(Rick Boucher議員によるゲストBlog)
フェアユースや著作権法一般について図書館人たちと話すとき必ず耳にするのは、われわれは「ペイ・パー・ユース」(pay per use)――コンテントに触れるたびに料金を支払わなくてはならない――社会へと向かう危険を冒しているのではないかという懸念だ。わたしもまた、われわれ皆が共に育った移動図書館やその現代版が、8トラックやオープンリール式テープレコーダと同じ道を辿り、情報へのアクセスが支払い能力によって決められる世界に取って代わられるのではないかと心配している。あるいはなお悪く、支払っても何かを本当に所有することはできず、ただ見たり聞いたりする許しを得ることしかできない世界だ。一部の経済学者やテクノロジストが、それこそあるべき姿だと主張していることは知っている。それが市場経済において何かを割り当てるもっとも効率的なやり方だというだけにすぎないとしても。
われわれの社会における情報アクセスの未来を考えるとき、規範としてのペイ・パー・ユースの出現に懸念を抱くことは間違いだろうか?
わたしは今日から待ちかねた週末休みに入り、電話のない場所で過ごす予定だ。議論にも参加できなくなるが、帰りしだいすべてのコメントに目を通すことを楽しみにしている。
ここ数日間はわたしにとって実に楽しく、学ぶことの多い経験だった。今週ここでホストを務める機会を与えてくれたラリー・レッシグに感謝したい。かれの才知の素晴らしさは、このBlogで議論に貢献している皆さんのそれにほとんど匹敵するというのがわたしの結論だ。あなた方のだれでも、この国の首都を訪れたときにはぜひわたしのオフィスに立ち寄ってもらいたい。