お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

更にフェアユースについて

2004/08/29 10:04
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
ブログ管理

最近のエントリー

(Richard Posner判事によるゲストBlog)

フェアユース関連の記事に優れたコメントが多く寄せられている。すべてを議論するわけにはいかないが、いくつか論点を挙げておこう。

古い作品の利用について、妥当な労力を費やしても現在の著作権保有者を突き止められなかったならば、その場合の無許可複製をあらたにフェアユースとして認めるというPatry-Posner提案について、1976年以前の著作権システムに対して言われていた批判を指摘する声があった。1976年以前のシステムでは延長(更新)手続きを怠った著作権は消滅していたが、手続きを忘れたり申請に失敗する場合もよく見られたという指摘だ。そうした不幸な出来事があったことに疑いはない。だが一般にいって、更新を忘れたり申請をしくじったりすることは問題の著作権にそれほど残存価値がなかったというよい証拠だろう。人は大切に思っている財産には注意を払うものだ。不注意による手続きの失敗さえ、権利者にとっての価値の低さをよく物語る。

別のコメントでは、実際には権利者でない誰かが、ライセンス料めあてに私設の著作権レジストリに虚偽の登録をすることをどうやって防ぐのかという質問があった。これは実にすばらしい指摘だ。そうした行為は詐欺に当たるだろうし、処罰の対象とされるべきだ――それも厳重に。同じコメントで挙がったもうひとつの指摘は、著作権保有者は自分が権利者であることを知らないかもしれないというものだ。権利者は忘れられた作家の遠縁ということもある。だがその場合はおそらく権利の保有から利益を得てはいないだろう。誰も権利者を見つけられないために利用も複製もできない辺土に作品が放置されるよりは、権利が消滅した方がよい。物的財産の法律ではそうした作品は当然放棄されたものとみなされる。同様の状況では知的財産についてもそうあるべきだ。

とはいえ、これらの指摘が意味するのは、われわれの提案がパブリックドメインに送りだすのは、新たなアーティストやパブリッシャー等があまり複製したがりそうにない作品だということだ。これは正当な批評だが、エルドレッド判決という現実の前では解決する方法は思いつかない。はっきりさせておくが、商業的価値のある著作権を無期限に財産化することの意義を認める議論もあるとは考えるものの、すべてを考えあわせれば、ソニー・ボノ著作権期間延長法は健全な根拠に欠けるとわたしは判断している。

フェアユースの範囲というもっと広い問題については、なぜパロディとサタイア(諷刺)が法的に区別される必要があるのかという質問があった。フェアユースの抗弁はパロディに対しては広く認められているが、一般に諷刺についてはそうではない。この二つの用語にはどのような違いがあり、なぜ法はそれを認識せねばならないのだろうか。パロディとは、対象を批評もしくは嘲笑する作品を指す。サタイアとはオリジナル作品の滑稽な版であり、対象を批評するわけではないが、批評的表現に利用する場合はある(これらは言葉の唯一の定義ではないが、法的な違いを強調したものだ)。パロディはオリジナル作品の市場を破壊するかもしれないが、それは批評によるものであって、オリジナルの代替物となるからではない。そして当然ながら、著作権法は批評を封じるために使われるべきではない。一方サタイアはオリジナルの人気を目当てにするもので、ときに代替物になりうる。映画『Abbott and Costello Meet Frankenstein』がひとつの例だ。これは先行する三本のホラー映画『ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『狼男』の滑稽な改作であり、原作を批評してはいない。そして先の三作と同時に笑いを求める人々にとっての代替品となる。わたしは最近オリジナルの(1931年の)『ドラキュラ』を見る機会があったが、がっかりさせられた――わたしにはサタイアが原作の効果を奪ってしまったように思えた。また別の優れたヴァンパイア・コメディには『Love at First Bite』があるが、これもまた先行するヴァンパイア映画を批評しているわけではなく、単なるユーモラスなバージョンに過ぎない。つまりサタイアとは典型的な派生作品であり、許諾する権利は原作の著作権者にある。パロディもまた派生作品だが、フェアユースの原則の一部である批評の特権によって保護されている。念のため書き添えると、誰も吸血鬼という概念について著作権を得ることはできない(アイデアは著作権で保護できない;できるのは表現だけだ)。だがほとんどのヴァンパイア映画はオリジナルの『ドラキュラ』に特有の表現を取り込んでいる。

フェアユースに対応する特許法の規定とはどんなものかという質問もあった。もっとも明解な例はおそらく実験目的使用の例外だが、他にも存在してる。たとえば後発のジェネリック薬の製造者には、特許が取得されている薬と効果が同等であることを示す目的での例外が認められている(Hatch-Waxman法で設けられた「試験的」利用の例外)。より広くは、発明者は特許にある情報を利用して新たなものを作りだすことができる。さらにLandesとわたしが提唱しているのは、特許のフェアユース原則を拡張し、科学者が特許取得済みの研究ツール(たとえば遺伝子を組み替えられたOncoMouse)を使用許諾なしで利用することを認める規定だ――その道具をつかって自分の特許取得製品をつくることは認めないとした上でだが。

[オリジナルポスト 8月24日午後6時24分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー