「ユーザー生成コンテンツ」サイトのあいだで、ある重要な区別が生まれつつある。「本物の共有」を許すサイトか、あるいはわたしが「偽の共有」と呼ぶものしか提供しないサイトかどうかだ。
「本物の共有」サイトは、提供するコンテンツを完全に支配しようとはしない。別のいいかたをすれば、ユーザが選ぶならコンテンツの移動を許可する。
「偽の共有」サイトは、反対に、見かけ上は一見共有しているような各種のツールを提供するものの、実際にはトラフィックも管理もひとつのサイトへと誘導する。
この意味では、YouTubeは偽の共有サイトであり、Flickr、Google(の一部)、blip.tv、Revver、EyeSpotは真の共有サイトといえる。
偽の共有サイト
YouTubeは動画を別のサイトに「埋め込み」したり、リンクを送るための良くできたコードを提供する。だが、だれかがアップロードした動画を本当に手に入れるための簡単な方法は決して用意されない。もちろん、YouTubeからコンテンツを取り出すためのハックは多くの人が作っているが(マックでは、わたしはTubeSockを使っている)、本物の共有に欠かせないこの機能はYouTubeのシステムには組み込まれていない。
本物の共有サイト
- Flickrは画像を簡単にダウンロードできるようにしている(たとえばこのように)。
- blip.tvは各種フォーマットのダウンロードリンクをはっきりと提供している。
- EyeSpot(ビデオや音楽をリミックスするウェブベースツールを提供する非常に良くできた新サイト)は、ソースと生成ファイルのダウンロードを許している(たとえばこちら)。
- Revver(ビデオに広告を埋め込んで、再生されるたびに作者に報酬が入るようにする)では、ビジネスモデルそのものがコンテンツを自由に流すことに拠っている。
- そしてGoogleでさえ、自社が集めたり作ったりしたコンテンツへのアクセスをますます許すようになってきている。Book Searchプロジェクトでは、パブリックドメイン書籍の(おかしなフォーマットの)PDFファイルを自由にダウンロードできるようにしている(このリンクが以前は使えたのだが、ドイツにいるわたしにはアクセスを許してくれない。米国以外でもパブリックドメインにあたるかどうか調査するのは極めて難しいからだ)。またGoogle VideoもPCにダウンロードできると聞いている(実際にどうするのかは見ていないが)。
このビジネスモデル上の違いは、Web 2.0の価値観を推す者にとって焦点のひとつであるべきだ。正典といえるTim O'Reillyの宣言ではっきりと示されているわけではないが、コンテンツにアクセスする自由は、「多くの人に使われることでひとりでに良くなってゆくサービス」というWeb 2.0の原則のひとつに関わっているとわたしは考えている。あるいは、少なくとも作者がそう望んだ場合にアクセスを許すことは、その価値観が意味をなすために必須ではないだろうか(これもまたWeb 2.0の原則のひとつ:some rights reserved)。オライリーの「ハックとリミックスを可能にするのデザイン」という言葉は、コンテンツを独り占めする行為とは正反対を指している。
YouTubeがトレンドなら、これは憂慮すべき展開だ。深く考えるべきことを山ほど与えてくれるすばらしいサイトであることはいうまでもない(十数億ドルで何をするかもそのひとつだ)。だがYouTubeが見失ってはならないのは、その成功の重要な部分のひとつ、すなわちウェブの価値観というものを尊重していると思われていた点だ。Google VideoではなくYouTubeに投稿したのはなぜか? 少なくとも一部の人々は、YouTubeのほうが「クール」だからそうした。今後もクールでいられるか否かは、行動で示すその価値観にかかっている。
追記:Joiが周到なフォローアップを書いている。