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香里奈とエビちゃんとソフトパワー 〜アンチ・イノベーション?〜

2009/04/20 00:49
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 先日、仕事で大連に行って来ました。改めて、海外からの日本のコンテンツへの関心の高さ、そして、日本文化の浸透度のすごさを実感しましたが、逆に、だからこそ、それだけでは物足りない何かも感じました。今回のエントリでは、香里奈とエビちゃんに触れられた麻生総理の成長戦略の演説を切り口に、簡単な”ソフトパワー論”を。

 

1.VogueかRay

 

 大連の街中を車で移動している最中、同行していた同僚の携帯電話が急に鳴りました。「麻生総理が明日、成長戦略の発表をするときに使うかもしれないので、日本のモデルが出た中国の雑誌を買って帰国するように」、という指示の電話です。しかも、出ているモデルは、「香里奈か、アユか、エビちゃん」のどれかを希望、とのこと。正直、そんなに都合良くあるかなあと、ちょっと心配でした。

 主婦の友社が発行している、"Ray"という女性誌があります。中国では有名と聞いていましたので、早速、車に同乗していた現地スタッフの若い中国人女性に聞くと、よく知っていると言います。っと、彼女は、いきなり車を止め、道ばたの雑誌の露店に走っていきました。ちょうど、日本でも少年サンデーやマガジンをちょっとだけ早く売ってる道端の露店みたいな雰囲気のところです。

 その女性スタッフが、店のおじさんに話しかけています。おじさんは何やら頷いた後で、雑誌を並べている台の右下の方から、大事そうに袋に入った雑誌を取りだました。女性スタッフはお金を払ってそれを受け取ると、すぐに車に戻ってきて、「はい、Ray ですよ〜」と一言。

 価格は15元。そのまま換算すると300円前後という感じですが、中国人の生活実感で換算すると、現地の方によれば、モノにもよりますが、1元=100円くらいの物価の相場観と思えばいいとのこと。15元だと、中国の庶民感覚的には、1500円の雑誌を買っているという感覚なんですね。雑誌としては、ちょっと高めでしょうか。でも、その女性スタッフに聞いたら、彼女も、大学生の頃からしっかり読んでいたそうです。

 残念ながら、その号は、香里奈さんが表紙ではなかったのですが、オフィスの他の女性スタッフに頼んで貰ったら、あっという間に、香里奈さんやアユが表紙に出ているRayのバックナンバーが、そろいました。また、その晩、日本人スタッフどうしの打ち合わせを終えて、夜な夜な、コンビニ(デリ?)っぽいお店に飲み物の調達に繰り出したところ、そこでもあるわあるわ。安室から、アユから、土屋アンナから、宮崎葵(以上、敬称略)にいたるまで、Ray は当然のこと、efの中国語版や、Mina(米那)、Style(肖麗)、ViVi(朝薇)と、雑誌の種類も豊富です。また、同じ棚には、名探偵コナンの中国語版など、見慣れたマンガもちらほらみかけました。

 大連の現地オフィスの女性の感覚では、今、中国のファッション誌は、だいたい、Ray系か、Vogue系で大きく二分しているんだそうです。「かわいい」系なら、Ray。シックな大人系ならVogueといった感じでしょうか。かつて、日本でも、海外のファッション誌が国内をリードした時代があったのではないかと思いますが、ちょうど、同じような感じかもしれません。ストリートファッションも、大都会では、日本と似てきたかもしれません(アパレルWebさんのページ)。パリや NYに素直にあこがれていた時分の日本と、今の中国は、似ているのかもしれませんね。

 

2.ソフトパワー戦略

 

(1) ソフトパワーという日本の底力

 こうした日本のソフトパワーを、もっと、他産業の市場作りに使うことはできないのでしょうか。韓流ドラマが韓国製品への馴染みをアジア各国でどんどんあげているように、日本も、もっと、こうした文化的な力を、国際競争力に活かしていくことはできないのでしょうか。

  麻生総理の演説でも、こうしたソフトパワーの活用について、成長戦略の大きな施策の柱として取り上げていただきました。総理には、輸出比率が2%に満たないコンテンツ産業自身について、ソフトパワーを活かした市場拡大を訴えていただきましたが、同じくアパレルWebの千木楽社長のブログによれば、ソフトパワーの活用が下手なのは、狭義のコンテンツ産業ばかりでなく、ファッション産業も同じ。輸入:輸出比率は、100:2なんだそうです。

