ずいぶん前のTwitter Night 3で、内田洋行の会長室にお邪魔したときに、会長のデスクに黒電話が設置してあってびっくりした。受話器を上げるとツーーとなり、ゼロ発信で外線にもつながる。その脇にiPhoneをおいて記念撮影。
僕はぎりぎり「玄関に黒電話が置いてあった」うちに物心が付いた。
そして小学生低学年の時にコードレス電話になり、中学生の時にFAXが来て、高校生になったらピッチ、ケータイに移った。幼稚園から小学生になりたてのあたりまでで、黒電話とはおさらばしていて、わが家2代目のコードレス電話は小学生ながら自分で選んだ記憶がある。
先日結婚式のために自分の小さな頃の写真を探していたら、黒電話を一生懸命いじっている写真が多数出てきた。まあ昔から電話とか機会が好きだったようで、「三つ子の魂百まで」を地で行っているような自分である。だから小さな子供にも、何か将来的に可能性がありそうなメディアに早く触れさせておくのも悪くないんじゃないか、と思ったり。
電話をかけることに関しては黒電話もiPhoneもあまり大差ない。重たい黒電話の受話器も今となってはなかなか体験することが出来ない心地よい重さである。また、12年ぶりぐらいに「ダイアルを回した」。
じー・がらがらがらというゆっくりとダイアルが戻る音と時間には、パルスを送るという意味があることを、パソコンでアナログモデムを使うときに「パルス」と「トーン」を選ぶ瞬間に気付いた。古いものに触ると、新しいものの仕組みが分かったりすることもあって、なかなかこれも良い経験だ。
黒電話の1つ1つの動きに感動しすぎではあるけれど、iPhoneではだんだん電話をかけるときもダイアルをプッシュしなくなってきたし、Bluetoothやマイク付きヘッドフォンでのハンズフリーで通話を便利に使っていて、耳に受話器を当てる、と言う動作もあまりしなくなってきた。
だんだん、電話という行為が変わってきていることを感じる一方で、音声通話というものが依然としてあまり黒電話での体験とは変わらない点もまた、面白いポイントだ。いや、むしろ、せっかく人間が目の前にいない人とお喋りをするという行為に100年かかって慣れたところなんじゃないか。
最後に『古いメディアが新しかった時―19世紀末社会と電気テクノロジー』(キャロリン・マーヴィン著、新曜社より和訳本があります)という本を紹介する。まさに古いメディアが登場した手の時の使われ方から、現代の技術やメディアを逆に再発見できそうな本だ。
今当たり前のように使っている技術が登場したての時、あるいは今登場したての新しい技術が当たり前になった時に思いを馳せると、良い具合に夜が更けていきます。