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『The Anarchist in the Library』FAQ

2004/05/10 15:33
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lessig

「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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(Siva Vaidhyanathan教授によるゲストBlog)

The Anarchist in the Library (Basic Books, 2004)

Q:刺激的な題名ですが、この「アナキスト」とは誰で、「図書館」とは何ですか?

Siva Vaidhyanathan:
この「アナキスト」は幻で、現実には存在しない脅威を象徴している。われわれの情報の世界を封鎖しようとする強大な勢力がある。情報の流れをコントロールし、入場料金を徴収するためだ。かれらはその目的のために、社会を内側から脅かすコントロール不能の危険な存在「図書館の無政府主義者」の脅威を喧伝している。「The Library」とは、われわれの情報エコシステムのたとえだ。わたしが論じているのは、われわれは現実の生態系に対してと同様に、情報の生態系についても注意を払うべきということだ。わずかな改変が巨大な結果をもたらしうる。

Q:情報の世界におけるアナーキーとコントロールの争いは現在どんな状況にありますか?

Siva Vaidhyanathan:
われわれの様々な情報システムは、無政府状態と寡頭制という両極端に突き動かされている。アナーキー側の勢力――ハッカーやサイバー・リバタリアン、そして最近ますますこちら側に傾倒しつつある昔ながらのリベラル――は、情報システムをこじ開けようと全力を尽くし、データと文化が地球上を自由に流れることを求めている。情報の独占者たちの極端な行動に脅威を抱いているためだ。情報の独占者たちとは巨大メディア企業、強い権力をもつ政府、そして警察力だ。これらの勢力にとっては、情報を欠乏状態におくことが利益となる。より多くを課金することや、禁制のラベルを貼ることで対話と審査を制限することができるからだ。

われわれがこれを最初に、そしてもっとも明確に目にしているのはエンターテインメントの世界だ。特にハリウッドと音楽産業による、情報インフラストラクチャーへの極端な干渉があげられる。たとえば、文化的所産のフォーマットと流通システムはますます強力にコントロールされるようになっている。

DVDがもっともよい例だ。DVDはたしかに素晴らしい製品だが、強力にコントロールされている。どのDVDにも強力なロックがかかっており、われわれがディスク上のデータでできることには極端な制約がある。これがフランスで買ったDVDをアメリカで、あるいはどんなDVDもLinux上で再生できない理由の1つだ。映画会社は市場をいくつかのリージョンに分割することにしたが、そのためにはディスクそのものにコントロールを組み込まなければならなかった。これは一見些細な代償と思えるかもしれない。だがこうした動きの問題は、ある種の軍拡競争に火を点けてしまうことだ。

この段階のコントロールにも不快感を覚える人は大勢おり、かれらはデータを解き放つためにどんな手段でも用いる。われわれはこうして、過剰な著作権法と強力な技術の組合せによるまずい状況を作り出してしまった。ハッカーがそうしたシステムをこじ開けようとすれば、少数支配者たちはより強固な技術と極端な法律で対抗する。ハッカーはそれをまたクラックしようとする。これはまったく馬鹿げたレベルまで続く。アナーキーと少数支配のどちらも支持しないものは板挟みにあって困惑し、苛立たせられることになる。われわれは両極端のもたらすコストをどちらも支払わせられる。

われわれは情報技術や著作権つき製作物の合法的な利用をかつてないほど困難に、そして文化的所産の利用をかつてないほど容易に違法とする状況を作り出してしまった。

Q:このような展開に歴史上の前例はありますか?

Siva Vaidhyanathan:
ある。現在の状況はかならずしも新しいものではないが、過去2世紀でもっとも強い影響力を持っている。アナーキーと少数支配の激しい相互作用の最近の例は18世紀のフランスに見ることができる。一般に受け入れられているのは、啓蒙思想家たちが当時台頭しつつあったフランスの中産階級に自由と可能性を吹き込み、中産階級は抑圧された下層階級と連帯して王政を覆したという筋書きだ。

だがそれがすべてではない。実際にはゴシップや噂といった、干渉を受けず無責任なコミュニケーションの力が話の中心的役割を果たしていた。ゴシップや噂によって、フランス革命があれほど無惨な展開を辿った理由をより理解することができる。革命前の一般的なフランス市民はみな政府による監視を回避する術に長けており、それはほとんど必須といっていい日常的な習慣だった。かれらはパリで、また別の場所で公共の場に集まりゴシップを交換しあった。宮廷生活に関するあからさまな、おそらく真実でさえないストーリーだ。