 しかし、エビちゃんが小蝦旋風を引き起こそうと、アユの中国コンサートが盛り上がろうと、何となく、それだけでは、着実な市場拡大につながりそうな感じが残ってしまうのは何故でしょうか。話題にならないよりはなった方がいいに決まっているのですが、それだけでは、何となく一過性の現象の積み上げで終わってしまうような気がしないでしょうか。

 実際、日本系ファッション誌がこれだけ中国市場に浸透していても、中国で売上を上げているアパレル産業といえば、これとは別途、市場進出の努力を続けてこられた桂由美さんなど、売れている雑誌とは余り関係のない、ほんの一握りの方々です。むしろ、日本系ファッション誌が作り出したトレンドは、そのまま中国アパレル産業の売上になってしまっています。

 一体何が欠けているのでしょうか。

 

(2)高度成長はたとえていうなら疲れを知らない青春時代

 若干、飛躍した感のある意見で恐縮ですが、こうしたソフトパワーの活用に目を向けるためには、もう少し、技術革新による高度成長期のような熱狂的な成長願望から、冷静な成熟期の志向へと、国全体が落ち着きを取り戻す必要があると感じています。こうしたソフトパワーの活用が、それ自身、高度成長期の爆発的な輸出拡大のようなアプローチで達成できると思っていると、それ自身、多少危ういかなあと。

 自分は、まだ、あまり説得力のある言葉を手元に持っていせんので、以前にも紹介したことのある、原研哉さんの「デザインのデザイン」という本のお力をお借りして、関係しそうな部分を引用してみたいと思います。

 

  これからしばらくの間、日本はにぎわいと活況を呈する中国をそのすぐ脇で眺めることになる。それは隣の街にできた巨大ショッピングセンターのようなものである。その喧噪は疎ましいが、ある意味では経済世界に厳然とあらわれた新しい基準でもある。・・(中略)・・しかし、日本はこれに影響を受けすぎて浮き足立ってはいけない。アジアの東の端というクールなポジションに、自分の分をわきまえた、筋の通ったたたずまいをつくっていなかくてはならない。

 

 ちょっと難しい感じですが、続けて、原さんはこう書かれます。

 

 間違っても中国と同じような活況を自国に呼び込もうと、軽率な行動に走ってはいけない。4000年の文化の資源を埋蔵しつつ13億の人間が経済の爆発を待っている国に歩調を合わせてはいけない。高度成長はたとえていうなら疲れを知らない青春時代である。日本は既にその青春を経た国である。世界の中では、経済も文化も成熟の時期にさしかかろうとしている場所である。そして、そこに住む生活者たちは、人間の幸福が右肩上がりの経済の活気の中だけにあるのではないということをも十分に承知しているはずだ。だから「異国文化」「経済」「テクノロジー」という世界を活性させてきた要因と、自分たちの文化や美点や独自性を相対化し、そこに成熟した文化圏としてのエレガンスを生み出していくことを、これからはっきり意識する必要がある。そうしないと、日本は、世界の人々にとって訪れる価値のない、自国の経済や文化資源のふさわしい運用に気付かず、それを放棄してしまった軽薄な場所として忘れ去られることになるかもしれない。

 

 自分には、最後の言葉が胸にいたく刺さる気がします。もう少し丁寧に見てみましょう。

 ソフトパワーというと、アニメ・マンガが一丁目一番地でいつも例示に上げられますが、そのことに違和感を感じる方も多いのではないでしょうか。そりゃ、世界に知られた日本文化であることは間違いないけれども、それだけが日本文化であるはずがない。じゃあ、黒沢映画か?北野映画か?「おくりびと」か?そうこう言っているうちに、だんだんと分からなくなってくる。そして、何となくテクノロジー万歳の国家戦略論に、ソフトパワー論がかき消されてしまう。それが、今の我が国のソフトパワー論議を巡る現状ではないかと思います。

 しかし、そこで単純な「技術革新」絶対論、技術からのイノベーション論に戻ってしまっては、いつまでも若者のように気力と体力で直球勝負を続ける国、「永遠の青春時代」願望論を追い続ける国家に、日本が戻ってしまうのではないでしょうか。

 

