質的に、コンテンツで食べていくのは難しい時代になりつつあると思います。

 今までは、それを流通させるところで生じる様々なレントを、制作側にも巧みに配分していくことによって、プロのコンテンツ作りの生活を支えてきた側面があるように思います。しかし、今や情報の流通コストは限界コストゼロに向けて、理屈どおり、着実に変化し始めている。そうなってくると、コンテンツ作りに投入される才能と時間を、より直接的に評価する仕組みを確立しない限り、製作のプロという商売が中長期的には消滅してしまいかねない。

 もちろん、それでも、創作活動自体が無くなるわけではありません。実際、MADをはじめとしたネット上の創作活動にも面白い人達は次々と現れているようです。つまり、コンテンツ作りが産業になるかどうかと創作・文化活動とは、本質的には独立している、とうことなのだと思いますが、それにしても、「著作権を自分で持つ」ということの重みが、今以上に厳しく問われるべき時代はないように思います。僕個人の仕事にとっても、大きな課題です。

 

(2) アニメはキャラクターが命

「映画は興行収入で価値が決まる。テレビは視聴率で価値が決まる。アニメはそのキャラクターで価値が決まる。」

 聞いてしまえば簡単な話ですが、喝破しきっているところが、凄いなと思います。また、ここで示唆されているとおり、アニメについては、マンガ・ある種のゲームと全体をまとめて、広義のキャラクター展開ビジネスと考えた方が、しっくりくるのかもしれません。

 さて、問題は、泊会長ご自身が指摘されているとおり、キャラクターというのは社会の中から沸き出してくるもの。自由な思想と議論の中から、注意深く社会を観察しているクリエーターの手によって、創造されてくるものだといこと。そして、それを許容する社会の側の理解と、中から優れたものを吸い上げる業界の仕組みが必要だということです。この許容度の広さと仕組みの問題も、実は、相当に基本的な課題なのだと改めて感じました。

 例えば、映画の世界では、最近テレビ界への流出が話題になっているとはいえ、やはりハリウッドの脚本家の層の厚さは群を抜きます。とある映画の専門家によれば、ハリウッドの脚本家層の厚みを100とすれば、日本は10もないと仰います。厳しい方は3程度だとも言います。その厚い層の脚本家の中から、エージェントが作品化するものを選び抜き、そして、ハリウッドの優れた娯楽大作が生まれていくのだと思います。

 そういう視点で見ると、日本のテレビ番組も凄いと思います。最近は、批判の方が多いかもしれませんが、日本のバラエティ番組やドラマには、世界に通用するものがたくさんある。それも、やはり、番組改編期の度に各キー局に2000以上集まると言われる番組企画の層の厚さが支えているのではないでしょうか。その中で使いうると判断されるのは100以下、かつ、その時期に合うものとして採用されるのは10に満たないという厳しい世界です。テレビ番組の製作を支える世界には、非常に多くの才能と、それを吸い上げる仕組みが、構築されてきているように思います。

 日本のアニメ(むしろマンガというべきかもしれませんが)の場合も、そうです。日本のマンガは、実に広いすそ野と切磋琢磨する環境を持っている。毎年、各マンガ誌が進める懸賞・コンテスト。それを勝ち抜いての月刊誌や週刊誌への連載の獲得。そしてその冒頭カラーやテレビアニメ化へと進んでいくマンガ・コンテンツの厳しいライフキャリア。その厳しい世界を勝ち抜いたコンテンツが市場化される仕組みとすそ野の広がりを、日本のアニメ・マンガ業界は持っています。

 しかし、これだけのすそ野の広さと、それを吸い上げる仕組みの確立は、そう一朝一夕にできるものとも思えません。だからこそ、コンテンツ産業は、その国の歴史や文化が深く関わらざるを得ないのだと思います。

