ファイル共有を巡る議論について、何も知らない人の大半に共通する見方がある。レコード産業が人々に持たせたがっている見方であり、考慮に値する人々が主張するどんな意見からもほど遠い。
その見方――“uninformed stereotype”(知識のないステレオタイプ), USと呼ぼう――とはこのようなものだ:この論争には二つの立場しかない。「海賊行為」の味方をする側とそうでない側だ。Groksterを支持する人々は海賊行為の味方であり、アーティストの敵である。
木曜にNYPLで開かれた"Who Own Culture?"では、Jeff TweedyとSteven Johnsonと共に壇上で議論するすばらしい機会に恵まれた。最初の15分は私の“パワーポイント”(本当はKeynote)付きスピーチで始まり、ついでJohnsonの進行によるTweedyと私のディスカッション、そして聴衆からの質問の時間が設けられた。
イベントは素晴らしいものだった。Tweedyとは以前にも話す機会があったため驚きはしなかったが、かれは並はずれた人物だ。愉快で、繊細で、明晰な意見と深い情熱を持っている。かれも私も(このページを見ている人には明白だが)、“US”的な見方に当てはまりもしなければ支持もしていないことは言うまでもないだろう。わたしははっきりと「海賊行為」を批判している。Tweedyは、この文脈では、アーティストの権利を侵害すべきだといった主張を支持する発言は何ひとつしていない。
ニューヨーク・タイムズのDavid Carrもイベントに来ており、レビュー記事を書いている。わたしが聞いた範囲では皆この記事を気に入っているようだ。だがそれは掲載紙がNYTimesで、われわれが正確さよりも注目を喜ぶ文化を持っているからではないかと思う。
記事には私について、また私が示した考え方については何ひとつ不正確なことは書かれていない。しかしTweedyの発言に関しては、わたしの印象では、文脈から切り離されてまるでUSな見方を支持しているかのように読める引用ばかりだ。USな見方と対立する発言については一切触れられていない。これでは読者は、またいつもの窃盗支持・反アーティスト派の発言かと思うだろう。
人々がすでに持っている考えをただ強化するだけなら、しかもこの記事のような形なら、NYTimesである必要がどこにあるのだろう。この国を代表する新聞が、重要な議論について、もっとも粗雑な見方よりも複雑あるいは精緻な内容を伝えられないことがあるだろうか。