ちょっとしょぼい文章を二回にわたって晒してしまったが、とりあえず今日で4回目。三日坊主は卒業したかな
今日は、国力、そしてそれを活かしたビジネスはないかなというアイデアについてメモをしよう
さて、昨今、GNCという言葉を聞く。Foregin Policy誌に昨年掲載されたテクストに初出した言葉で、Gross National Coolのアクロニウムというわけだ。その著者いわく、「日本はもっともクール」な国であり、すでにソフトパワーとして輸出大国となっていると、いうことだ
その通りなのだろう
# しかし、なんとバブルをあおるような浅薄な記事の目に付くことよ!
昨今、過剰なほどの注目を浴びているアニメやコミックス業界だけではなく、ファッション、インダストリアルデザイン、フードなど幅広く戦後いっぱいをかけて熟成し、バブル期にほぼ完成された多様なライフスタイル文化全般が、第2次世界大戦後の米国の強力さに匹敵する力を持っていることは、アジア諸国や米国西海岸などにいくと明らかだ
一種過剰な形式美を追求するがゆえに洗練さが増す表現様式。いつの間にやら登場人物の心象風景の不条理な論理に引き込まれるものの、不自然さを感じさせないストーリーテリングなどなど、必ずしもアジア系ばかりにウケる要素ばかりではない。僕にはあまり理解できないけれど、欧米諸国の「タケシ」好きなどは、その典型だろう
しかし、ここで商品価値の源泉とは何かと見るとき、特定のアニメ作品であったり、ファッションの様式ではなく、むしろそれらを生み出しているクリエーターの才能や彼らを表舞台に立たせる判断をしたプロデューサーのセンス、そしてそれらのメッセージを敏感に受け取り、取捨選択を行う消費者自身の感性そのものではないかとも思う
あまり指摘されないものの、監督やプロデューサーのセンスに一般視聴者までが注目し、番組や作品を表化する傾向が強いのは日本特有ではないか。むしろ、欧米では、作品や出演俳優・女優などによる「つぶつぶ」の選択が一般的だ。だから、作品を点とするとシリーズは線として表されようが、ストーリーや登場人物などでデリバティブを作ることがあるが、そこまではっきりしていなくとも、日本では監督などのクリエーターに連続性を見る傾向が強い(少なくとも、加わることが多い)
その点について、日本の文化消費のセンスは、欧米の消費者が持っている質実剛健な評価軸に加えて、形式的に欧米の専門家が持つ付加的な評価軸をもってしているということになり、日本の消費フィルターをクリアしたものを信頼して、消費することのリスクは提言する可能性が高いことになる
作品そのものを輸出するという発想は間違っていないし、より活発にするべきだと思う。しかし、個別銘柄を点というアウトプットとして出していくよりも、もうすこし「面」という形で輸出する方法はないだろうか
もしかしたら、一時のフジテレビや小室哲也さんのRojamなどはいい線を行っていたのではないだろうか
追稿を近く加えたい