映画学校は映画製作者、フィルムのアーティストを育てることを商売にしている。仕事はアーティストとしての技能と倫理の双方を教えることだ。映画を制作する技能であり、アートを創る倫理である。
では、著作権についてはどのようなレッスンをしているのだろう。残念なことに、少なくとも一部の学校では、もっとも重要なレッスンは、どうすれば効率的に著作物の寄生地主になれるかというものだ。
すくなくとも、University of Hawai'iのAcademy of Creative Media (ACM)はそのようなレッスンを与えているようだ。映画学科の学生は全員、各自が制作した作品をすべて(ACMのための)「職務著作物」(work for hire)とするか、権利を完全にACMに明け渡してしまう著作権契約にサインせねばならない。(2年が経過すれば作品の非独占ライセンスを受けることができるが、著作権そのものはACMに帰属したままだ)。ACMはそうした権利のブラックホールになる。飲み込んだ権利で何をするつもりなのかははっきりしない。
はっきりしているのは、ここでACMが与えている教訓だ:学生たち、すなわちクリエーターは、みずから制作した作品について創作者の権利にも、コピーライトにも値しない。そうした権利は「地主」が所有すべきである。地主に従順でいるかぎりは非独占使用権を許してもらえることもあるだろうが、自分が生みだした作品をコントロールする権利が自分にあるなどとは考えることもまかりならぬ。ACMにおける著作権とは「著作者」に与えられる権利ではなく、大学が著作者から取りあげる権利のことだ。
この慣行に違法な点はあるだろうか? 否。非道徳的な部分は? おそらくないだろう。だが映画を志す学生の一部でも、学ぶ場所を決める際には、その学校の持つ価値観について多少なりとも考えることを思わずにはいられない。わたしの意見をいわせていただければ、これはわれわれがクリエーターたちに教えなければならない価値観の正反対だ。