(3) サブカルチャーと文化のたたずまい

 アニメやマンガだって、悪いわけでは全くありません。むしろ、僕は誇りに思っています。例えばですが、大連でも、それは凄い人気と浸透度でした。現地事務所のスタッフに、良く知っている好きな日本のアニメ・マンガは何?、と普通に聞いたところ、Naruto、ワンピース、スラムダンク、テニスの王子様、ヒカルの碁、・・・っという感じで、あっという間に、10や20のタイトルはすぐ出てきました(今回は主題が違うので、ファンサブ問題の話は置いておきましょう)。

 日本は、1960年代から時間をかけ、子供向けアニメ・マンガから始まって、大人でも楽しめるようなアニメ・マンガ文化を育ててきた。今の日本の国内市場では、劇場用アニメの常連とパッケージ系の売上上位の常連が違う顔ぶれとなってきています。その後者を見ると、日本のアニメ市場が子供向けだけではない広がりのある市場に育っていることがしっかりと分かります。

 そして、その結果が、今や東京に来る外国人観光客にとって、欠かせぬ観光名所となっている秋葉原・裏原宿を生んだのではないか。ちなみに、話を伺った大連の現地事務所の方も、お子さんではなく、皆さん20代以上の大人の方です。

 最近、丸井さんが、新宿にマルイワンを立ち上げられました。ここは、日本のサブカルチャーの殿堂のようなところです。フロア設計を見ればわかりますが、フロアテーマは、こんな感じです。

1階=東京らしいファッショナブルなカルチャーを集積する「TOKYO POP CITY」、2階=ストリート誌とコラボレーションする「ストリートカルチャー」、3階=個性派ファッションを提案する「ロマンチックカジュアル」、4階=モダン着物・ドール・姫系ファッションなどの「アジアンモダン」、5階=世界観へのこだわりを見せるブランドを集積した「クワイエットファンタジー」、6階=日本で独自に進化した「パンク・ロック」、7階=女の子の夢のような「ロリータサロン」、8階=ライブファッションとビジュアル系の音楽を併せた「ミュージック&ライブ」。(新宿経済新聞HPより)

 東京発クールジャパン館っていう感じですよね。自分自身にどこまで、この施設を正しく評価できるリテラシーがあるかどうかは別にして(苦笑)、とても素晴らしい取組だと思います。この施設にとって、確かに、新宿二丁目のお客様は大事な基盤だとは思いますが、しかし、実際のところは、既に、外国人客も、顧客・売上の少なからぬ比率を占めているそうです。

 ここが大事なところですが、もちろん、来られる外国人観光客も、日本人が、こんな格好ばかりしているなんて単純な誤解はしていません。むしろ、日本人より外国人の方が、素直にサブカルチャーを、サブカルチャーとして発見し、楽しんでいるのではないでしょうか。「外国」に来ているという気軽さもあるのだとは思いますが、おそらく、むしろ多くの国内の日本人より、遙かに抵抗感少なく、自然にマルイワンという店舗を楽しんでるのではないかと思います。

 さすがに最近は全く聞かなくなりましたが、日本人はどこかで、「外国人は、日本人が本当に羽織・袴で暮らしていると思っているのではないか」、そんな不安を潜在意識として持っているような気がします。だから、心のどこかで、同じように、アニメやマンガを、あれを日本そのものだと思って欲しくない、そんな思いを持っているのではないでしょうか。

 しかし、成熟した文化の国に、そんなバカなことがあるはずがありません。むしろ、そういったサブカルチャーをどう活かすかも含めた国の文化全体としての冷静な目線があってこそ、「日本」という国を理解して貰う本当のメッセージが海外に出せるようになるのではないかと思います。実際、海外の方のほうが、冷静に、そういう目で、日本文化に対する期待を抱いているのではないかと思います。

 原さんの言葉を借りれば、次のようなことなのだと思います。

「成熟した文化のたたずまいを再創造する。おそらくは、そういうビジョンからの再出発がこの国には必要なのだ。」

 本当にそうだと思います。しかし、残念なことに、ソフトパワーの代表選手にサブカルチャーがなりがちな故に、多くの一般の良識ある方々が、ソフトパワー論への誤解、若しくは単純なイノベーション論回帰へと、意識が傾いてしまってはいないでしょうか。アニメ・マンガに振り回されすぎて、文化力の正当な評価ができなくなってはいないでしょうか。