この習慣は王権に対する忠誠を蝕み、革命のための豊かな土壌を広める助けとなった。フランスに争乱の機運が満ちる頃には、一般の人々は王冠へ敬意を払う素振りさえ止めて久しかった。ここから学べるのは、アナーキーなゴシップは大きな帰結を持つということだ。干渉も検閲もないという意味のピアツーピア・コミュニケーションはつねにわれわれと共にあった。

フランスという比較的狭い領域では、アナーキーなコミュニケーションは18世紀末に特に重要な役割を果たした。いまその重要性は世界的に拡大しており、情報の少数支配とアナーキーの影響をわれわれは至るところで目にしている。フィリピンでは一般の人々が、腐敗した大統領を倒すためテキストメッセージング[携帯電話のメール]を利用している。サウジアラビアでは、宗教的過激派と民主化勢力のどちらの反体制派も、メッセージを広げるためにカセットテープとインターネットを利用している。

また中国でも、宗教組織と民主化勢力の双方が、体制への不満を伝えるためインターネットや暗号化、プロキシサーバの助けを借りている。これらの例は歓迎すべきものといえるが、一部の悪人たちもまた同じ技術を悪質な目的のために利用しているという事実にも注意を払うべきだ。児童ポルノ業者やテロリストも、人々を傷つけるためにおなじ配布システム、強力な暗号、プロキシサーバの力を使うことができる。そしてまた、われわれがこの国で学生たちに音楽の共有を止めさせるのと同じ方法が、抑圧的な国家が情報の流れを制限するためにも利用されることを忘れてはならない。

Q:噂やゴシップは今やあっという間に広がるけれど、これはアナーキーを前世紀よりも危険なものにしますか?

Siva Vaidhyanathan:
さて、アナーキーはわれわれの生活にかつてのどの時代よりも重大な影響を及ぼしているとわたしは考える。それはまだよく理解されていない形で、われわれの集団としての想像力に密接に関わっている。われわれのほとんどはアナキストではないにしても、アナーキー的な行動は日々ますます一般的になりつつある。インターネットを利用すること、テキストメッセージングを利用すること、グローバルなコミュニケーションをとることがそれだ。こうした感覚はますます主流になりつつあり、ビジネスやマネジメントの文化にも、大衆文化にも、また政治的文化にも見ることができる。有用で理性的な中庸の道を見いだすことはますます難しくなっている。

アナーキーのわかりやすい実例は、たとえば1999年にシアトルで開かれたWTOに抗議するデモだ。だがわたしがもっと興味を引かれるのは、ありふれた、むしろ非政治的なタイプの人々が、現在はかならずしも危険ではないが、いずれ少数支配の側が賭け金を吊り上げればもっと危険になりうる形でアナーキーと戯れていることだ。軍拡競争は理性的な人々に非理性的なものを受け入れさせ、穏健な人々に過激な手段をとらせる。

Q:この本のための調査を始めたのは2001年9月11日以前と聞きました。9月11日に起こった事件は研究を変更させたり、問題に対するあなたの見方を変化させましたか?

Siva Vaidhyanathan:
その通り。この本はエンターテインメントの世界について、ナプスターやその他のピアツーピアシステムがハリウッドとレコード産業をどのように脅かし、また変容させたかについてのものになるはずだった。だが2001年のテロ事件の後では、メタリカが稼いでいるかどうか気にかけるのはじつに難しくなった。

わたしは執筆を中断し、すでに書いたものの多くを破棄しなければならなかった。世界で今起こっていることは何なのかもう一度考える必要があった。9/11のあとすぐに、「情報戦争」がこれから数十年にわたってわれわれの生活の重要な部分を占めることがはっきりした。よって求められているのは、ますます侵襲的になってゆく政府が情報を扱う方法に注目し、わたしの他の調査や関心の対象と結びつけることだと考えた。またわたしは、9/11の直後から耳にするようになったあるレトリックについても懸念している。公共図書館でのインターネットアクセスや、強い暗号の利用を制限しようとするあらたな呼びかけも問題だ。