 あまり良くない意味での時代の保守化、若しくは、ポストモダニズム的展開が進行する中で、良質なコンテンツを吸い上げ世に出す仕組みが維持できるのか。モザイク状にちりばめられたコンテンツがネット上を彷徨しているような環境の中で、しっかりとした世界観やコンテンツを提供する仕組みが再構築できるのか。今後、更に深く問われていくように思います。

 

(3) ハリウッドに学ぶ

 この二つのポイントを押さえて、なお、謙虚にハリウッドに学ぶ。こう泊会長に断言していただくと、もう、まいりましたという気分になってきます。製作委員会論議や、様々な小難しい資金調達論議も、こう表現していただくと、「もうそれで十分です」、という感じがします。再掲します。 

 

 70年代までのハリウッドは、スタジオと呼ばれる大手映画会社が企画から資金まで全て自社で行っていた。しかし、70年代のハリウッドの大不況を受け、80年代にはいると、エージェントと呼ばれる俳優、脚本家等の代理人達がスタジオの意向と関係なく、本当に面白い作品を実現するために、企画から資金まで、外部の人たちと作り上げる時代になった。

 面白い作品が出来ればスタジオもそのプロジェクトに投資する。そこにスタジオ以外の投資家も参画する。こうして映画制作に世界中から巨額の制作費を集める仕組みが確立する。すなわち、映画は、パッケージ化され、金融商品になった。

 日本の映画は、まだ、米国の70年代的状況に似ている。未だ、大手映画会社や大手テレビ局が企画から資金まで全て提供している。加えて、日本の作品は、日本人しか出演できないから、日本でしか回収が出来ず、外部の投資家にとって全く魅力がない。

 

 では、どうやって、俳優や脚本家の代理人達が、スタジオの意向と関係なく作品を実現するために動き始めるようになったのか。その辺の経緯と歴史は、もう少しよく調べてみたいなと思います。ただ、日本で言えば、スタジオジブリさんは、様々な経緯を経てですが、おそらく、そういう成り立ちをしている。もちろん、テレビ局や広告代理店などがしっかり協力をしてはいますが、基本的には、ジブリの監督とプロデューサーが創りたい作品があって、動いている。

 こういう世界を今後日本に少しでも増やしていくために、政策は何ができるのか。コンテンツの流通促進も大事な課題ではありますが、技術革新によってコンテンツの流通環境が大きく変わろうとしている今こそ、こういうコンテンツの原点に戻った議論が必要になっているのではないでしょうか。そのコンテンツの原点を考えずに、手段の拡大の議論ばかりしても、何も新しい未来は開けてこない。

 大切なのは、流通自体の売上を確保することではなく、創られたコンテンツの価値を最大化すること。コンテンツが生み出す感動を、より多くの人に届けること。そのために、どういう形でコンテンツを世の中に流していくのがベストなのかを、一生懸命、コンテンツの側から考えるということだと思います。また、そうすることによって、結果として流通の側にも新たな可能性が広がっていくように思う。

 僕は、コンテンツって、やはり、ある種の世界観だと思います。サザエさんにはサザエさんの世界観があると思うし、黒澤映画には黒澤映画の世界観がある。坂本龍一には坂本龍一の世界があるし、工藤官九郎にはクドカンの世界がある。そして、ジブリにはジブリの世界がある。それが、コンテンツ、すなわち、「つたえたい内容」なのだと思います。

 もちろん、一曲一曲、一作一作の違いや、ストーリーも大事です。けれども、結局、視聴者は、あるクリエーターの独自の世界観が見たくて、コンテンツに触れるものだし、クリエーターも、そういう自分の世界観をより多くの人に見て貰いたくて、必至になってコンテンツを創るのだと思います。その世界観を拡げるために、クリエーター側も、一話・一作ごとに違うストーリーが設ける。そして、視聴者も、またそれを期待して、新たなコンテンツにアクセスをする。

