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「インターネットは空気のようなもの」ではない!? 〜IGF初日に参加して

2007/11/13 17:26
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プロフィール

村上敬亮

長年、官の立場からIT業界に携わり、政策の立案、実行をしてきた経済産業省 資源エネルギー庁の村上敬亮氏が、ITやエネルギー、様々な角度から、日本の発展のための課題や可能性について語ります。
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 今、リオ・デ・ジャネイロにいて、Internet Governance Forumに参加しています。その初日が終わりました。この会議は、いろいろな意味で将来を考えさせられる大事な会議だと思います。関係者以外には、まだあまり知られていないと思いますので、今日は、iPodネタではなく、その初日所感を書きたいと思います。

 IGFは、インターネットガバナンスの問題に関し、政府、産業界、市民社会代表など様々な関係者が集まって政策対話を行う国連主催のフォーラムです。ご存じのとおり、ドメインネームの管理をはじめとするインターネットの資源管理は、ICANNという民間主体の国際的な団体(形式は米国NPO法人)が行っています。本来であれば、そこですべて議論すれば良いという側面もあります。しかし、2005年にチェニスで行われた世界情報通信サミットの際、中国をはじめとした一部の国々から、もっと政府によるインターネットへの直接関与を進めるべきだとの激しい反発がありました。インターネットガバナンスを巡る南北問題のようなものですね。その結果、ICANNとは別に、インターネットガバナンス全般について、政府はもとより、産業界、市民社会などインターネットを使う様々な関係者が集うフォーラムを設定し、議論することとなりました。今回は、昨年のアテネに続いて、その二回目です。

 僕自身は、世界情報通信サミットには出ておらず、IGFも今回が初参加です。JPNICという日本のインターネット管理に携わる組織創設の下仕事をしていたことがあり、ICANNにも参加したことがあるという点で、全くインターネットガバナンスに関係ないわけではありませんが、基本的には、この世界にそんなに詳しくありません。そういう素人の印象論であることを、あらかじめお断り申し上げておきます。

 

 延々と続いた初日の演説を聴いていて、感じたことが二つあります。

 

 一つ目は、今更当たり前の話ではありますが、インターネットは、一事業社や国が主導して整備したインフラとは、性格がだいぶ違うということです。

 「インターネットは空気のような存在になった」という台詞を最近時々聞きますし、今日の演説の中でもそう触れている人がたくさんいらっしゃいました。しかし、別にインターネットは空気な訳ではありません。これまでいろいろな方が苦労して作り上げてきたネットワークを、さらに互いに、つないできたもの。まさに「インター」*「ネット」なんだと思います。各国でいろいろな方が苦労して作ったものを、ある共通の精神に基づいて、お互いが他につなぎ、公開してきたもの。その結果として、「空気のような存在」になったわけで、空気のようにそこにあるべきものということとは、だいぶ感じが違います。例えば、政府といえども、途中からのしのし出てきて、偉そうに管理するというものでは、僕は決してないと思います。

 また、インターネットは、物理的なネットワークのことだけを指しているわけではなく、その上でやりとりされている情報やメッセージまで含めて、全体として一つの有機的なネットワークを構成しているものと理解すべきだと思います。そういう意味では、回線を引き、その仕組みを考えてきた研究者や事業者ばかりでなく、一ユーザとしてメールやホームページを活用している個人みんなが、インターネットの担ぎ手。政治学的にどう理解すればいいのかよくわかりませんが、イメージでいえば、利用する権利も、それを守る義務も、一人一人全員が持っているものだんあだと思います。

 しかし、演説を聴いていると、どうもこの辺のスタンスに関して、異なる流派があるような気がしました。

 ある意味、インターネットはすでにそこにあるのが当たり前、場合によっては、そこにあることで問題を引き起こしていることが問題、というように考える人たち。公共的なものに対する無謬主義に近いような思いこみがあり、それを正すことが必要という感じが残る意見です。

 他方、いろいろな人たちによって積み上げてきたものだという感じが強い人たちも多い。そこでは、ある種のカルチャーと倫理感の共有こそが維持すべき最低線で、個々に生じる問題は、まさにみんなで議論し、コーディネートしながら一つ一つつぶしていくもんだという感覚がある。