わたしは愛国者法[USA Patriot Act]についても、様々なデータベースを結びつけて国民を監視するTotal Information Awareness計画とペンタゴンのプロパガンダについても懸念するようになった。特に憂慮すべきことは、権力を持つ立場にある人間の多くが、アメリカ合衆国の敵たちをナプスターのようなデジタルネットワークと似通ったものだと解釈していることだ。そのようなメタファーは、共に重要なふたつのシステムの本質から目を逸らしてしまう。ナプスターとピアツーピア技術の意味は文化的な秩序の変動であり、実際のAl Qaedaは暴力を目的としてトップダウンに管理された組織だ。これら2つの現象は性質においても規模においてもかけ離れている。これほど危険なものと、これほど良性のものを関連づけることは、2001年のテロ事件で愛するものを失った人々に対する侮辱だとわたしは思う。

また、ただそれが利用できるからといってメタファーをもてあそぶのは根本的に危険なことだ。グローバルに拡散しながらも協調して活動する悪意の存在は、比較的あたらしく理解されていない要素ではあるものの、実際にはコンピュータ・ネットワークになぞらえることはできない。われわれが戦っているのは「ネット戦争」ではないし、また「ネット戦争」を戦うべきでもない。われわれの敵は現実の存在であり、バーチャルではないからだ。

Q:わたしたちはこのジレンマにどう対応すべきだと考えますか?

Siva Vaidhyanathan:
われわれは真剣に、そして明確に、文化のデモクラシーに対して投資すべきだ。つまり、権力や資金をもたない人々も、かれらを取りまく文化的なサインと関わる権利をもつべきだということを認識しなければならない。公正で十分な審議と理由なしに、表現やシンボルや情報に鍵をかけ、企業や政府に委ねてしまうべきではない。すでに十年以上にわたって、われわれは情報を柵の中に囲い込んできた。その囲いのわずかな部分を崩して圧力を和らげれば、いま世界が直面している新奇でおそろしい問題の数々に立ち向かう手助けとなる深甚な創造性を解き放つことができ、グローバル化や不均衡がもたらす問題、そして予測しがたい暴力の問題に取り組むことができる。これらの問題に対処するには、これまで声をあげる機会のなかった人々からの新鮮な発想が必要だ。だからこそ文化の民主主義は、これらの問題を解決するために必要な、だが不足しているステップだ。

対策のもう半分は、市民的共和主義[civic republicanism]を認識すること、すなわち情報の世界における広範な自由を許容しながらも、価値観と徳について豊かな議論を持つ必要があるということだ。ローマのストア派に遡って、価値と徳は共和制の理論を支える中心であり続けてきた。だが残念ながらアメリカの、ますますグローバルにもなりつつある政治文化は、ラディカルな個人主義かラディカルな企業主義のどちらかに汚染されている。そのどちらも、種としてのわれわれをよりよい存在にすることはない。

Q:音楽ファイルの共有を巡る論争は、より広い現象のケーススタディになると思われます。これについてはどんなことが書いてありますか?

Siva Vaidhyanathan:
われわれは音楽産業の失敗から学び、文化と情報の流れといった極めて重要なもの相手に結論に飛びつくことがないようにしなければならない。パニックを起こすべきではないし、慌てて審判を下すべきでもない。わずか数年前には、メジャーな商業音楽の避けられない消滅をなげくのが流行だった。だが音楽ビジネスの状況を冷静な目で調べてみれば、2001から2003には停滞があったものの、アメリカのその他の主要産業の多くが陥ったよりも深刻ではなかったことが分かる。

それはまた音楽産業が1983から1984に経験した不調よりも深刻ではないし、1992から1993年のそれよりも深刻ではない。これらのスランプは、実際われわれがこの2年間に目にしたものより深刻だった。

よって本当の疑問は、音楽産業が1990年代後半から2000年にかけて非常に好調だったのはなぜかということだ。99年と2000年に音楽産業が好調だったのには多くの理由がある。インシンクやバックストリートボーイズ、クリスティナ・アギレラそしてブリトニー・スピアーズ――親たちに12歳児をショッピングモールに連れてゆくことを強いた大ヒットメーカーたちの登場が果たした役割は決して小さくなかったはずだ。だがこれは特別な状況だ。

