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「アーティストなら当然でしょう?」

2005/08/03 05:42
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lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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[Andy Scudder (FreeCulture.org)によるゲストBlog]

University of EvansvilleでFreeCulture.org支部を設立準備中のAndy Scudderより。

大学の友人が卒業祝いに真新しいNikon D70を手に入れた。言うまでもなく、カメラが与えてくれるクリエイティブな可能性に大興奮しているようだ。すでにFlickrでわたしの写真を見て楽しんでいたから、彼女がすぐに自分のアカウントを取得し新しいカメラで撮った写真を投稿しはじめたのは驚きではなかった。

意表をつかれたのは、数日後に尋ねられたこんな質問だ。

「わたしが許可した人しか写真を印刷できないようにならない?」

なんとか力になろうと、元サイズの画像をアップロードしない(つまり印刷に適さない解像度の写真だけにアクセスさせる)ことはできると告げたのだが、満足してもらえなかった。彼女にしてみれば、これは正当な問いなのだ。オンラインに掲示した写真をどこのだれが見るのか、どう使うのか分からない以上、人々がその写真でできることを制限して自分の著作権を「保護」することこそ最善の利益だと信じているようだ。彼女の言い方では、「作品はみんなに見てもらいたい。でもだれがわたしの作品を手にしているか知りたい。自分の作品をだれが持っているか知るのはアーティストなら当然のことでしょう。」

だがわたしにとっては、これは危険な質問だ。もしアーティストが、作品をすでにダウンロードした他人が自分のコンピュータで印刷することさえ阻止したいと思うなら、仮にそのような技術が存在し一般化したなら、その他に一体どのような種類のコントロールをわれわれのハードウェアやソフトウェアそして生活そのものに受け入れざるを得なくなるだろうか。まるでアドビe-bookリーダと「パーミッション」システムの話のようだ。作家や出版社の気まぐれで変えられるほんの数ビットの情報に基づいて、われわれが持つべき権利とそうでない権利をソフトウェアが一律に決定してしまうことに関して、レッシグはこう書いている

でもインターネット上では、ばかげた規制を押さえるものはない。というのもインターネット上では、規制を施行するのは人間ではなく機械である場合がますます増えているからだ。著作権法の規則(の著作権保持者による解釈)は、ますます著作権材料を頒布するテクノロジーに組み込まれるようになってきている。規制するのは法ではなくコードだ。そしてコードによる規制の困ったところは、コードは恥を知らないということだ。[FREE CULTURE, 山形浩生・守岡桜 訳]

この出来事でわたしが心配したのは友人がFlickrに興味をなくすことではなく、大学を出たばかりのアートを学ぶ学生である彼女が、他人のコンピュータが何を印刷できるかできないかをコントロールすることは著作権の不可欠な要素だと信じていることだった。これは技術と自由にとって危険な考えであり、もし大多数のアーティストがこの友人と同じ考えを抱いているとすれば、DRM(デジタル著作権管理)技術はたんに一般化するだけでなくアーティストが当然のことと期待する規範になるだろう。

どうすればこれを変えることができるのだろう。学生への著作権教育をMPAA(米映画協会)がデザインしたプログラムによって行い、インターネットとデジタル技術が創作行為にもたらした変化を否定し続ける限り、われわれのデジタルな自由はすぐに失われてしまうだろう。そうしないために、学生にはデジタル世界がもたらした利益について、そこで作品を封じ込めることがパトロンを傷つけるだけでなくアーティスト自身が享受する創造の自由そのものさえ奪うことを理解してもらわなければならない。

[オリジナルポスト 7月28日午後10時25分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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