 インターネットの社会的影響力がこれだけ高まれば、いろいろな考え方をする人が出てくるのは当然の現象です。また、政治問題として看過できない影響がある場合があるのもわかります。だけど、前者のように考える人たちだって、結局は他人が作り上げてきたリソースを活用せざるを得ないし、その広がりが魅力だからこそ使っているんだと思います(逆に、その利用を止められないから困るという面もあるのかもしれませんが・・・)。ですから、誰か特定の人がインターネットに対してオーナーシップと責任を持つべきだという論理を展開しようとしても、そういう主張は最終的には破綻せざるをえない。

 こう書くと、なんかえらい理想主義的ですが、インターネットガバナンスは、いろいろな人の取組の融合と協調を、いかに高い信頼性の中で実現できるかという、歴史的にも稀に見るトライアルを実践しようとしているのではないかと思います。まあ、実態は、密結合とはほど遠く、粗結合をあっぷあっぷしながら維持しているという感じですが。

 ちなみに、やや紋切り型のお話が多かった中、John Klensinさんがインターネットの歴史を踏まえたお話をされており、個人的には、後者の観点から非常に印象に残りました。ちょっと長くなってしまいますが、文末にコピペしておきます。

 

 二つ目に、この会議の運営自体が、例を見ない面白い取組だと思いました。

 正直に申し上げると、国際会議の運営としてはやや緩い。下手をすれば、すぐに無秩序なやりとりに陥る危険があります。しかし、運営は、国連事務局自体はほんの数人のスタッフでやっており、むしろ、各国・各界の有志代表からなるボードメンバーが、様々な角度から進め方を討議し、自主的に決めています。日本からは、経団連と市民社会団体の代表のお二人が活躍をされています。

 会議の参加費は無料。会場や軽食など膨大なファシリティは、今回の参加国であるブラジル政府が多くを拠出しています。その代わり、参加者は交通費含めてすべて自費で参加し、講演も何もすべてノーギャラが前提です。来るものは拒まずの精神で、参加者は2000人を上回る規模?誰かメインでしゃべるかも当日直前のぎりぎりまで関係者による調整が続いていました。

 金銭的な負担や立場も関係ないわけではないんでしょうが、基本は、このフォーラムを通じた活動への貢献の中身が問われる。昨年の第一回会合で市民社会の方々から激しく糾弾されたこともあり、IT企業の参加はやや弱まったようですが、それでも、初日から、実にいろいろな人たちが参加し、しゃべっていました。

 参加するどの人達も、特定の手続きや立場によって選ばれてきたという性格の人たちではありません。単に、来たいから来た、貢献に自信があるから積極的に参加する、そういう微妙な責任感とプレゼンスが交錯した、任意の集まりです。ただのシンポジウムなら別ですが、ある種のガバナンスについて討議する国連主催の会議としては、ちょっと特殊な性格の会議だと思います。イメージでいえば、ややアテネの直接民主制っぽい。これをいかに衆愚に落とさないかのトライアルみたいなところがあります。

 メインのセッションでの発言は、ほぼリアルタイムに近いタイミングで、ホームページにアップされます。現地に来れなくても、インターネットを使っている人なら、世界中誰でも参加できるという仕組みです。実際には、これを丹念に読むのは会議に参加した人たちが多いとは思いますが、こうした運営も、ある種のインターネットの融合と協調の文化の反映かと思います。

 世の中のすべての課題が、こうしたボトムアップ型の責任感の積み上げだけで解決できるとは思いません。しかし、今後ますます国際的な課題と、その関係者の複雑な入り込みが増そうとしている中、こうしたコンセンサスや相場観の形成プロセスが活躍する余地は、今後ますます増えていくのではないでしょうか。

 まだまだ、実験途上の会議だとは思いますが、2日目以降の展開を楽しみにしている状況です。インターネットのプロの方々には、当たり前すぎて不満の残る感想かもしれません。申し訳ございません。続報は、また。。

 