 「文化のたたずまいの再創造」といった形での「ビジョンからの再出発」という感覚がしっくり来ない。経済は経済。政治は政治。文化は文化。そうなりがちですが、でも本当は、国にとって、政治も経済も文化も、完全に独立な関係ではいれないはずなんです。

 繰り返しになりますが、アニメ・マンガ自体が悪いのではありません。日本人が、どこかで、「羽織・袴と誤解されている」、といった感覚と同じような意識を持ってしまっている部分が、ソフトパワー論を妙に曲げてしまっているのではないでしょうか。

 

3.日本人の世界観とコンテンツ

 

(1) 辺境から世界を均衡させる叡智

 これまでのエントリでも繰り返し触れていますが(例えば、「情報の質とコンテンツ〜経験価値経済の時代へ〜」)、僕は、これからは、文化的な発信力がないと、技術や品質のレベルの高さだけでは、世界に対する日本の魅力の発信にも、競争力の強化にも、磨きはかけられないと思っています。

 特にワールドワイドに商品を展開する分野では、その傾向は顕著になるのではないでしょうか。例えば、テレビにしても、自動車にしても、ちょっと待てばすぐに、BRICs諸国が似たレベルの商品を自分たちの手で作ってしまう。技術流出やライセンス管理といった問題はありますが、本質的には、自国に大きな市場を持っている国の勢いと活力のなせる技。力業だけで押さえつけるのは、そう簡単ではないと思います。

 技術と品質が良いというだけでは、もはや世界の市場で活躍はできない。まさに、日本も、国として青春時代の若い頃は、体力と気力勝負で世界にどんどん売って出れたんだと思いますが、これからは、もう少し精神的に成熟した渋みのようなもので、対抗していく必要がある。ある意味、自動車評論家的("Navi"的?)に言えば、欧州車の文化力に日本車がなかなか追いつけないのが、良い例のような気がします。

 では、原さんの仰る「たたずまいの再創造」が、どういった形で進めば、アニメ・マンガといったサブカルチャーや、ニュー歌舞伎などの現代実演、ハイブリッドの高級日本車や、村上隆をはじめとする現代アートなどを結びつけつつ、「日本」という国の文化力を紐付け、形にしていくのでしょうか。

 自分の言葉ではどうしても力不足なので、ここでまた、原さんのお言葉を借りようと思います。

 

 日本の近代史は文化的に見ると傷だらけである。しかし自国の文化を何度も分裂させるような痛みや葛藤を経た日本だからこそ到達できる認識もある。日本人は常に自身を世界の辺境に置き、永久に洗練されない田舎者としての自己を心のどこかに自覚しているようなところがある。

 

 確かに、日本人は、今でも、「羽織・袴」の誤解が、どこかで気になっている。「コスプレ」に対する距離感も、それに替わる新たな「田舎者」意識の裏返しなのかもしれませんね。引用を続けます。

 

 しかし、それは必ずしも卑下すべき悪癖ではない。自己を世界の中心と考えず、謙虚なポジションに据えようとする意識はそのままで良いのではないか。アメリカのように世界の中心に自分を据えるのではなく、むしろ辺境に置くことで可能になるつつしみを伴った世界観。グローバルとはむしろそういう視点から捉えるべきではないだろうか。世界を相対化する中で、自分たちの美点と欠点を冷静に自覚し、その上で、グローバルを考えていく。そういう態度がおそらくは今後の世界には必要となるはずだ。

 

 なんか、ちょっと安心しますね。それはさておき、続けて、原さんは、高野孟の「世界地図の読み方」から、面白い言説をひいてこられます。

 

 地図を90度回転させ、ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、一番下の「受け皿」の位置に日本が来るという 。・・・(中略)・・・台湾、琉球につながる海のシルクロードは当然、オセアニアやポリネシアからの海洋系・漂着系ルートもあっただろう。また、北のシベリアやツングース文化圏を経てサハリンを経由しても、タマは受け皿に転がり落ちたに違いない。モンゴル高原を突っ切って真っ直ぐにすとんと落ちてくるタマもあったはずだ。日本から下は何もない。太平洋という奈落を背にして到来する文物の全てを受け止めるポジション。そこに日本は存在し続けた。辺境といえば辺境であるが、これほど世界に対してクールな構えを持てる場所は少ないのではないか。

 

 「辺境といえば辺境であるが、これほど世界に対してクールな構えを持てる場所は少ない」、明治以来の近代化のストーリーを思い出すにつけ、何となく、そのとおりな気がします。

