通勤がなくなったので、代わりに今日から「通学」時間にbloggingメモを書くことにした。すくなくとも、そのベースアイデア分だけでも
今日は、New York State Driver Licenseの更新手続きに必要なEye Testを受けてから、大学に行って、指導教授でネットワークの外部性などを研究されておられる三友先生と博士論文のアウトラインについてディスカッション+世間話をしてきた
やはり、自由な身とはいえ何らかの形で生産性を維持するためには規則性を維持しないと厳しい。そのために、大学やらスポーツクラブやらに行く予定を定期的に組むことにした。午前中は、梅田さんよろしくblogの情報などを漁り、生活関連の雑事をこなす
ちなみに、平日の日中に掃除機をかけていると、10月にもかかわらず夏の蝉の声が聞こえ、かすかに窓の外から金木犀のいい香りがする。なんだか村上春樹の世界だななんて思いつつも、僕の世界には双子の女の子も、羊男も登場しない。だから変化は自分で作らないと行けないワケだと、実感
さて、本題
昨日、末松先生への4つの質問を掲げたが、「京様式経営ーモジュール化戦略:「ネットワーク外部性」活用の革新モデル」を改めて読んで納得。そうか、末松先生は異なるコンテクストで「ネットワーク外部性」を定義しているのか
昨年、同書を読んだときには「まえがき」と「<付録>ネットワーク外部性に関する体系的考察」を飛ばしていたんですな。モジュール化という部分に先に目が行っていたんということで
しかし、あえて拡大解釈をすると宣言されている「ネットワーク外部性」の定義自体が「メカトーフ則」であるところが心配
すなわち、末松先生のネットワーク外部性をめぐる用語は3つあることが分かる
- 本家。経済学でいうところのネットワーク外部性。2つの均衡点を持つ
- 拡張概念。メカトーフ則という「ネットワーク外部性」(=n*(n-1)に比例)
- 末松先生による更なる拡張。外部資産をネットワークした環境のこと
そもそも、メカトーフ則は昨日書いたように、ネットワークのノード数が増えることはイイ。すなわち、ハイアラーキーを持った構造よりも(分散して、その関係性に論理的には優劣のない)自由度が高いということがイイということでしかない
しかし、本家のRohlfやKatz、Shapiroらによって十分に論理的な考察がなされているネットワーク外部性の議論では、「ネットワーク外部性のジレンマ」が発生する可能性がある(コレについては、昨日のエントリーへの御手洗さんのコメントに対して返した僕のコメントを参照。京大の依田先生のサイトなどが便利。でも、読み物としては、慶応の林紘一郎先生の本がとっつきやすい)
すなわち、1と2の間には、同じネットワーク外部性という用語を使っていても、連続性のない語用がなされている可能性があるわけだ。それも、結構大きなギャップがありそうだ。メカトーフ則がどういう背景で現れてきたのか、正直言ってあまり知らない。エンジニアバックグラウンドの方が、よく2の議論をされているようなので、そのあたりを整理する必要があるかもしれない
# このあたりを整理したShapiro& Varianによる『ネットワーク経済の法則(原題の「Information Rules」は、どちらにもとれるウィットに富んだいいタイトルですよね)』は、eAccessの千本さんの訳だが、いやヒドイ…重要文献にもかかわらず、アレでは全くもって読めん。実は世の中、結構そういう本が多いんですよねぇ
実際にレッシングなどが語るオープンの議論では、本家ネットワーク外部性のジレンマから生じる「コモンズ」が対象になる。ということは、やはり本家と議論を関連付けて考えて見ないとまずいはずだが、ううむ、もしかして2の議論だけでつながっているのだとしたら、その根拠の考察というのもと面白いかもしれない…
ぜひとも、議論してみたいですね、末松先生