追記: John Klensinさんのお話

Mr. Chairman, ladies and gentlemen, good morning. I seem to be the odd person in this session's agenda, since I do not have the privilege of speaking for a government or a large and important organization. I do, however, have some experience with the development of the Internet itself, and I hope I can share some perspective from the standpoint of the technical development of the Internet and how we got to where we are today within with a network which is serving billions of users and looking forward to serving billions more. Contrary to what one might infer from some of the conversations and discussions and publications one has seen in recent years, the Internet was not developed and invented in 1962 -- in 1992. Some of us have been involved in work on what has become the Internet in its concepts since the late '60s, for nearly four decades. And many of us have understood since then that this would ultimately become a global network if it was successful at all. It isn't perfect. In general, we preferred to get something working and implemented and deployed rather than getting it perfect, spending endless years of exploration and discussions about how every possible need could be accommodated. Had we chosen the course of discussion and accommodation of all needs, there probably would not be a working Internet today. The possibility of substituting discussion for deployment and access remains a risk today. One of the things I think we all need to understand and remember as these discussions in IGF and elsewhere go forward is, whatever you like about the present nature of the Internet and its reach, it is important to remember that the design, independent of funding and other initiatives, is not a consequence of any action by governments or intergovernmental associations. Among the many myths about the Internet is one that assumes the technological design and development community, especially the applications-level development community, has historically not cared about the rest of you or the rest of the world's populations. Or has simply been naive about the social and political implications of a network like this. We've been concerned about making the Internet available to more people in more countries for a rather long time. There were serious discussions about multiscript naming and connectivity and content by 1972, including the first of many proposals as to how to do that. The notion that we didn't start thinking about these issues until people started talking about making the Internet multilingual the last few years just has no basis. Our Japanese colleagues had Kanji content on the Internet by 1987 and were actively using it in e-mail. Standards were in place for interoperable multilingual content by 1992, and were deployed rapidly after that, including being carried over into the Web. The original host naming rules that ultimately became the domain name rules were built on a foundation that considered national use characters and national character sets. The decision to exclude those characters wasn't based on an ignorant preference for English or Roman-based characters, but on the fact that the technology at that stage just had not matured enough for more international use and the observation that the use of multiple characters and multiple options has a tendency to make things less interoperable if these become choices. It is programs useful to note that the ITU and ISO made very similar decisions about identifiers for the network protocols associated with X25, and with key ISO identifiers for approximately the same reasons. Especially in less-developed countries, far more of the early connections that were sustainable and that had developed into today's Internet environment were the result of largely private sector, bottom-up efforts rather than major top-down initiatives. Mutual assistance networks for identifying e-mail connectivity paths came into existence in the early 1980s. Private efforts to get developing countries connected at least by e-mail and then with full Internet connections came about five years later, in the mid-1980s. Many of the Internet governance problems which we see today and see discussed are neither new nor Internet-specific, but are generalizations of more traditional problems, sometimes in rather thin disguises. For the subset of those issues that are appearing as generalizations, most of the reasons for casting them as new topics seem to involve more to do with topics and objectives other than getting the Internet spread and deployed and usable. Throughout history, at least modern history, we've noticed that criminals and pornographers have often been more efficient about adopting and adapting to new technologies, especially communications technologies, to their needs than most of us have been capable of adopting those technologies. We need to accept that and move forward with better technology, but, more important, better rules and better social structures and better societal constraints, rather than attacking the technology itself and risking damaging what in many respects a conference like this is here to celebrate. Unacceptable behaviors, including stalking, extortion, fraud, deliberate deception, are not really different, whether done face to face or over an electronic communications technology such as the Internet. The Internet may call for better intergovernmental arrangements and agreements about prosecuting these crimes across borders and better technology for identifying the perpetrators. But we have precedence for those kinds of agreements which do not require new structures. Each proposed action that treats an unacceptable behavior differently depending on whether it's performed over the Internet or in some other context should be examined very carefully, and I believe with some suspicion. Finally, almost every decision which has been made about the Internet, from the beginnings to the recent times, both technological and policy, has had advantages and disadvantages. In the last decade or so, and as a community, I believe we have been very poor at looking at both those advantages and disadvantages and understanding that we're making tradeoffs. At least in retrospect, creation of a market in domain name -- domain names has caused not only cybersquatting, but also phishing. Without the market, those problems would probably not exist in their present form. Creation of an e-mail regime that permits anyone to communicate with anyone else without having to be registered with and going through government-authorized providers, on models similar to the old PTTs, has turned e-mail and now instant messaging into important worldwide communications tools. But it also helps facilitate the work of the spammer and virus-spreaders. Even the decision to build useful and productive meetings like this and hold them involves implicit decisions to not invest the resources in, for example, clean water or alleviating hunger. In each case, I'd like to believe that we, as a community, have made the right decisions. But we need to remember, I believe, that there are alternatives and, conversely, selecting those alternatives would have changed some of the things that we appreciate today. Thank you again, and best wishes for a successful meeting.

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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