 しかし、前節でも見たとおり、クリエーターの世界観を大切にしたまま、それをビジネスにつなげるのは、簡単なようでいて、とても難しい。

大手映画会社や大手テレビ局が企画から資金まで全てを提供している。

という状況では、どうしても、世界観の提供は制限を受ける面がある。

 そこで、ハリウッドは、70年代のスタジオ不況を契機に、スタジオ以外のより多くの投資家がコミットしたくなるような「金融商品化」という、コンテンツの中身とは比較的中立的な資金調達の仕組みを確立した。そこに未だ到達できない日本とハリウッドの間には、30年の差がある。

そう諭す泊会長の指摘には重いものがあるなあと思いました。

 

3.子供達に夢を贈る

 

 泊会長のお話は、最後に、次のような台詞で締めくくられます。

 東映アニメーションの経営理念は、「世界の子供達に夢を贈る」ことだ。

 子供は人生のゴールデンタイムの中を歩いている。たとえ貧困の中にいる子供達も、少子化の中にいる子供達も、皆人生の一番良い時代を生きている。その子供達に良いアニメを見せてあげたい。そう思ってやっている。

 アニメが世界の若者達に共通言語であるのも、子供時代に心に残るアニメを見たからだ。子供達に愛されるアニメを作らなくては、アニメコンテンツ市場の未来もなくなると考えている。

 

 ちょっと恥ずかしいんですが、僕自身、この台詞を最初に聞いたとき、一瞬涙ぐみそうになりました。

 前節で振り返ったとおり、コンテンツの価値を最大化する、クリエーターの持っている世界観をより多くのヒトに伝える、そのことと、それをビジネスとして成立させることとの間には、大きな距離があり、それを埋める様々な苦労が必要になります。その苦労を耐える作業を支えるものが何か。それが、こういうコンテンツにかける思いや信念なんだろうなあと、しんみりと思いました。

 政策当事者というのは、それでも、ついつい、傍観者的・批評家的になりがちなものです。しかし、そうした立ち位置こそ、クリエーターであり、また、それを支えるビジネスをしている方々にとっては、最も腹立たしいことでしょう。同様に、この分野でまっとうな学者が育ちにくいのも、金融の専門家が入りにくい傾向があるのも、結局は、ただ批判したり分析したりといだけでは、コンテンツを支え合うネットワークには、入っていけないからなのだと思います。

 しかし、政策や学術分析が不用なわけではない。もっと言えば、マスメディア・社会批評だったり、金融の専門家だったり、ハードウエア技術者だったり、いろいろな立場の違う人達を如何に巻き込んでいくかが、コンテンツを伝えることとビジネスにすることとの間の距離を埋める上では、どうしても必要なことになっていくような気がします。

 ハリウッドが、コンテンツを「パッケージ化」し、「金融商品化」した、というのも、おそらくそういうことなんでしょう。そして、その糊付けていく糊の役割を果たすのが、ここでいう、「アニメに対する思い」。そういう理念や信念なのではないでしょうか。

 確かに、政策当事者や社会科学者、ハードの技術者や金融の専門家などに、コンテンツそのものの価値を論じるだけの審美眼はないケースがほとんどないのだと思います。また、そういうレベルで分かり合える部分も少ない可能性がある。

 でも、そういう環境の中でも、「貧困の中にいる子供達も、少子化の中にいる子供達も、みな人生の一番良い時代を生きている。そういう子供達に、良いアニメを見せてあげたい。」、そういう思いは共有することができるのではないか。

 ハリウッドも、コンテンツやエンターテインメントに対する理念や信念に関し広範なコンセンサスを生み出すことによって、大きなビジネス・ネットワーク作りを成功へと導いたのではないか。そんな気がしています。

 

       *       *       *

 

 こういうお話をさらっと口にできる泊会長のご経験とお力に感服すると同時に、自分も、コンテンツをビジネスばかりでなく、こうした社会的な視点からしっかりと語れるようになりたいものだと、深く反省しました。

 こういう話ができるようになるためには、理屈が分かっているだけではなく、やはり某か、人間的な深みや厚みを得るような経験を経ないと駄目なんでしょうね。自分自身もそういう風になれたらいいと思うのですが、道は遠そうです。

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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