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ラリー・レッシグから学んだこと

2006/05/15 05:57
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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(Timothy Wu教授によるゲストBlog)

去る3月30日、プリンストンでEd Feltenが主催するInfotechレクチャーシリーズにてWho Controls the Internetについて話した。参加者たちはきわめて明晰だった。議論はすばらしく、そのうえわたしがCプログラミングを学んだ本の著者Brian Kernighanに会うことまでできた。最近の計算機科学科に見られる政治理論・政策熱は正直にいってどこか不気味なほどだ。誰もかれもが政策おたくになってしまった――ただのギークはどこにいった? まあ、工学部というものはそのためにあるのかもしれない。

ともあれ、レクチャーで面白い質問が挙がった。われわれの本と、ラリーのCode and Other Laws of Cyberspace(『邦訳』)はどこが違うのか?

鋭い質問だ。外から見れば、2冊はかなり違って見える。われわれの本は国際関係と国家をめぐるもので、ラリーの本はある種の法としてのコードに関するものだ。だが表紙の下では似通った魂が息づいている――著者のわれわれがどれほど多くをラリー・レッシグから、かれの著作や業績から学んだかを映すものだ。当然のことではないか。

ラリーがCodeで残した不滅の貢献は、相争う複数の規制のモードという概念だ。社会は常に、異なる源からくる異なる種類のルールによって支配されているという考えかたである。単に連邦法と州法という意味ではない。もっと深い、まったく違った種類の規制、ラリーの言葉でいえば法律、社会規範、市場の力、そしてアーキテクチャまたはコードによって社会は規制されているというものだ。

こうした考え方そのものは、社会学や経済学のどこかに潜在していたのかもしれない。だがひとたびラリーによる説明に聞けば、二度と忘れることはできなくなる(おなじことは憲法解釈に関するかれの翻訳理論についてもいえる。一度理解すれば忘れようにも忘れられない)。さて、たとえば車を運転しているときのわれわれを規制するのはなんだろう。速度制限の法律はいうまでもない。だが他にも、たとえば高速に入る列に割り込むのは良くないといった規範もある。またこれは妙に聞こえるかもしれないが、通行料金もわれわれの振舞いを規制しているといえる。こちらを通った方が安い・高いという場合だ。しかしもっとも重要なのは、世界そのもののアーキテクチャが法律と同様にわれわれを規制しているという概念だ。徐行帯は速度規制の別の形であり、法律よりも効率的かもしれない。自転車のための速度制限法が必要でないのも同じことだ。自転車ではそもそもそれなりの速度しかでないのだから。

われわれのWho Controls the Internetは、競い合う複数の規制についてやや異なる場面を扱っている。インターネットにみられる無境界な、あるいは越境的な振舞いを規制するものはなにかという問題だ。1990年代には異なる三つの答えがあった:(1)自己規制、あるいは「私的秩序」、(2) 国際法、(3) 国内法の三種である。(3)は当時あまり用いられなかったが、われわれはこの(3)が、少なくとも90年代から現在という期間において、いかに他の二つの手段を追い抜いたか、そこから学べることは何かを扱っている。(もっと驚くべきは、インターネットが引き起こす国内法の範囲を超えた問題に対して、国際法が用いられる例があまりに少ないという事実かもしれない。サイバー犯罪条約は例外として)。

だが読者は、われわれの理論の核心にもまたラリー・レッシグからの借りがあることに気づくだろう。国家が用いる規制手段に関する研究でもおなじテーマが現れる――中間媒体(intermediary)を通じた規制、あるいは法学者が「ゲートキーパー」コントロールと呼ぶ手法だ。考えてみれば、こうした間接的な規制もまたCodeのなかで扱われていたテクニックであると分かる――コードを形成するために法律を使うという方法だ。自動車会社に対して時速100キロ以上で走る車の製造を禁ずる法律を制定するのは間接的規制だが、これもCodeで扱われている。

Codeに促されて、われわれはやや抽象的すぎるかもしれない問題についても議論している。いってみれば「どちらが先か」の問題だ。

簡単にいえば、法律は、あるいは基本的な公共財(たとえば物理的な安全など)についての法による規定は、市場や社会規範やアーキテクチャによるシステムの成功にとって必要な前提なのかという議論だ。ある意味ホッブズ的なこの立場は、Who Controls the Internetにおけるわれわれのアプローチでもある。穴がないとはいわない――たとえば、規範によって社会が始まり、法が作られ、市場が機能するといった例もあげられるだろう。いずれにせよ、ラリーの理論はこの疑問を考える助けになってくれた。

あまりこの調子で続けるのはやめておこう。われわれの本がCodeから学んだことについて挙げてゆけばきりがない。われわれの本も、この分野のほかの多くの著作も、レッシグのあの一冊によって始まったといえば充分だ。

[オリジナルポスト 5月3日午後11時00分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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