D.C.の人間がデジタル時代から学んだらしいことのひとつはバイナリ思考だ。われわれはバイナリ頭どもに支配されている。我々の側につくか、さもなくば敵か(今回の戦争に関して)。我々に賛成か、さもなくば敵か(著作権戦争)。そしてさらに、一方の味方か、でなければ否定か(プライバシー戦争)。おそらくこれが、最近のバイナリ頭「思考」の例がわたしを苛立たせた理由――バランスを求める意見をとりあげ、それをまるで極端な主張のように見せかけるRIAA流の意図的な曲解だ。人々が両極端の意見を双方から聞かされるだけでも十分に悪いが、バランスを支持する意見を極端な意見に見せかけるのは別格の罪だ。
[オリジナルポスト 1月29日午前8時18分]