(Richard Posner判事によるゲストBlog)
コペンハーゲン合意と地球温暖化の低い扱いについての記事には、敵対的ながらもっともなコメントがあった:お前(Posner)は参加した経済学者たちが専門以外に口出ししていると非難するが、それこそお前がいつもやってることじゃないのか?。まあ、たしかにそうだ。だがわたしの弁明は、ある分野の専門家を批判するには専門家である必要はなく、専門家の著述や発言を理解できるだけの知識があればよいということだ。内的矛盾やその他の論理的欠陥、偏向の源、明らかに知見に基づかない議論、証拠の不注意な使い方、常識的判断力の欠落、そして誤った予測を指摘するにはそれで事足りる。これらこそ判事が使う分析の道具だ。われわれのシステムでは、裁判官は専門家というよりむしろジェネラリストであり、これらの道具を用いてさまざまに専門化された法分野の事件に裁定を下す。
地球温暖化の科学・政治・経済の専門家を誰ひとり含まない経済学者たちを集め、なんら独自の調査をせず、代わりに主催者が選んだ別の経済学者によるポジションペーパーを議論するだけで、温暖化を含む世界の困難を順位付けようとするのは理性的なやり方ではないと気づくのに気候科学者である必要はない。問題はそれだけに留まらない(Copenhagen Consensusのサイトを参照)。主催者Bjorn Lomborg――統計学者の論争屋であって経済学者ではない――は、参加者に17のプロジェクトを一週間で評価することを求めた(プロジェクトのうち三つは気候関連であり、残りは保健、栄養失調、水の衛生ほか共通点のないトピックだ)。その結果はいかなる分析も証拠の裏付けもないまま公表されている。そして(全員一致の)コンセンサスを求めるというアイデアそのものが、9/11委員会に見られた合意先行の姿勢と同じく、知的な真剣さの基本的な欠落を示している。