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文化のふたつの経済

2006/10/10 05:58
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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Benklerやvon Hippel、Weber、ほか多数の仕事から得られるもっとも重要な結論のひとつは、われわれが生きる経済はただひとつではなく、少なくとも二つの異なる種類の経済が存在することがインターネットによって改めて示されたというものだ(von HippelとWeberへのわたしの書評はこちら)。一方の経済は伝統的な「営利の経済」(commercial economy)、金と引き替えに何かする(働く、書く、歌う)というギブ&テイクによって規定される経済であり、もうひとつの経済とは、多くの名で呼ばれるが、(a) アマチュア経済、(b) 共有経済、(c) 社会生産経済、(d) 非営利経済、あるいは(e) p2p経済のことだ。第二の経済(なんと呼ばれようと、ここではただ「第二の経済」と呼ぶことにする)とはWikipediaの経済であり、大部分のフリー / オープンソースソフトウェア開発、アマチュア天文学者の経済だ。この第二の経済が備える相互作用のすべてを第一の経済の枠組みで翻訳しようとすれば、それを殺してしまうだろう。

第二の経済のきわめて大きな価値が示されたいま、どうやってそれを振興するのか――それを生み、保ち、栄えさせるにはどのような策をとるべきなのか大いに考える必要があることに異を唱える者はいないだろう。正確な答えを知っているものがいるとは思わない。第二の経済のコミュニティ(例えばWikipedia)に属している人々は役に立つ直感を持っているはずだ。

だがもうひとつの、おなじく非常に難しい問題とは、これら二つの経済をどうやって結びつけるのか、結びつけることができるのかという問いだ。営利の経済と第二の経済を結ぶ道はあるのだろうか? 二つの経済をうまく結びつけるハイブリッド経済を実現するすべはあるのだろうか。

ハイブリッド経済の課題とは、モジラ、レッドハット、Second Life、MySpaceが絶えず取り組んできた課題だ。第二の経済の創造性を奨励しつつ、営利の経済の価値も増大させるにはどうすればよいのか。わたしの考えでは、これはどのように第二の経済を発生させるのかとはまた別の課題だ(もちろん両者は関係しあっている)。この問いもまた、完全に理解しているものはまだ誰もいないのではないかと思う。

クリエイティブ・コモンズの発展を見守るうち、わたしは第二の経済を維持しつつ、第一の経済へのリンクを築こうとする実験のいくつかに勇気づけられてきた。知財法を韻文の形にしたYahuda Berlingerについてはすでに書いたが、その際わたしはCCライセンスを採用してはと提案した。Berlingerは実際にそうしたが、興味深いやり方をとった。かれのサイトにはこうある:

この作品はクリエイティブ・コモンズのアトリビューション - ノンコマーシャル (帰属表示・非営利) 2.5ライセンスで公開される。クレジット表示は可能なかぎりこのblog記事へのリンクを、不可能な場合はテキストリンクを含むこと。営利利用のライセンスは作者まで。

このアイデア、すなわち商用ライセンスを提供する別のサイトへのリンクを明示的に含む非営利ライセンスはクリエイティブ・コモンズでも実験している。二つの異なる世界の区別を保つひとつの方法であり、もっとよいアイデアがあればぜひ教えて欲しいと思っている。

しかし、理解すべき重要な点は、この区別を保とうという努力は、すべての「フリー」ライセンスは営利か否かを問わずあらゆる利用を許すべきであるという「フリーソフトウェア」や「フリーコンテント」運動の取り組みとは根本的に異なるということだ。わたしの見方では、そうした運動は二つの経済の違いという重要な現実をただ無視している。あらゆる作品は著作権によって規制されなければならない(例えば、YouTubeでの明らかにフェアユースにあたる利用であっても権利者に支払いをすべき)と信じる営利の権利保有者たちとは正反対の誤りだ。「フリーコンテント」派は、あらゆる人があらゆる作品を、著作権フリーとして(法的にはともかく、実質的に)扱うようになるべきだと主張する。第二の経済の考え方はまた別のものだ――ある使い方はフリーであるべきだが、また別の利用は許諾制であるべきというように。

わたしは後者の間違いをする人々に多大な敬意を抱いており、またその動機がより純粋なものであるに違いないと信じるがゆえに、その社会生活への極端な単純化をもう一度考え直すべきではないかと呼びかけたい。わたしは第二の経済の力学が好きだ。Benklerはそこに理論を与えた。われわれはそれを支えるために努力すべきであって、存在しないかのように振る舞うべきではないはずだ。

すぐに考えられる返答は(そしてわたしにとって本当の謎は)FLOSSだ。この文章のはじめに、フリー / オープンソースソフトウェアは実質的に第二の経済によって動いていると述べた。だが、わたしが懐疑的な「フリーコンテント」運動は、FLOSSの規範をただそのままコンテントの世界に持ち込もうとしている。両者にはどんな違いがあるのだろうか?

わたしの考えでは、両者の差は扱われるものの性質の違いにある。文化的生産のあるものは、FLOSSとまったく同じような共同作業が可能だ。たとえばWikipediaのように。だが、一部をすべてに拡張するにはそれだけの根拠が必要だ。もちろん、一部がすべてではないというわたしの主張にも根拠がいる。わたしはまだそれを手にしていない。だが、これはきわめて重要な問題であり、議論がおこなわれるべきだと考えている。

ああ、そういえば、Yehudaは商標法も詩に追加している。

[オリジナルポスト 9月28日午前5時05分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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