それ以来、われわれは平常に戻りつつある。もちろん、だからといって現在多くの人々が――レコード店のオーナーたちを筆頭に、作曲家、演奏家、音楽産業の弁護士や会計士といった人々が――経験している痛みが軽減されるわけではない。かれらの仕事は期待したほどにうまくいっていない。だがそれも多くの人が想像するほどではない。実際、もしP2Pによるダウンロードそれぞれが売上げの減少に結びつくなら、2004年には音楽産業など完全に消滅していたはずだ。だがそうなってはいない。これはゼロサム状況ではないのだ。にもかかわらず、音楽産業は過去数年間、複雑な問題に対して極端な手段を主張してきた。問題は最近の不況、DVDとビデオゲームの隆盛や音楽的志向の変化といった要素を含んでいる。

これらの要素すべてが音楽産業の成功にも不調にも影響を及ぼしている。だが音楽産業の指導者たちが主張したのは、ラディカルな技術的手段や単純な法的手段だけだ。かれらはプライベートなコンピュータやネットワークに侵入し、かれらが疑わしいと判断するものの配布を停止させる権利を手に入れようと試みた。もちろんそれは正当な法手続なしにおこなわれる。メディア産業は、訴訟を提起することなくネットワークユーザの身元提出を求める権利を議会に認めさせることに成功した。ご存じの通り、これは民法からのラディカルな逸脱だ。かれらはまたテロリズムやコンピュータ犯罪に対する法律に例外を設けることも要求している。ハッカーやテロリストに許さない行為をメディア産業には許すという例外だ。

こうした極端な手段の数々のおかげで、音楽を愛する人々には、音楽産業の経営者たちがかれらに何の敬意も払っていないことが明白になった。かれらは創造性を軽んじ、民主主義を尊重せず、顧客に敬意をもっていない。消費者と市民が返礼を拒否しても不思議はない。

この話の教訓は、われわれは技術的変化がもたらす影響に対して慎重であるべきということだ。われわれは時が経っても比較的変化しない文化的習慣、たとえば音楽の共有を好む傾向を認識すべきだ。人々は常に音楽を共有してきた。そしてわれわれは、ラディカルな政策に訴える前にすべての要素を考慮に入れなければならない。

事実わたしは、音楽産業が著作権侵害者に対して民事訴訟を起こしていることを称賛している。なぜなら、著作権は民事法廷において解決されるべきというのがわたしの考えだからだ。裁判であれば、被告にはすくなくとも正当な法手続きと弁護の機会が与えられる。これはすべての規制的判断を技術そのものによっておこなおうとするよりも健全だ。よってわたしは、過去数年間の経験によって、音楽産業が「テクノ原理主義」――どんな問題も技術的前進によって解決できるという考え方――を抑え、ふたたび伝統的な著作権という妥当な規制手段を尊重することを望んでいる。

Q:音楽産業の分析から、グローバル化の影響についてどのようなことが分かりますか?

Siva Vaidhyanathan:
まあ確かに音楽産業はグローバルな存在だ。合法的なルートか否かを問わず、音楽はグローバルに流通する。革新的な技術の普及のおかげで、コミュニケーションは日々よりアナーキーなものになっている。だからエンターテインメントの世界で起こったのと同じ戦いが、遠からずグローバルな政治の世界にも適用されると示すのは難しいことではない。これはグローバルな情報の政治学についての本だと述べたのはこのような理由だ。

Q:こうした誤解の根本にはなにがあるのですか?

Siva Vaidhyanathan:
本の中では、わたしが“テクノ原理主義”と呼ぶ現象について論じている。機械が作り出した問題は、新しい次の機械が解決するという根強いイデオロギーだ。テクノ原理主義は外部性と意図せざる影響についての議論を圧倒してしまう。これがもっとも顕著に見られるのはビジネスとマネジメントの世界であり、技術的変化に対してはその「尖兵となる」か滅亡のリスクを冒すかどちらかいった言い方がされる。George GilderやVirginia Postrel、Kevin Kellyが現代のもっとも悪名高いテクノ原理主義的書き手だ。Bill ClintonとNewt Gingrichもその仲間だ。歴史的視座でいえば、テクノ原理主義は未来を志向するイデオロギーとして技術決定論と区別される。

[オリジナルポスト  5月5日午前6時38分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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