[Jimmy "Jimbo" WalesによるゲストBlog]
今後フリーになるものの二番目は、幼稚園から大学レベルまで一通り揃った教育課程だ(それもすべての言語で)。すでに実現に向けた複数のプロジェクトが進んでおり、われわれのウィキブックスも含まれるが、当然ながらこれは百科事典よりもはるかに大きな仕事であり、ずっと長い時間がかかるだろう。
長い目で見れば、プロプライエタリな教科書出版社が自由なライセンスの代替物と競争することは難しくなってくるだろう。ひとつの分野につき数十人の教授陣が参加して執筆・改訂する教科書はプロプライエタリ出版社にとって極めて困難な相手となるはずだ。重要なのは、そうした教科書を書く資格を備えた人々は非常に多く、またそのためのツールも作られているという点だ。
今日のポストにはちょっとした付記をつけ加えたい。昨日 Diana Hsiehに尋ねられた、フリーな知識についての非常にすばらしい哲学的な質問に関してだ。確かにわたしは、これから列挙する10のものごとがフリーになればとても嬉しいと思っている。だがリストを「フリーになるべき」や「フリーでなければならない」ではなく「フリーになる」ものと名付けた理由は、わたしはここで自分の願望を並べているのではなく、明確な予測をしているからだ。
もしわたしがフリーになればよいと願うものがあっても、それをフリーにする方法が見あたらなければリストには加えない。
さて、その明確な予測はといえば:英語および他の主要言語による完全な教育課程は2040年までに完成し、その他の言語への翻訳もすぐに続くだろう。
ウィキペディアの実際の成長から保守的な外挿をおこなうことができた前回とは違い、この予測は純粋な勘に基づいている。