 

 日本文化のシンプル志向や、空っぽの空間にぽつりとものを配する緊張感はアジアの中でも特殊である。他のアジア地域は装飾一つをとっても高密度で稠密なディテイルを持つ。しかしながら、日本は一転して簡素で空っぽをよしとするような発想がある。「数奇(すき)」とか「寂(さび)」そして「間」などというセンスの土壌は何なのか。

 ・・・(中略)・・・

 別の言い方をすると腑に落ちたとうことか。様々なルートから多様きわまる文化を受け止める日本は相当に煩雑な文化のたまり場だったのだろう。それら全てを受け入れ、混沌を引き受け続けることによって、逆に一気にそれらを融合させる極限のハイブリッドに到達した。・・・(中略)・・・日本の美意識は、辺境から世界を均衡させる叡智として育まれたものである。

 

 アニメやマンガ自体に、こうした美意識を感じるかどうかは微妙なところです。が、日本文化全般を通じて言えば、こうしたクールさみたいなものが、日本人の意識のどこかにあるのは、事実ではないでしょうか。

 

(2) 文化力立国

 今回のエントリ全体のサブタイトルに、「アンチ・イノベーション?」とつけたのは、正直やりすぎかもしれません。しかし、国家戦略として生き残りを考えていく上では、やはり、技術力だけではなく、金融力と、そして今回触れてきた文化力の二つを加えた、3つの力が不可欠だと思います。

 今の日本は、金融において劣等生意識を持ち、文化力において辺境意識を持っている。技術力を支えに、「頑張れば何とかなる」、そういう体力勝負の世界で、再度、世界経済に挑もうとしているのではないでしょうか。 

 文化力というのは、ある意味、その国の持つ世界観のようなものだと思います。その世界観に対して世界から一定の尊敬を得られれば、その国は、必ず、ある存在感を持つ。BRICsをはじめとするこれから更に大きく成長する国々からも、ある種の羨望のまなざしを持って受け入れられると思います。原さんのお言葉を借りれば、「辺境から世界を均衡させる叡智」として、辺境意識をもっとポジティブに考え、それこそ、クールに発信を続けていけば良いということなのかもしれません。

 米国のように、世界中のチエと優秀な人材を吸い込み続け、世界の真ん中に君臨しようとする国家モデルであれば、永遠の若者論も可能でしょう。しかし、日本は、もはや、そういう国ではない。無理をしてそういう国としてあり続けようとすればするほど、秋葉原の通り魔事件のような世代間の歪みが、ますます大きくなっていってしまうのではないでしょうか。

 今こそ、日本は、「辺境」であることに自信を持ち、自分の世界観をしっかりと世界にアピールしていくべき時期だと思います。「おくりびと」のようなきわめて日本的な映画が世界から評価され、加藤君という若手アニメーターの偉才の作品が世界からしっかりと発見され、評価されるのも、既に、世界がそういう風に、日本に期待しているからだと言ってもいいのではないでしょうか。アニメ・マンガが高く評価されているのも、そういうものとして、もっと正面からしっかり受け止めればいいと思います。

 総理には、一般向けの言説を敢えて意識をして、エビちゃんやアユを殊更強調して貰ったような感じもあります。それはそれで、僕はわかりやすくて良いと思う。もし、更に他に良い例示があれば、優秀なプロのクリエーターの方々をはじめ、思いのある方々に、是非、更に強く発信して欲しい。良い意味での「辺境」性を、世界の主流にこびることなく自信を持って発して欲しいと思います。

 今こそ、日本のコンテンツ産業は、日本の美意識を代表して、更に積極的に世界にメッセージを送り出すべき時期に来ている。そして、そのことが持つ意味を、もっと他の産業が、もっと言えば政府自身が、更に深く理解すべき時期に来ているのではないでしょうか。今後は、そうした思いを、もっと仕事にもぶつけていけたらいいなと考えています。

        *        *        *

 今回のエントリでは、本当は、コンテンツとは、作り手の「世界観」である、という話をしようと思ったのですが、そこにたどり着く前に、例によって長文となり、力つきてしまいました。

 が、今回で、ソフトパワー論という前ふりは終わりましたので、上手くいったら、次回は、コンテンツという言葉の曖昧さと、ソフトパワーとの関係について、話を続けたいなと思っています。

 

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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